戦前 旧制 東京高等工業学校 (現・東京工業大学)メダル 記念章 勲章 蔵前時代 1921年 骨董品 当時物 希少

戦前 旧制 東京高等工業学校 (現・東京工業大学)メダル 記念章 勲章 蔵前時代 1921年 骨董品 当時物 希少 收藏

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同校は明治14年創設の東京職工学校を起源とし、明治23年に東京工業学校、明治34年に東京高等工業学校となり、昭和4年に旧制東京工業大学に昇格しました。戦後は新制東京工業大学として現在まで発展を続け、産業界を中心に日本経済に貢献する人材を輩出する名門工業大学です

東京工業大学のはじまり

創立から140年の歴史を持つ東京工業大学。東京職工学校として誕生し、関東大震災を経て、1929年東京工業大学に昇格するまでの本学の創世記、蔵前時代についてご紹介します。
東京職工学校の設立
東京工業大学は、1881(明治14)年に東京職工学校として設立されました。開国から間もない明治初期、産業技術の近代化を推進するべく人材の育成が急務であった時代背景のなかで、欧米の先進的科学技術を取り入れた工業技術教育の制度整備が順次行われていきました。その先駆けとして、1873年に工部省の工学寮工学校がわが国最初の国立工業学校として設立されます(1877年工部大学校、1886年東京大学に合併)。
一方、文部省は、現場技術者およびその指導者育成のため中等程度の実用的な技術教育の必要性を訴えたG・ワグネルの建議を受けて、1874年、東京開成学校内に「製作学教場」を設置しました。製作学教場はまもなく(1877年)廃止されてしまいますが、ワグネルや当時文部省で教育博物館長補を務めていた手島精一らが中心となり、引き続き、中等技術教育の必要性について議論が繰り返されました。文部省内にも九鬼隆一や浜尾新といった有力な工業教育推進論者が現れ牽引役となっていったことで、1881年4月8日「職工学校ヲ東京ニ設置スヘキ件ニ付伺」が太政大臣三條寶美宛に提出され、5月12日付で裁可、同26日、文部省は東京職工学校の設立を通告し、ここに本学が誕生することとなりました


(2024年 8月 24日 1時 07分 追加)
煙突のある所蔵前人あり
設立を通告された東京職工学校は「職工学校ノ師範若シクハ職工長タル者ニ必須ナル諸般ノ工芸等ヲ教授スル」(1881年制定「東京職工学校規則」)ための、学科課程を整え、校地となる浅草区蔵前(現・台東区蔵前)の浅草文庫の建物にて、新校舎建設と開学準備が行われました。
 初代校長に正木退蔵が就任し、機械工芸科と化学工芸科の2科で開始、1887(明治20)年7月には第1回卒業式を迎えました。それまでの徒弟制度の下での技術伝承から近代的な科学技術の教育への転換には、社会的な環境整備も伴わなくてはならず、開学当初は生徒が集まらないなど大変な苦境に立たされたといいますが、1884年にはワグネルが就任し、東京開成学校製作学教場の理念と方法を継承した教育の実践により、陶器やガラス、漆器など当時の日本の実情に見合った軽工業の大規模生産技術を推進したことは、本学のその後の発展の基礎となりました。
 1890年、退任した正木の後を継いで手島精一が第2代校長となります。当時、東京教育博物館館長であった手島は、海外留学経験と岩倉使節団への随行、パリやフィラデルフィアの万国博覧会への洋行を通じて得た見識と実践の手腕から、工業技術教育のパイオニアとして高く評価されていました。校長として25年の長きにわたり、産業の近代化に沿った学科設備の拡充と教育レベルの引き上げを行い、日本各地の工業学校の指導者、産業界のリーダーを数多く輩出する高等専門学校へと、本学の発展を牽引しました。
 浅草蔵前の地に開校した東京職工学校は、その発展と共に、1890年「東京工業学校」、1901年「東京高等工業学校」と改称が行われてきました。特に東京高等工業学校時代は約20年以上にもわたって、「煙突のある所蔵前人あり」といわれるほど豊富な人材を生み出し、1923(大正12)年9月1日の関東大震災ですべてを灰燼に帰すまで、蔵前の地は工業技術教育発展のめざましい活動の舞台となったのでした。
1924年、本学はキャンパスを現在の大岡山に移し、1929(昭和4)年「東京工業大学」となりました。
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