
※当方出品物は全て、旧家うぶ出し品、コレクター 委託品です。
初出し品を主に出品して行きますので宜しくお願い致します。
また当方、刀の知識は素人です。
素人なりに勉強しながらの出品になりますので説明文の間違い等あるかと思います。ご理解頂き、詳細画像を確認して頂き入札お願い致します。
●1543年(天文12年)、種子島(鹿児島県)に中国からの商船が流れ着いたことで日本に鉄砲がもたらされたとするのが通説です。
銃口から弾丸と火薬を詰める前装式で、火縄に点火する形式だったため、この鉄砲には「火縄銃」と言う名称が付きました。また火縄銃は、種子島に伝来したことから、別名種子島とも呼ばれています。
この商船には、2人のポルトガル人が乗っており、このとき2挺の火縄銃を携えていました。種子島の領主であった「種子島時尭」(たねがしまときたか)は、漂着したポルトガル人を丁重にもてなし、この2挺の火縄銃を大金で購入。その返礼としてポルトガル人の商人は、火縄銃の試射を披露しました。
種子島時尭は、購入した火縄銃の1挺を種子島の刀匠に貸し出して複製するように命じ、1年ほどで国産化に成功しています。
種子島に伝わった火縄銃は瞬く間に日本各地に広まりましたが、火縄銃を日本で初めて実戦に持ち込んだのは1549年(天文18年)、薩摩(現在の鹿児島県)で起こった「黒川崎の戦い」だとされています。
また、東国甲斐(現在の山梨県)の武田軍において火縄銃が登場したのは、1550年(天文19年)の「第2次川中島の戦い」のときで、鉄砲300挺が用意されました。
「武田信玄」が軍役として鉄砲を賦課するのは、1558年(弘治4年)以降で、鉄砲が伝来したとされる1543年(天文12年)から十数年で鉄砲が広まったことが分かります。
しかしこの当時、戦では長槍や弓といった遠距離武器が主力をなしており、鉄砲はまだ発射音による馬への威嚇など、補助的な形でしか使われていなかったのです。
主力武器として火縄銃が使われるのは、「織田信長」と「武田勝頼」が戦った「長篠の戦い」になります。
◆◆◆◆
■種別■
火縄式鉄砲式
■全長■
134.5cm
■銃身長■
100.5cm
■口径■
1.8cm
■高さ■
10.5cm
■奥行■
7cm
■重量■
3.6kg
■銘文■
表・裏
登録記号番号 福井県 第15473号
昭和45年6月24日交付
※商品到着後、一週間以内に必ず名義変更をお願いします。
◆◆◆◆
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