
帝室技芸員三代清風与平の紫磁釉銀彩花瓶を出品致します。本作は、古美術情報誌「小さな蕾」2023年5月号にて関和男氏が紹介された品物です。(添付写真参照)
明治21年3月に「紫釉に銀画の焼法の新工夫」として清風与平が発明発表している技術を用いた作品になります。関和男氏の研究書所収の銘のリストを参照すると、本作は明治25年前後に制作されたものであることがわかります。また、明治25年に開催された日本美術協会美術展覧会に清風与平は紫釉銀描壺を出品していますから、本作はその時に出展された作品であると考えられます。紫釉銀彩の技法を使った作品は極めて珍しいと言われています。
寸法は高さが21.5cmです。ワレ・カケ・ヒビなどの瑕疵は一切ありません。非常に良い保存状態です。共箱はありませんが、東京国立博物館と取引のある老舗桐箱店に特注した誂箱が付きます。
1890年(明治23年)に施行された帝室技芸員制度において、横山大観・竹内栖鳳・黒田清輝・富岡鉄斎・梅原龍三郎などの明治を代表する芸術家79名が帝室技芸員に任命されました。しかしながら、陶芸界から帝室技芸員に選ばれたのは、その60年近い歴史の中で、三代清風與平(与平)・初代宮川香山・初代伊東陶山・初代諏訪蘇山・板谷波山の僅か5名しかいません。これに比べて、現在の重要無形文化財保持者(人間国宝)の制度において選ばれた陶芸家が38名いることを考えれば、帝室技芸員の選定基準が如何に厳しかったかが分かると思います。
1878年(明治11年)に三代目を襲名した清風与平は、国内外の博覧会・展覧会で受賞を続け、1890年(明治23年)の第三回内国勧業博覧会で妙技一等賞を受賞したことにより名前を知られるようになりました。そして1893年(明治26)には、弱冠40代で陶芸界初の帝室技芸員に任命されました。しかもその2年後には京都陶磁器業への発展貢献に対して、陶工として史上初の緑綬褒章を受章しています。
東京国立博物館所蔵の白磁蝶牡丹文大壺はシカゴ万国博覧会の受賞作品であり、明治時代の京焼で初めて重要文化財に指定されています。イギリスの大英博物館に約20点、アメリカのボストン美術館に12点、ミシガン大学美術館に36点など、各国の博物館・美術館に三代清風與平の作品は所蔵されています。
このように、欧米や中国の美術館や美術品市場において三代清風与平が高く評価されているのに対して、日本における清風与平の知名度はまだ決して高いと言えませんでした。しかしながら、ここ数年の近代日本の工芸品再評価の流れの中で漸く清風与平も再発見されているようです。
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(2025年 8月 11日 6時 31分 追加)明治陶磁器のブログも書いております。宜しかったらごらんください。 https://karatsu.hatenadiary.com/