
木製ガラス入り額 横約75.5×縦幅約57.5cm。
画面サイズ 横約54×縦幅約40cm。
紙本。手摺り彩色木版画・下部に鉛筆サイン。15/50エディション、
題名、1971制作年鉛筆書き。
額の裏側釘止めのため、外せず斜め方向からの撮影となります。
真作保証。
版画家・中尾義隆画「岩場の雪・穂高」手摺り木版画大額です。
かなり大きな山岳風景の版画額となります。
大胆な穂高の岩場の構図に、空の青さと雪の白さのコントラストが
効いています。
セメント版画を創設し、木版とは違ったゴツゴツしたセメントの肌合い
をあるいは雪の表現に使っているのかも知れません。
畦地梅太郎と同郷の愛媛出身の版画家の山岳版画です。
中尾義隆 (1911~1994 Nakao Yoshitaka)は、愛媛県出身の版画家。
幼少期から絵画に没頭し、油彩画を描いていた。渡辺文彦にデッサンを学び、
油彩画「炭焼く山」で全関西洋画展に初入選し、翌年、油彩画「青林」、「深秋」
を国画会に出品して、初入選するなど、洋画家としての道を歩き始める。
そんな中、自宅改装中にセメントの性質に着目し、生乾きのセメント上に刻することで、
版画を制作する「セメント版画」を考案した。 セメント版画「絵を描く友人」を版画研究会
の作品集「一木集II」に寄せ、セメント版画が初めて人々の目に触れることとなった。
この頃、国画会出品予定の油彩画が届かないというアクシデントをきっかけに、木版画「車庫」
を制作し、日本版画協会に出品。これが恩地孝四郎に「感覚的に優れている」と評され、
日本版画協会会員に推挙されたために、版画も始めることになる。 翌年には、セメント版画
「けしの花」、「水飲む女」で、国画奨学賞を受賞した。
義隆の生み出した独自の技法による作品は、遠く海を渡り、アメリカに向かった。
〈義隆のセメント版画「赤い壺?」を米人版画蒐集家ハートネットに売り、彼が米国で版画展を
開けば、セメント版の異色、大いに独壇場を発揮することでしょう。〉という恩地孝四郎からの
手紙と、小為替を受け取る。
戦後、農地改革で大半の田畑を失ったが、義隆は創作活動をやめることはなかった。
44歳で東京に拠点を移した義隆は、版画に専念した。45歳、国画会に、木版画「石のベッド」、
「蕎麦屋」を出品し、三十周年記念賞を受賞する。 国画会では、作品鑑査委員長や陳列委員長
なども務めた。
70歳のときに脳梗塞で倒れ、翌年、国画会に木版画「成人式」、「ルービックキューブ」を出品し、
それが最後となった。晩年は、日本版画協会・NHK厚生文化事業団主催のチャリティー版画展に
出品するのみとなり、83歳でその生涯を終えた。
本紙はマット紙から出ている部分に、うすヤケ少しはあります。
額は時代古び、時代なりのうす汚れなどそれなりの時代傷み少しはあります。
地元初出しの版画家・中尾義隆画「岩場の雪・穂高」手摺り木版画大額ですので、
分かる方よろしくお願いします。
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