F2500:白金の衝動、あるいはデコポンが照らす悠久の食卓
序章:指先に走る、50.62グラムの静かなる戦慄
その日、私の指先は、ひとつの果実と、ひとつの金属に触れていた。
果実の名は、デコポン。正式名称を不知火(しらぬい)という。ごつごつと無骨な、厚い皮。頂には愛嬌とも不格好ともとれる凸(でこ)が鎮座し、およそ洗練とは程遠い風貌をしている。だが、ひとたびその皮を剥けば、世界は一変する。薄いじょうのう膜(袋)ははち切れんばかりに瑞々しい果肉を孕み、指先にまとわりつく香りは、凡百の柑橘が束になっても敵わないほどに、甘く、濃く、そして鮮烈だ。その存在は、見た目の無骨さとは裏腹の、内に秘めたる圧倒的なまでの生命力の凝縮体。言わば、大地の恵みが幾多の季節を経て、ようやく辿り着いたひとつの結論であった。
そして、もうひとつ。私の目の前、そのデコポンの豊かな起伏に身を横たえるようにして存在するのが、今回の物語の主役、F2500という符丁で呼ばれる一本の鎖。最高級Pt850無垢喜平ネックレス。長さ50cm、重量50.62g、幅5.0mm。
陽光を浴びたデコポンの肌が、生命の暖色を放っているのに対し、その上に横たわるプラチナの鎖は、周囲の光をただ静かに、そして貪欲に吸い込んでいた。自らは決して発光しない。しかし、あらゆる光を受け止め、その本質を映し込み、そして内側から冷徹なまでの輝きを返す。それはまるで、遥か宇宙の深淵から飛来した物質であるかのような、この地球上における絶対的な異物感と、それゆえの絶対的な存在感を放っていた。
私はそっと、その鎖を指でなぞる。ひんやりとした感触。しかし、それは死の冷たさではない。悠久の時を生き抜いてきた者だけが持つ、不動の体温だ。50.62グラムという重みが、指先から手首、そして腕を伝い、私の脳幹に直接語りかけてくる。「私は、ここにある」と。それは虚飾のない、あまりにも雄弁な事実の重みだった。
デコポンのごつごつした皮の上で、ネックレスの駒(こま)がカシャリと微かな音を立てる。その音は、まるで遠い時代の鍛冶場で打たれる槌の響きか、あるいは高名なシェフが厨房で愛用の包丁を研ぐ音のようにも聞こえた。
「F2500、低迷してたが相場がやっと来たぞー」
このネックレスを私に託した旧知の目利きは、そう言って笑った。その言葉は、まるで不遇の時代を耐え忍んだ伝説の料理人や、忘れ去られていた幻の食材が、ついに正当な評価を得る時代の到来を告げるかのようだった。
相場。なんと無味乾燥な響きだろう。だが、この50.62グラムのプラチナの塊が紡いできた物語は、決して価格という二次元の尺度だけで測れるものではない。それは、地球の深奥で始まった創生のドラマであり、人類の文明史を駆け巡る冒険譚であり、そして我々の舌と魂を震わせる「食」という行為の根源的な哲学にまで繋がる、壮大な叙事詩なのだ。
これから語るのは、一本のネックレスの物語ではない。
これは、プラチナという名の「至上の食材」を追い求め、喜平という「究極の調理法」で仕上げた、人類の飽くなき探求心のドキュメンタリー。そして、その一皿が、いかにして我々の食卓を、人生を、豊かにしてきたかという、グローバルな美食の記録である。さあ、あなたもこのデコポンをひとつ手に取り、そのずっしりとした重みを感じながら、時空を超えた味覚の旅へと出発しようではないか。物語の始まりは、一滴の銀色の雫から。
第一章:素材の探求 - プラチナという名の「至上の食材」
料理の魂が食材にあるように、ジュエリーの魂は素材にある。そして、このF2500の魂、プラチナは、あらゆる貴金属、いや、地球上に存在するあらゆる物質の中でも、最も孤高で、最も気高い「食材」と呼ぶにふさわしい。
その発見は、美食の世界における新大陸の発見にも似ていた。16世紀、新大陸の富を求めて南米に到達したスペインの探検家たち。彼らはコロンビアのピント川の砂礫の中から、金と共に採れる奇妙な金属片を見つけ出す。それは銀に似ているが、銀よりも重く、そしてどんな炎をもってしても溶かすことができない。彼らはその扱いにくさから、これを「Platina del Pinto(ピント川の小さな銀)」、すなわち「質の悪い銀」と呼び、価値のないものとして打ち捨てたという。なんと皮肉なことか。それはまるで、初めてトリュフを発見した者が、その異様な見た目と香りから「土中の不気味な石」として蹴飛ばしたようなものだ。
彼らが理解していなかったのだ。この「小さな銀」が、後に王侯貴族、そして時代の寵児たちを魅了する「王の金属」となることを。プラチナの真価が理解されるには、それから2世紀もの歳月を要した。科学者たちがその驚異的な特性…摂氏1768度という極めて高い融点、王水以外の一切の酸に溶けない化学的安定性、そして金をも上回る希少性…を解き明かした時、世界は初めてこの「食材」の本当の価値に気づいたのだ。
考えてみてほしい。料理において「永遠に腐らない食材」が存在するだろうか。どれほど新鮮な魚も、瑞々しい野菜も、時と共にその輝きを失う。しかし、プラチナは違う。何世紀もの間、土の中に埋もれていようが、激しい炎に焼かれようが、その白く高貴な輝きは、決して損なわれることがない。それは、時間という概念を超越した、究極の保存食であり、永遠の風味を持つ奇跡の物質なのだ。このF2500の駒ひとつひとつに、その永遠性が凝縮されている。
その主な産地は、南アフリカ共和国。地殻の奥深く、数億年という想像を絶する時間をかけて形成されたプラチナ鉱脈は、選び抜かれた者しか立ち入ることのできない、地球の聖域(サンクチュアリ)だ。1トンの鉱石から、わずか3グラム。ティースプーン一杯分にも満たない。それは、サフランの花の雌しべを一本一本手で摘み取るような、あるいは、熟練の職人が巨大なパルミジャーノ・レッジャーノの塊から、旨味の結晶が凝縮した中心部だけを削り出すような、途方もない労力の結晶である。
そして、このネックレスは「Pt850」と刻印されている。これはプラチナが85%、残りの15%がパラジウムやルテニウムといった他の貴金属であることを示している。純粋なプラチナ(Pt999)は、実は柔らかすぎる。それはまるで、最高級のマグロの大トロが、口に入れた瞬間に溶けてしまうがゆえに、握り寿司として形を保つのが難しいのに似ている。料理人が、他の食材との組み合わせや、僅かな塩、酢の塩梅でその風味と食感を引き立てるように、貴金属の職人たちは、パラジウムという「最高のパートナー」を15%加えることで、プラチナに実用的な強度としなやかさ、そしてより一層の輝きを与えるという「黄金比」を発見したのだ。
Pt850。この数字は、単なる純度の表記ではない。それは、素材のポテンシャルを最大限に引き出すための、人類の知恵と経験が導き出した「究極のレシピ」なのである。このF2500を首にかけるとき、我々は南アフリカの大地の力と、ヨーロッパの錬金術師たちが追い求めた夢、そして現代の科学が到達した合金技術の粋を、その肌で感じることになるのだ。
第二章:デザインの旅路 - 喜平、時を超えるフォルム
最高の食材は、最高の調理法を求める。プラチナという至高の素材を、いかにして人の心を打つ一皿…いや、一本のジュエリーに昇華させるか。その答えのひとつが「喜平(きへい)」というデザインだ。
「喜平」。その名の由来には諸説ある。南北戦争時代のアメリカの騎兵(Cavalry)が佩いていたサーベルの鎖が由来だという説。あるいは、日本の仏具である「喜平」から来ているという説。または、鈴木喜平という名の職人が創始者だという説。その真偽は、歴史の霧の中に霞んでいる。しかし、その起源が何であれ、このデザインの本質は、その普遍的なまでの力強さと、機能美の極致にある。
それは、鎖(チェーン)という、人類最古の装飾品の一つにその源流を持つ。古代エジプトのファラオは、生命の永遠性を象徴する黄金の鎖を身に纏った。古代ローマの将軍は、戦功の証として、あるいは権力の象徴として、重厚な鎖を首から下げた。日本でもまた、武士の鎧や刀の下げ緒に、機能性と装飾性を兼ね備えた様々な鎖が用いられてきた。鎖とは、単なるパーツの連結ではない。それは「絆」「約束」「力」「富」、そして「束縛からの解放」という、相反する概念をも内包する、極めて哲学的で力強いモチーフなのだ。
喜平チェーンは、その鎖というモチーフを、最も洗練させ、かつ、最も力強く表現したデザインと言えるだろう。まず、輪を繋ぎ合わせる。そして、その輪を90度ひねる。最後に、そのひねった輪の上下を平らに押し潰し、丹念に磨き上げる。たったこれだけの、しかし一切の無駄を削ぎ落とした工程によって、喜得も言われぬ美が生まれる。
このF2500は、おそらく最もオーソドックスでありながら、最も完成された美しさを持つ「6面ダブルカット喜平」であろうと推測される。(画像を注視する)一つの駒に、上下左右、そして斜めの2面、合計6つの平面が与えられている。さらに、一つの駒に次の二つの駒が連なる「ダブル編み」によって、その密度と重厚感は比類なきものとなっている。
この6つの平面が、何をもたらすか。それは「光の饗宴」だ。
想像してほしい。あなたは、ミシュラン三つ星レストランのテーブルに座っている。目の前には、完璧に磨き上げられたクリストフルのカトラリーが並ぶ。天井のシャンデリアの光、キャンドルの揺らめき、隣のテーブルから漏れる穏やかな光。それら全ての光が、ナイフやフォークのわずかな曲線や平面の上で、複雑に反射し、戯れ、そしてきらめいている。
F2500の6面のカットは、まさにそのカトラリーと同じ役割を果たす。正面からの光、横からの光、身じろぎによって生まれる微かな動き。そのすべてを6つの面が捉え、それぞれが異なる角度に光を反射する。ある面は鋭い閃光を放ち、ある面は柔らかな光沢をたたえる。それらが連鎖し、波のように押し寄せることで、このネックレスはまるで自らが生命を持っているかのように、絶えずその表情を変え続けるのだ。それは、単なる「輝き」ではない。計算され尽くした光のオーケストラなのである。
幅5.0mm。これは、繊細すぎず、無骨すぎない、絶妙なバランスを突いた幅だ。それは、イタリアンのシェフがパスタの太さを、その日のソースの濃度や具材に合わせてミリ単位で調整するのに似ている。この5.0mmという幅は、カジュアルなTシャツの上では確かな存在感を放ち、ジャケットの襟元から覗かせれば、控えめながらも揺るぎない品格を主張する。
長さ50cm。これは、多くの成人男性の首元に、最も美しく収まるとされる黄金の長さだ。鎖骨のくぼみに沿って優雅なカーブを描き、胸元で静かな終着点を迎える。それは、完璧なコース料理のポーションのように、多すぎず、少なすぎず、最高の満足感を与えるために設計された長さなのだ。
そして、重量50.62g。この重みこそが、喜平の哲学の核心である。近年、ジュエリーの世界では中空(ホロー)構造のものが増えている。見た目は同じでも、中が空洞で軽い。それは、見た目だけを取り繕った、魂の抜けた料理のようなものだ。しかし、このF2500は違う。「無垢(むく)」である。つまり、中までプラチナがみっしりと詰まっている。
この50.62gという確かな重みは、常に持ち主にその存在を語りかける。それは、偽りのない本物の価値。揺るぎない自信。そして、自らの人生の重みを引き受ける覚悟の証だ。それは、じっくりと時間をかけて煮込まれ、素材の旨味が極限まで凝縮されたブフ・ブルギニョン(牛肉の赤ワイン煮込み)の一皿が持つ、あの胃の腑にずしりと落ちる、幸福な重みに通じるだろう。
喜平というデザインは、決して一過性の流行ではない。それは、人類の歴史が培った「鎖」という普遍的なモチーフを、日本の職人たちが独自の美意識と技術で昇華させた、時を超えるフォルムなのである。
第三章:職人技の饗宴 - 無垢なる魂を打ち込む者たち
至高の食材「プラチナ」と、究極のレシピ「喜平」。しかし、それだけではまだ、魂を揺さぶる一皿は完成しない。そこに必要不可欠なのが、偉大なる料理人、すなわち「職人」の存在だ。このF2500が放つ、冷たいようでいて、どこか人の手の温もりを感じさせる輝きは、名もなき日本の職人たちの、気の遠くなるような手仕事の結晶なのである。
その舞台は、東京・御徒町、あるいは山梨・甲府といった、日本の宝飾産業を支える街の一角にある、小さな工房。そこには、最新のコンピューター制御の機械などない。あるのは、何十年も使い込まれて黒光りする工具の数々と、プラチナという気難しい素材の声を聴くことができる、熟練の職人の耳と指先だけだ。
物語は、Pt850のインゴット(塊)を、摂氏1800度近くの炎で溶解するところから始まる。灼熱の坩堝(るつぼ)の中で、白金の塊はオレンジ色の液体へと姿を変える。それはまるで、火山がマグマを噴き出すような、原始の地球の光景だ。職人は、その液体の色と粘りだけで、完璧な溶解温度を見極める。
冷やし固められたプラチナの棒は、次に「圧延」という工程を経る。巨大なローラーの間に何度も何度も通され、少しずつ、少しずつ、目的の太さの線材へと引き伸ばされていく。力をかけすぎれば、金属の組織が壊れて脆くなる。慎重すぎれば、均一な太さが得られない。それは、蕎麦打ちの名人が、蕎麦粉に加える水の量を、その日の湿度や温度を感じながら指先だけで決める作業に似ている。機械では決して真似のできない、経験と勘の世界だ。
こうして出来上がった一本のプラチナの線を、今度は「駒」へと加工していく。線材を巻き付け、寸分違わぬ長さに切断し、輪を作る。そして、その輪を次の輪へと通し、編み上げていく。6面ダブルカット喜平の場合、その編み込みは極めて複雑だ。一つの間違いが、全体の歪みへと繋がる。職人は、息を止め、全神経を指先に集中させ、プラチナの鎖を編んでいく。それは、複雑な楽譜を読み解きながら、一音も間違えずに楽器を奏でる音楽家にも似た、静かで緊張感に満ちた作業である。
鎖が編み上がると、いよいよ喜平の心臓部である「押し潰し」と「カッティング」の工程に入る。編み上げられた鎖を万力で固定し、90度ひねられた部分を、金槌とタガネを使って平らに叩いていく。そして、ダイヤモンドの刃がついたカッターで、あの6つの平面を削り出すのだ。叩きすぎれば歪み、削りすぎれば重さが足りなくなる。職人の目と腕だけが、50.62グラムという完成形へと導く羅針盤となる。
そして、全ての工程のクライマックスを飾るのが「研磨」である。
ここまでの工程で、ネックレスはその形を成しているが、まだくすんだ銀色の塊にすぎない。あの我々を魅了してやまない、鏡のような輝きは、この研磨によって初めて生まれるのだ。最初は粗い研磨剤で、次に細かいものを、そして最後は鹿の皮(セーム革)に、「バフ粉」と呼ばれる秘伝の磨き粉をつけて、手作業で磨き上げていく。
それは、寿司職人が、最後の仕上げに、煮切り醤油を刷毛でひと塗りする瞬間に似ている。あるいは、偉大なパティシエが、完成したケーキに、完璧な艶を持つグラサージュをかける瞬間に似ている。この最後のひと手間で、全ての素材と工程が統合され、作品に生命が吹き込まれるのだ。
職人は、駒のひとつひとつ、その6つの面、面の角、駒と駒が連結する内側の、通常では見えない部分に至るまで、執拗なまでに磨き続ける。なぜなら、彼らは知っているからだ。本物の輝きとは、見える部分だけが美しいことではない。見えない部分にまで完璧な仕事が施されていてこそ、全体から滲み出るオーラが生まれることを。
こうして、何人もの職人の手を経て、何十時間もの時間をかけて、一本の喜平ネックレス、F2500は誕生する。その輝きは、単なる金属の光沢ではない。それは、職人たちがその魂を、人生を、削り込み、磨き上げた、努力と情熱の結晶そのものなのだ。我々がこのネックレスを身につけるとき、その重みと共に、名もなき日本の職人たちの誇りと魂を感じ取ることができるだろう。
第四章:文化とのマリアージュ - 喜平が彩る世界の食卓
完成した一皿は、食卓に運ばれてこそ、その真価を発揮する。F2500もまた、工房という厨房を離れ、世界の様々な「食卓」、すなわち文化シーンへと旅立ち、そこで多様な物語を紡いできた。このネックレスは、時代と文化という最高のソースとマリアージュすることで、その味わいをより一層深めていったのだ。
1. 1980年代、東京。泡とネオンの夜の主役
舞台は、日本の経済が頂点へと駆け上がったバブル期の東京。ディスコ「マハラジャ」のVIPルーム。黒服が恭しく運んでくるのは、ドン・ペリニヨンとレミーマルタンXO。テーブルには、伊勢海老のテルミドールや、フィレミニョンステーキが並ぶ。
そこに座る、肩パッドの入ったアルマーニのスーツに身を包んだ男。彼の焼けた肌の首元で、圧倒的な存在感を放っているのが、プラチナの喜平ネックレスだ。ミラーボールの光を乱反射させ、紫や緑のレーザー光線を浴びて、それはまるで都市のエネルギーそのものを凝縮したかのように輝いている。
この時代の喜平は、成功の最も分かりやすい証だった。誰もが豊かさを信じ、明日は今日よりも良くなると疑わなかった時代の、熱狂と自信の象徴。その50グラムを超える重みは、分厚い札束の重みと等価だった。それは、濃厚で、バターとクリームをふんだんに使った、クラシックなフランス料理のような、パワフルで、少しばかり過剰で、しかし抗いがたい魅力に満ちた時代の味であった。F2500には、あの時代の日本の、むせ返るような熱気が刻み込まれている。
2. 1990年代、ニューヨーク。ゲットーから生まれた魂の叫び
時代と場所は移り、ニューヨークのブロンクス。ヒップホップという音楽が、ストリートから世界を席巻しようとしていた時代。ターンテーブルが鳴り響き、グラフィティが壁を彩る街角で、ラッパーたちは、自らの成功と「リアル」を証明するために、極太のゴールドやプラチナのチェーンを身につけた。
彼らにとって、プラチナの喜平は、単なる富の象徴ではなかった。それは、貧困と差別の中から、自らの言葉とライムだけを武器に成り上がったことの証。社会への反骨精神と、揺るぎないプライドの表明だった。彼らがまとうプラチナの重みは、彼らが乗り越えてきた人生の重みそのものだった。
彼らの食卓は、高級レストランではないかもしれない。しかし、仲間たちと分け合うシャンパン「クリスタル」のボトルや、祝杯をあげるための巨大なTボーンステーキ。その傍らで、プラチナの喜平は、バブル期の東京とは全く異なる、ソリッドで、切実な輝きを放っていた。それは、スパイスが効き、魂が込められたソウルフードのような、ディープで、パワフルな味わい。F2500は、抑圧された魂が解き放たれる瞬間の、歓喜の叫びを知っている。
3. 2000年代以降、アジア。洗練されたミニマリズムのアクセント
そして現代。舞台は上海やシンガポール、あるいは東京の、ミニマルで洗練された高級レストラン。そこでは、もはやステータスをこれ見よがしに誇示する時代は終わった。本物の価値を知る新世代の富裕層は、より知的で、よりパーソナルな表現を求める。
黒いミニマルなドレスをまとった女性。上質なカシミアのセーターを着た男性。彼らの装いはシンプルだが、素材は最高級。その首元で、一本のプラチナ喜平が、まるでアートピースのように静かな光を放っている。それはもはや、富の象徴ではない。それは、本質を見抜く「審美眼」の証なのだ。
彼らのテーブルに並ぶのは、伝統的な技法に、最新の科学的アプローチを取り入れたモダン・キュイジーヌ。素材の味を極限まで引き出し、美しく盛り付けられた一皿一皿は、まるで禅の庭のように静謐で、しかし口にすれば宇宙的な広がりを感じさせる。この文脈において、プラチナ喜平の輝きは、料理の味わいを引き立てる最高の「薬味」となる。過剰な装飾を排したデザインだからこそ、プラチナという素材そのものの持つ本質的な美しさが際立ち、持ち主の知性を映し出すのだ。
F2500は、このようにして様々な時代の空気、様々な文化の味を吸い込んできた。バブルの熱狂、ヒップホップの魂、そして現代の洗練。この一本の鎖の中には、グローバルな文化の変遷という、幾重にも重なる複雑なフレーバーが閉じ込められているのである。
第五章:美食のフィロソフィー - 永遠の価値を味わう
再び、物語は私の手元にあるデコポンと、その上のプラチナネックレスF2500へと戻る。
ここまで旅をしてきた我々は、もはやこのネックレスを単なる金属の塊として見ることはできない。そして、このデコポンを、単なる果物として味わうこともできないだろう。
このデコポンの、ずっしりとした重み。これは、F2500の50.62gという無垢の重みと完全にシンクロする。見た目は不格好でも、中には凝縮された本質が詰まっている。流行りの見栄えの良い果物にはない、揺るぎない価値。それは、プラチナの価値そのものではないか。
そして、このネックレスに与えられた「F2500」という符丁。それはまるで、ボルドーの偉大なシャトーが、最高の年に、最高の区画のブドウだけで造った、幻のキュヴェに与えるロットナンバーのようだ。「シャトー・マルゴー 1982」や「ロマネ・コンティ 1990」がそうであるように、この「F2500」もまた、ある特定の条件下で生み出された、二つとない奇跡の産物であることを示唆している。
「低迷してたが相場がやっと来たぞー」
旧知の目利きの言葉が、今、全く新しい意味を帯びて響く。それは、単なる市場価格の上下ではない。真の価値というものが、時代というフィルターを経て、ようやく正当に評価される瞬間が訪れた、ということなのだ。一時は忘れ去られていた偉大な画家が再発見されるように。前衛的すぎると言われたシェフの料理が、時代が追いついたことでスタンダードになるように。F2500もまた、その「時」を迎えたのだ。
この喜平ネックレスを所有するということは、一体どういうことなのだろうか。
それは、プラチナという地球の奇跡を所有すること。
それは、数千年の歴史を持つ「鎖」というデザイン哲学を所有すること。
それは、日本の名もなき職人たちの魂を所有すること。
それは、バブルやヒップホップといった、時代の文化の記憶を所有すること。
すなわち、この一本のネックレスは、素材、デザイン、技術、そして文化という、4つの要素からなる、究極のフルコースなのである。
前菜は、プラチナの発見史というスリリングなアミューズ。
魚料理は、6面カットが織りなす光の反射という、軽やかでいて複雑な海の幸。
肉料理は、50.62gの無垢の重みがもたらす、食べ応えのあるメインディッシュ。
そしてデザートは、時代を超えて受け継がれるであろう、その永遠の輝き。
このネックレスを身につけることは、最高のレストランで、シェフのおまかせコースを味わう体験に等しい。いや、それ以上かもしれない。なぜなら、レストランの料理は、味わえば消えてしまう一期一会のもの。しかし、このF2500という一皿は、決して消えることがない。それどころか、次の所有者の人生という新たなスパイスを得て、さらにその味わいを深めていくのだから。
終章:新たなる主(あるじ)へ
長大な物語をここまで読み進めてくれた、見識あるあなたへ。
今、このF2500は、その悠久の旅の途中で、しばしの休息をとっている。それは、デコポンの上で静かに光を吸い込みながら、次なる主を、その価値を真に理解し、新たな物語を共に紡いでくれるパートナーを、じっと待っているのだ。
このネックレスを手にするということは、単に高価な買い物をすることではない。それは、ひとつの文化遺産を受け継ぎ、その保護者となる責任と、その価値を享受する喜びを手に入れることだ。
あなたの人生には、どのような物語があるだろうか。
あなたが成し遂げたこと、これから成し遂げたいこと。
あなたの情熱、あなたの哲学、あなたの愛。
このF2500を、あなたの物語の証人としてみてはどうだろう。重要な契約を結ぶ日。愛する人にプロポーズする日。大きな目標を達成した日。あるいは、何でもない日常の中で、自らのアイデンティティを確かめたいとき。この50.62gの確かな重みと、曇りのない輝きは、いつでもあなたの胸元で、静かに、しかし力強く、あなたを支え、鼓舞してくれるはずだ。
それは、あなただけのために予約された、世界でただ一つのシェフズテーブルへの招待状。
あなたがこのネックレスのクラスプを留める音は、あなただけのディナーの始まりを告げるゴングとなるだろう。
さあ、席へ。最高のフルコースが、あなたを待っている。
あなたの人生という名の皿の上で、このF2500は、一体どのような輝きを放つのだろうか。
その答えは、これからあなた自身が創り上げていく物語の中にある。
【商品詳細】
* 品名: 最高級Pt850無垢 6面ダブルカット喜平ネックレス
* 管理番号: F2500
* 素材: Pt850(プラチナ850)造幣局検定マーク刻印あり
* 重量: 50.62g
* 長さ: 約50cm
* 幅: 約5.0mm
* 付属品: なし(写真のデコポンは撮影用であり、付属いたしません)
* 状態: 熟練の職人による新品仕上げ済み。鏡面の輝きが蘇っておりますが、あくまで中古品ですので、微細な取りきれない小傷はご容赦ください。その傷ひとつひとつが、このネックレスが歩んできた歴史の証です。
相場が、ついにその真価に追いつきました。
この価値を理解する、次なる所有者様からのご入札を、心よりお待ちしております。