商品はhachette(アシェット)から2013年に発売された日本陸海軍機大百科の第88号の烈風一一型になります。台座に『海軍 三菱 艦上(局地)戦闘機「烈風」一一型A7M2』と書いてあります。
模型のみで本や解説書などはありません。
ブリスター未開封の状態で入手したのですが、写真を撮る為に開封しました。台座は未開封です。
垂直尾翼のテールコードが『ヨ-102』なので、架空塗装機だと思われます。
テールコードが『ヨ-〇〇』なのは横須賀海軍航空隊の所属機です。
横須賀海軍航空隊は、新型機のテストなどを行う部隊で、航空自衛隊の飛行開発実験団のような飛行隊です。
開発されたばかりの新型機は横空に配備されて各種テストが行われて、不具合が洗い出されます。その後、不具合を修正した量産型が各飛行隊に配備されるとゆー。
1944年に完成した烈風(A7M1)は中島飛行機製のエンジンを搭載してた結果、性能が低く不採用になりました。
その後、三菱において自社製のエンジンに換装した所、凄まじい性能を発揮した所、凄まじい性能を発揮した為、烈風11型(A7M2)として制式採用されます。
でも、制式採用されたのが1945年の6月。8月15日が終戦なので、全然間に合ってません。
烈風は試作機が7機、量産型が1機製造されただけでおわったので、横須賀海軍航空隊配備の『ヨ-102』は架空塗装なんじゃないかと思います。
全長11cmなので縮尺は1/100。
翼も機体も金属製なのでズッシリと重いです。
なので台座を使うときは接着した方が良いかも。
台座は軽く、機体は重いのでコテコテ落ちる可能性が・・・。
1/100のサイズなので、造形は良いです。
ダイキャスト製なので、モールドは太いです。
プロペラの差し込みが必要です。
◆趣味の烈風
「烈風? いえ、知らない子ですね」(by赤城)
烈風は間に合わなかった戦闘機なので赤城さんが知らなくとも仕方なし。
昭和15年に実戦配備された零戦は最高性能の名機でした。
零戦は940馬力で、近い将来登場するであろう1500馬力や2000馬力級の戦闘機と戦うには非力なので、昭和16年には、零戦の後継機を作るように三菱に内示が出されました。
しかし、零戦の設計主任の堀越二郎技師のチームは、零戦の改良や、うまく行かない局地戦闘機『雷電』の設計で手一杯だったのと、三菱の工場も全力で零戦や一式陸攻を生産してたので、物理的にどうにもならず。
なので翌年の昭和17年に改めて『十七試艦上戦闘機(烈風)』の開発が命じられます。
海軍の要求は、最高時速640km、上昇力は高度6000mまで6分以内、航続距離は全力30分+巡航速度5時間。武装は20mm機関砲2門と13mm機銃2丁、空戦性能は零戦32型と同レベルというものでした。
最初から2000馬力級のエンジンを積むことが想定されていた為、烈風は零戦よりも二回り大型の機体になりました。速くて大きい飛行機は旋回性能が悪くなるので、油圧の空戦フラップも装備し、防弾性能も備えた言わば次世代の零戦として烈風は設計されます。
三菱は烈風のエンジンに自社で開発中の2000馬力級のハ43を使いたかったのですが、まだ完成しておらず、海軍からは既に量産に入ってた中島の誉エンジンを使うよう命令が下ります。
しかし、零戦は32型から22型、52型と次々改良型を作らねばならず、堀越二郎技師が過労で倒れた為、烈風の開発は遅れに遅れ、試作1号機が完成したのが昭和19年の4月。
で、完成した烈風をテストすると、最高速度が時速524km、上昇能力が高度6000mまで10分以上掛かり、初期型の零戦21型にすら性能で負けており、結果、不採用。三菱には川西航空機が開発した紫電改を生産するように命令が下ります。
烈風が所期の性能を発揮できないのは中島のエンジンが悪いからだ! と考えてた三菱が誉エンジンをチェックした所、何と1300馬力しか出ておらず、それでは2000馬力搭載で設計されているのに、定格スペックを出せるはずもない。