フェラーリ・Pシリーズは、イタリアの自動車メーカーのフェラーリが1960年代から1970年代にかけて製造した
プロオトタイプレーシングカーである。
Pシリーズの生産台数は、250Pの“0810”から、最後のワークスカーになった312PBの“0898”までと、
512Sとして生産された25台を含めても70台に満たない。
1966年、330 P3が投入された。エンジンは330P2から発展したチェーン駆動のDOHC・バンク角60°のV型12気筒で、
イグニッションは1シリンダーあたりに2本の点火プラグを持つ2重点火方式、さらに圧縮比が10.5まで高められた。
燃料供給はルーカス製の燃料噴射を採用、これにより以前のキャブレター仕様よりも最高出力・最大トルク共に増大した。
点火系は他社がトランジスター点火へ移行しつつある中、P2と同じくポイントによる点火のままであった
(ポイント点火方式は多気筒や高回転で使用すると失火が多くなり、ミスファイアーを生じて出力が落ちる)。
変速機は当時イタリア全土を巻き込んだ労働ストライキのため、フェラーリ自社製のギアボックスが間に合わず、
ZF製のトランスアクスルを採用した(これについては諸説あり、フェラーリ設計のギアボックスをZFへ製作依頼したとする説もある)。
またこれに伴いクラッチをそれまでの変速機後端から、通常のエンジンと変速機の間へ移動した。
ブレーキはP2のダンロップ製から、ガーリング製へと変更されたが、リアブレーキの搭載位置は変更されなかった。
ボディはカロッツェリア・スポーツカーズ社製のいわゆるドローゴボディを採用した。
この年のレギュレーション変更に伴いフロントウインドシールドの最低高が90 cmに下げられたのが車体の低さに貢献した。
車両重量はP2から約100 kgの軽量化に成功し、レギュレーションの最低重量である700 kgをわずかに上回る
720 kg(スパイダーボディ)を達成した。
ボディの材質はアルミ合金で、ドアパネルがFRP製、このP3からデュアルヘッドランプを採用した。
フェラーリのワークスチームはこの330 P3を走らせたが、プライベートチームにはSOHC、単点火、キャブレター仕様の4.4 Lエンジンを搭載したP2/3を供給した。
この年の330 P3はツキに見放されていたといって良いほど不運だった。
労働争議のため、本来の定数(フェラーリはP3を5台製作する予定だった)がルマンの直前で3台しか揃わなかったうえ、
シェイクダウンに十分な時間がとれず、ミッションやブレーキの煮詰めができなかった。
さらに、ライバルであったフォードチームほど結束が強くなかったことなどが挙げられる。モンツァとスパでは優勝できたが、
それまで連勝してきたル・マン24時間レースではフォードGT40マークIIに優勝を許してしまい、
P3・P2/3とともに全車リタイアの憂き目を見ている。