
水墨画・雪舟「涙で鼠を描く」日本六古窯・備前焼■岡山県総社市、宝福寺、相国寺、雲谷庵、正法寺、清見寺■ハンサムな雪舟■作家物、陶印
なかなかハンサムな少年雪舟だと思います。
足やネズミも可愛くできています。
備前焼の作家は、「孝之作」と銘があるように思うのですが、詳しくは不明です。
ダメージはないと思いますが、古い物ですので完璧を求める方はご遠慮ください。
雪舟(以下、岡山県総社市のHPこら引用)
水墨画で有名な雪舟は、応永27年(1420)備中赤浜(現岡山県総社市赤浜)に生まれました。
幼くして井山宝福寺(総社市井尻野)へ入り、涙でネズミを描いたという逸話を残しています。
その後、京都の相国寺へ入りました。
当時、相国寺には、日本の水墨画を代表する周文がおり、その薫陶を直接受けて、 天賦の才能に恵まれた雪舟は、やがて京都では名の聞こえた画家となりました。
中国に渡って絵の勉強をしたいと思った雪舟は、応仁元年(1467)中国の地を踏みました。
中国では各地を回りました。
その中でも、天童山景徳禅寺では、「四明天童山第一座」という高位の称号を受け、 雪舟は後世このことを誇りとして、作品にもはっきりと署名しています。
帰国後は、山口の雲谷庵を拠点として石見(島根県)、豊後(大分県)と活躍の場を広げ、多数の作品を残しています。
そして、67歳の時に、雪舟の作品中最高傑作といわれている「山水長巻」を守護大名・大内氏に贈っています。
雪舟の創作活動は晩年まで衰えることなく、岐阜の正法寺、清水の清見寺などへも足をのばすとともに、82歳の頃には天橋立を巡り、その風景を写生しています。
雲谷庵 (復元・山口市) 雪舟最後の地については、山口市の雲谷庵、益田市の大喜庵、岡山県芳井町の重玄寺など諸説がありはっきりしませんが、永正3年(1506)87年間の生涯を静かに終えました。
(2025年 9月 8日 22時 25分 追加)高さ25.5cm 左右幅18cm 奥行19cm