東京府立第一中学校を卒業、 浅井忠の作品に感動を覚えて洋画家になると決意、 この頃すでに浅井忠の図画教科書によって水彩画を独習、 1902年 京都高等工芸学校設立と浅井の教授就任を新聞で知り、 京都に移って同校に入学、 1905年 同校図案科の第一期卒業生。 在学中から水彩画をよくし同期の間部時雄と併称された。 1906年 牧野克次について渡米、油絵の更なる研鑽を深めると共に ニューヨーク美術学校にて水彩画の技法を指導、 翌年にかけてNew York School of Fine and Applied Artsで 油彩画と図案を学ぶ。 1909年から20年までニューヨークのアメリカ自然史博物館に、 海洋動物標本模型制作のための写生と色彩に関する 技術員として就職。 この間、National Academy of Designで 夜間デッサンを学ぶ、 ニューヨーク水彩画クラブ及びアメリカ水彩画協会展に出品。