◆ハンス・ベルメール(Hans Bellmer 1902-1975 旧帝政ドイツ・カトヴィツェ/現=ポーランド領 出生 - フランス・パリ 永眠)
画家・グラフィックデザイナー・写真家・人形作家、世界的に権威あるベネジット美術家事典(BENEZIT)にハンス・ベルメール画伯は掲載されてます。
1923年 父の薦めでベルリン工科大学に入学。
1924年 ダダイストのジョージ・グロスやオットー・ディクス、ジョン・ハートフィールドとの交遊が始まり大学を中退。植字工見習いとして働き始め、小説の表紙や挿絵を手がける。
1933年 ナチスによるによる政権掌握。抗議のため社会貢献としての職業を放棄。
フリーのアーティストとなり最初の人形制作に着手したが皮膚が破れ、もとの木枠をむき出しにした状態の人形であった。
この時点ではまだ球体関節を持った人形は制作されていない。
1934年 写真集『人形』を自費出版で刊行。
1935年 2月、パリに滞在。
1936年 『人形』フランス語版を刊行。ロンドンやニューヨークなどのシュルレアリスム展に出品。
1937年 東京のシュルレアリスム国際展にも出品。雑誌『みずゑ』にも写真作品が掲載される。
1938年 2月、病気がちだった妻マルガレーテ死去。春にはナチスの脅威を逃れパリへ移住。マルセル・デュシャンやマックス・エルンスト、イヴ・タンギーらと出会う。
1939年 第二次世界大戦勃発。ドイツ国籍のベルメールは同じくドイツ国籍のマックス・エルンストと共に南仏のミユ収容所に抑留される。後にベルメールはエルンストの肖像画を残している。
1946年 父の死を知らされる。ジョルジュ・バタイユの小説『眼球譚』の銅版画による挿絵の制作に取り掛かる。
1947年 パリにてはじめての個展。
1949年 ポール・エリュアールの詩とベルメールの写真から成る『人形の遊び』刊行。
1957年 著書『イマージュの解剖学』刊行。散文体で記された文章のなかに、自身の作品における身体と、言語実験や精神病理学の関連への言及がみられる。その多くは39年の収容所時代に執筆されたものであった。日本語版は1975年に種村季弘によって翻訳刊行される。
1958年 同棲相手の女流作家ウニカ・チュルンをモデルとした緊縛写真を撮影し、その中の一点が『シュルレアリスム・メーム』誌の表紙を飾る。
1961年 銅版画集『サドに』刊行。
1865年 ジョルジュ・バタイユ『マダム・エドワルダ』の挿画を手がける。
1969年 脳卒中で倒れ入院。半身不随となる。
1971年 パリ、国立現代美術センター(CNAC)で大規模な回顧展。
1975年 没年にパリ、シカゴ、ジュネーヴにてベルメール展。
【パブリックコレクション】
ニューヨーク近代美術館
メトロポリタン美術館
シカゴ美術館
J.ポール・ゲティ美術館(ロサンゼルス) 他