郷土史家 五十嵐家伝来の、会津九代藩主 松平容保公の『 和歌短冊 』です。
【 資料名 】 真筆・会津九代藩主 松平容保公 和歌短冊 ( 額・収納ケース )
【 短冊サイズ 】 横 6.0センチ× 縦 36.0センチ
【 額サイズ 】 横 12.5センチ× 縦 52.5センチ、
【 収納ケース 】 横 16.0センチ× 縦 57.0センチ、厚さ 5.5センチ
【 状 態 】 紙本
【 真 筆 】 印刷ではありません ( 墨で書かれた作品と保証するもので、万が一印刷、巧芸品の場合、返品に応じます。 )
『 会津藩九代藩主 松平容保公 』
美濃国高須藩主・松平義建(まつだいら よしたつ)の六男として江戸藩邸で誕生。 1846年に八代藩主・容敬(かたたか)の養子となり、1852年に会津藩を継ぎ藩主となる。
1863年、当時非常に困難な職務であった京都守護職を引き受け、会津藩兵千余を率いて上洛。 孝明天皇に拝謁し、緋の衣を贈られ信任の情を寄せられた。激動の京都市内の治安維持にあたり、新撰組を配下とするなどして反幕勢力と戦った。
1867年に15代将軍徳川慶喜が大政奉還を行い江戸幕府が消滅。 その後鳥羽・伏見の戦いが起こり、慶喜が江戸に撤退するのに従い、容保も江戸へ向かった。
戊辰戦争の局面の1つである会津戦争において、容保は佐幕派、奥羽越列藩同盟の中心として新政府軍と戦った。 この間、白虎隊の悲劇を生むなど会津藩にとって苦しい戦いとなったが、若松城に篭城し最後まで抗戦した。
奮戦むなしく1868年9月22日、新政府軍に降伏。 戦後、家老・萱野権兵衛が会津戦争の全責任を一身に背負い切腹し、容保は江戸に蟄居となった。 後に赦免され、1880年には日光東照宮の宮司となった。 その後、家名存続を許されるとともに華族に列せられた。
1893年12月5日、東京・目黒の実家にて肺炎のため永眠。 享年59。 墓所は会津若松市の松平家院内御廟にある。
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