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◆柏原 長宅(かしわばら ながいえ、生年不詳 - 1621年(元和7年))◆
安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将。土佐藩上士。播州赤松流柏原氏。通称は半右衛門。家紋は「左三つ巴」。
播州赤松氏の旧臣・柏原久宅(新之丞)の二男として播磨国に生まれる。母は中村対馬の娘。
1582年(天正10年)、播磨国で父・久宅と共に山内一豊に召抱えられ、はじめ長宅は格別御児扈従として仕えた。1588年(天正16年)、豊臣秀吉の聚楽第へ行幸の節、山内一豊が御束帯を着て供奉する際に、その御太刀持ちとしての御供を仰せ付かる。
1600年(慶長5年)、関ヶ原の戦いの功績により主君・山内一豊が土佐国へ封入されると、御入国御先達の御人数を差下されるに付き、11月18日「御掟御書附」を渡され、先達って土佐国へ入国し、諸事を下知することを仰せ付けられた。その後、知行500石を格別に下し置かれ、御扈従組頭を仰せ付けられた。また、高知城築城の時に一豊が巡視を行った際、一豊と同装束六人衆(野中玄蕃・市川大炊・柏原長宅(半右衛門)・乾宣光(七郎左衛門)・乾和三(猪助))の一人に抜擢され、藩主の側近として仕えている。
◆楠木正成(1294-1336)◆
南北朝時代の武将。河内の土豪。後醍醐天皇の鎌倉幕府討伐計画に応じ、幕府軍を相手に奮戦。建武の中興の功績で河内の国守と守護を兼ね、和泉守護となった。のち、足利尊氏と摂津湊川で戦い、敗死。大楠公。
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