
ドイツ帝国・ヘッセン大公妃アリスの鶏卵古写真。
イギリスの有名スタジオによる発行で、睫毛等かなり細部に至るまで鮮明。
ヘッセン大公国はドイツの小国であるが、各国の皇妃・王妃を輩出しており、アリス王女の娘もロシア皇妃、夫の叔母もロシア皇妃であり、歴代大公妃もアリス王女とその先代の大公妃もまた傍系王族ではなく国王の娘である。
アリス王女は英国女王ヴィクトリアの次女。
本を手にしているが、夫婦仲は良かったものの夫が本を読まないと嘆く手紙が残っている。
子どもたちのドレスを自身で縫い、ベッドメイキングは子どもたち自身にさせるなど家庭的な環境で子育てをしていた一方で、母女王がアリス王女の社交生活について心配するようなことを書き残している。
その社交界では降霊術に傾倒したアリス王女を中心としたサロンがあり、多方面に活動的な人物だったようであるが、比較的若くに病没した。
大公世子妃時代の写真で、大きく編み上げた髪に暗い色彩のレースと刺繍のドレスを合わせ、三日月型のダイヤモンドのスロートブローチ、イギリスで産出されていたジェットのイヤリング、ロングペンダントとリングを身に着けている。
ヘッセン家の呪いと言われるが、アリス王女の娘二人はロシア革命で殺害され(次女は夫のロシア大公が暗殺、自身はボリシェヴィキに殺害され、四女のロシア皇妃は皇帝一家全員が殺害された)、孫息子の大公世子一家は、(アリス王女の息子の妻も含めて)飛行機事故で夫妻と息子二人が亡くなり、唯一生き残った娘も夭折した。
もう一人の孫息子は実子がなくヘッセン=ダルムシュタット家は断絶し、傍系のヘッセン=カッセル家(旧辺境伯家、ドイツ帝国時代に既に独立を失い領地はなかった)の成員を養子に迎えカッセル家系統がヘッセン家の当主となっている。
アリス王女は後の悲劇を見ることなく亡くなったが、自身も幼い次男(血友病)を喪い、流行病に罹患した娘を亡くした直後に病没した。
死後に末妹の英国王女ベアトリスが夫の甥であるバッテンベルク公子ハインリヒと結婚し、後には長女ヴィクトリア大公女がその長兄ルートヴィヒ(後のルイス・マウントバッテン、英国貴族ミルフォード=ヘイヴン侯爵)と結婚した。
長女ヴィクトリア大公女の孫が元ギリシャ王子フィリップで、英国女王エリザベス二世の夫、英国王チャールズ三世の父。
ヘッセン本家(ヘッセン=ダルムシュタット大公家のヘッセン・ウント・バイ・ライン家)は断絶はしたが、大公家の貴賤結婚系の家系は断絶しておらず、バッテンベルク本家は現在の英国のマウントバッテン家(ミルフォード=ヘイヴン侯爵家、傍系の伯爵家等)であるほか、ベアトリス王女の子孫の家系が残っており、また、イギリス王室は男系継承を維持しているため、現在はマウントバッテン=ウィンザー王朝である。
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★カルト・ド・ヴィジットとは
フランス語由来でカルト・ド・ヴィジットと呼ばれる、1800年代当時の王侯貴族が訪問時等に名刺代わりに使用した古写真。
手札判写真(手札版)、鶏卵写真とも呼ばれる。
1860年頃から芸能関係の有名人などを写した写真も含めてスタジオから既製品として売り出され、英国女王ヴィクトリアも含めて王侯貴族にも熱心な蒐集者がおり、イギリスのナショナル・ポートレート・ギャラリーには多くの王侯貴族のCDVやキャビネットカードと呼ばれるキャビネ判写真が収蔵されている。
こういった古写真は、男女共にヘアスタイル、被服、ジュエリー等のアクセサリー類の服装史の上でも興味深い。
フランス皇后ウジェニーは、ただの美人として歴史の上では特筆すべきものはないとされていることが多くあるが、ファッション界ではカルティエやオートクチュールの父と呼ばれるフレデリック・ワースを王侯貴族に紹介した人物として名高い当時のトレンドセッターである(但し一人息子の死後は全身黒付くめの喪服しか着用しなかった)。
王侯貴族は自国や嫁ぎ先、統治者として迎えられた国の髪型や服装にアクセサリーを纏って写真に収まることも多く、風俗史の上でも意義深い。
当時物でもスタジオの台紙に貼り付けられた正規品からややピントのボケた複製品の海賊版まで存在し、今日でも、当時(欧米では明治期からスクラップブッキングが盛ん)正規品の台紙から写真を剥がして個人のアルバムに貼り付けてあったものを剥がしたもの等がある。
鶏卵写真とは現像のプロセスに使用する原料から付けられた名称で、独特の質感を持つ。
銀塩写真はその後の製造になり、こちらは金属的な光沢を持ち、ポストカードに仕立てられたものが多い。