萩原朔太郎
~ (1886~1942)群馬県生れの詩人。開業医の長子と生れ、神経質・病弱で孤独を愛し、ハーモニカ、手風琴、のち
マンドリンを楽しみ、作曲まで物している。従兄・萩原栄次から短歌の事を教えられ、与謝野鉄幹主宰の
『明星』に短歌を発表。大正に入り北原白秋の『朱欒』に詩を発表、のち白秋門下の三羽烏
(他に室生犀星、大手拓次)と呼ばれる。大正6年に処女詩集『月に吠える』、大正12年『青猫』、
昭和9年『氷島』を発表。昭和期には「現代詩の父」と呼ばれ、現在では「近代詩の父」。
某フランス評論家によれば、現代三大詩人の一人(他にエドガー・アラン・ポー、ボードレール)。
明治期から生田長江の『ツァラトゥストラ』に驚かされ、ニーチェからショーペンハウエルへ、また
ニーチェに。昭和17年、朔太郎の葬儀委員長を務めた『六甲颪』の義弟・詩人の佐藤惣之助が葬儀の後、
1週間と経たずに急逝したのも忘れられない。
<1>;東北学院大学論集(一般教育)=久保忠夫氏
(1)第37号(昭和35年9月) ~ 「『月に吠える』の詩「竹」」
<2>;論究日本文學(立命館大学日本文学会)=平田利晴氏
(1)第33号(1968年5月) ~ 「萩原朔太郎詩の詩法(上)ー『青猫』から『氷島』への推移を辿ってー」
(2)第34号(1968年11月) ~ 「萩原朔太郎詩の詩法(下)ー『青猫』から『氷島』への推移を辿ってー」
<3>;東北学院大学論集(一般教育)=久保忠夫氏著 <紀要別刷り>
(1)第61号(昭和49年12月) ~ 「雑誌「感情」と外国文学 ー多田不二のデーメル訳をめぐってー」
(2)第63号(昭和51年9月) ~ 「朔太郎に関する5章 ー「院子夫人」ほかー」
(3)第68号(昭和54年9月) ~ 「萩原隆『若き日の萩原朔太郎』独語(1)」
参考:本文他に少汚れ・破れ・折れ等あり。
レターパックライト(追跡あり)430円。 取置(1週間)・ゆうパック等で同梱可。
★終活のため処分しております。