*** 商品詳細 ***
☆・①・『谷中村事件』
~ある野人の記録 田中正造伝~
・著者:大鹿卓/解題: 石牟礼道子
・1975年・374頁・\:8・約:A5判
・本の状態:表紙汚れ・本文は普通
・発行:新泉社
☆・目次
第一章 昭三谷中村に入る/Toukyouの同乗者・谷中村事件の発端
第二章 村の幹部派と正義派・正造白仁知事に説く・利島村石井清蔵の知事謀殺未遂疑獄・買収反対の演説会・風呂場の述懐
第三章 村民堤防修築費に悩む・川辺利島義捐人夫の来援・修築工事の竣工・正義派から脱落者の続出・土木吏たちの出没
第四章 平民社の人々・森の中の買収対策相談会・総代陳情に上京す・東京の焼打事件
第五章 左部の失踪・知事官邸の密談・集団移住はじまる・那須野の移住民・島田宅に於ける正造と木下の対話・哀れな凱旋勇士
第六章 相つぐ移住と人心の動搖・正造急水留工事に奔走・村会で廃村の諮問案を否決・急水留工事の破壊命令
正造と村の子供たち・新紀元社の正造の講演
第七章 土木吏急水留工事を破壊す・板倉沼雷電神社の協議会・島田兄妹の苦衷と正造・正造谷中村の地主となる
共有地競売の公示と正造の予戒令・鈴木管掌村長を面罵
第八章 栃木警察署の正造・木下宅の対話・白仁知事潴水池の無効を認む・残留民結束の契約
正造隠居の風説に憤慨す・新任の久保田知事に説く
第九章 島田宅の寝物語・公判廷の叱咤・毒土埋没作業を激励・桶門を閉塞し漁具を盗む
土地名義人を外部に求む・川鍋の変心 / 146 (0078.jp2)
第十章 川鍋問題の追求・土地収用法適用の認定・夜陰に婦女を拘引・陳情のため村民上京す
足尾銅山の暴動・遠藤の拘留と栄蔵の召喚
第十一章 宗三の試練・島田三郎に質問書を依頼・谷中惨状の撮影・島田の質問演説
正造と木下の対話・官吏侮辱事件の控訴公判・ブース大将と会見
第十二章 麦取畦畔工事の続行・雪解水の侵入・土地収用法取消の訴願・第二回公判・演説会と谷中村視察
第十三章 正造の苦慮・強制執行の命令出る・正造に無罪の判決・乞食論・村民を軟禁して買収を強要・木下の谷中村訪問
第十四章 残留民の最後の集会・生死の誓い・宗三の有志歴訪
第十五章 強制破壊はじまる・村民の抵抗と正造の怒号・松右衛門、長輔の悲劇・熊吉宅の破壊と村民の憤激
第十六章 政五郎庭前の応酬・水野リウの剛気・島田三郎の視察・雷雨中の仮小屋慰問・仙弥の人権抗議
人夫震えあがる・強制破壊終る
第十七章 仮小屋生活・豪雨中の覚悟・事件に対する世論・救済会の有志訴訟を慫慂・大洪水来る・正造の感慨
あとがき /田中正造年譜
☆・②・『田中正造』
~岩波ジュニア新書・231~
・著者:佐江衆一
・1993年・198頁・\:650円・約:文庫版
・本の状態:表紙・本文は少々汚れ
・発行:岩波書店
☆・③・『歴史よ人民のために歩め』
~田中正造の思想と行動・1~
・著者:東海林吉郎
・1974年・289頁・\:1,500円・約:A5判
・本の状態:表紙傷み汚れ・本文は普通~
・発行:太平出版社
☆・④・『谷中から来た人たち』
~芦尾鉱毒移民と田中正造~
・著者:小池喜孝
・1972年・261頁・\:880円・約:A5判
・本の状態:表紙汚れ傷み・本文は普通・小口蔵書印あり・裏表紙に蔵書店シールあり
・発行:新人物往来社
☆・⑤・『草莽の人』~田中正造~(そうもうのひと)
・著者:篠原信雄/著者謹呈・封筒片・直筆氏名有り・栃木市在住
・1985年・356頁・\:3000円・約:B6判・タイプ印刷
・本の状態:表紙・本文は普通
・発行:万籟の会・東京
☆・篠原信雄略歴
1933年・岡谷市生・早稲田大学法学部卒
宇都宮地方裁所書記官
1975年・新人物往来社・『草奔の人』が『小説歴史』全国同人雑誌最優秀作に選出される。
☆・●足尾鉱毒事件
足尾鉱毒事件は、1880年頃から実際の被害が出ていた。
足尾の山々が酸性雨により樹木が枯れ果て、はげ山になり、そして渡良瀬川の鮎の大量死。
亜鉛酸、硫酸を主成分としている鉱毒であったことが1892年の調査により判明している。カドミウムの検出もされている。
次いで渡良瀬川沿いの水田の稲の立ち枯れ。このあたりから沿岸農民の救済を求める運動が始まったとされている。
その中心に立ったのが田中正造である。
沿岸の村々の兵役検査では、病弱者が多くて、兵役合格者がほとんど居なかったというから、これもまた凄い。
1899年では、鉱毒による死者・死産数が1064人(群馬栃木両県鉱毒事務所 調べ)。
帝国議会での田中尚造質疑にこの数値が使用されていた。
渡良瀬川流域の谷中村の廃村だけが有名だが、実は1901年には、足尾地域の松木村、久蔵村、仁田元村の3村が
民を殺すは國家を殺すなり。
法を蔑にするは國家を蔑にするなり。
皆自ら國を毀つなり。
財用を濫り民を殺し法を亂して而して亡びざる國なし。之を奈何。
右質問に及候也。
☆・そして、その議員など全ての地位を捨てた田中正造は、1901年12月10日、
明治天皇への直訴を試みたが失敗に終わっていた。
直訴実行したのは、東京の日比谷公園の角、西幸門前交差点。当時は、この付近に国会議事堂があり、
明治天皇はその議会開会式の皇居への帰路途上。
そして、その113年後、現在の天皇皇后両陛下は、佐野市郷土資料館において、その直訴状「奏」を
ご覧になったとのことである。
・・・・ 草莽ノ微臣 田中正造 誠恐誠惶頓首頓首 謹テ奏ス
伏テ惟ルニ臣田間ノ匹夫敢テ規ヲ踰エ法ヲ犯シテ鳳駕ニ近前スル
其罪実ニ万死ニ当レリ 而モ甘シテ之ヲ為ス所以ノモノハ洵ニ国家生民の為ニ図リテ
一片ノ耿耿竟ニ忍フ能ハサルモノ有レバナリ 伏テ望ムラクハ陛下深仁深慈
臣ガ至愚ヲ憐レミテ少シク乙夜ノ覧ヲ垂レ給ハンコトヲ(以下略)
足尾銅山鉱毒事件の被害者でもあり、救済を政府に訴えた。。
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◎・篠路:S50670.2022.10.14