歩兵第十五連隊(高崎市)発・エンタイヤ 富士鹿第1次改色(新版)4銭貼り 櫛:髙崎:12.8.6 便箋入り、 埼玉県影森村長宛 経年:87年
切手 富士鹿第1次改色(新版)4銭 日専カタログ品番192.発行開始日1931(昭和6).12.-
発信人・宛て名など 歩兵第十五連隊・岡澤久五郎・発・埼玉県影森村役場・あて、封筒表裏面・ペン書き、便箋2葉在中・動員覚悟(ペン書き)
歩兵第15連隊
(ほへいだい15れんたい、歩兵第十五聯隊)は、大日本帝国陸軍の歩兵連隊のひとつ。西南戦争後の軍備拡張によって、群馬県高崎市にて創設された。日清・日露戦争から、満洲・上海両事変、日中戦争、太平洋戦争とほぼすべての戦役に参加。終戦時はパラオにあった。通称号/略称:照7757、補充担任:高崎連隊区 - 前橋連隊区、上級単位:東京鎮台 - 第1師団 - 第14師団
沿革
1884年(明治17年) - 編成開始。
1885年(明治18年)7月27日 - 軍旗拝受、東京鎮台第1旅団隷下。
1887年(明治20年) - 編成完了。
1888年(明治21年))5月 - 東京鎮台を廃し、第1師団を創設。その隷下に入る。
1894年(明治27年) - 日清戦争に従軍。
1904年(明治37年) - 日露戦争に従軍、第2軍隷下として金州城、南山攻略に参加。その後乃木第3軍に移り、旅順攻囲戦に参加。
1907年(明治40年)9月 - 第14師団歩兵第28旅団(宇都宮)の隷下に入る。
1919年(大正8年)4月 - シベリア出兵に従軍。
1927年(昭和2年)4月 - 関東軍隷下となり、満洲の旅順に駐留。
1928年(昭和3年)5月6日 - 山東省青島市に進出、済南、奉天省奉天などを転戦。
1929年(昭和4年)4月 - 帰還。
1932年(昭和7年)3月 - 第一次上海事変勃発とともに上海に出征。5月 - 満洲事変勃発とともに北満に転戦。
1934年(昭和9年)4月 - 帰還。11月 - 陸軍特別大演習に参加。兵営庭が賜饌場となる。
1935年(昭和10年)9月26日 - 集中豪雨に見舞われた高崎市内で救援活動中、兵士7人が濁流に飲まれ全員死亡、行方不明。
1937年(昭和12年)8月 - 日中戦争勃発とともに大陸に出征、永定河渡河作戦に参加。その後、保定、彰徳、山西省、徐州を転戦。
1939年(昭和14年)12月 - 高崎に復員。
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影森町
(かげもりまち)は、1958年(昭和33年)まで埼玉県の西部、秩父郡に属していた町。
歴史
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、上影森村、下影森村が合併し秩父郡影森村が成立する。旧村は影森村の大字となる。
1917年(大正6年)9月27日 - 秩父鉄道秩父本線秩父 - 影森間が開業され、地内に影森駅が開設される。
1956年(昭和31年)9月30日 - 浦山村を編入、町制施行し影森町となる。
1958年(昭和33年)5月31日 - 秩父市へ編入され消滅。
村名の由来は、地内の森林が武甲山の山影になる場所であることから。
経年 87年 消印から
状態
切手は、開封時上部一部目打切断品です。
便箋には、折り畳み跡、黄ばみ、焼け、シミがあります。製造社銘は「チヨダ」です
美品希望の方、神経質な方には向いていません。
開始価格 現行定形郵便料額の1.55倍としました。 110×1.54=170円...
最少額送料は110円(定形郵便)です。 包装紙等に包装紙などにリサイクル用紙類を用いる場合があります。
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