14×20.1㎝
【題箋】墨書、左側に『家秀御詠』
右側に「文化二(1805)年註之」とあり。
【体裁】横長に沿って切った物を二つ折りにした紙を重ねたもの。従来の袋とじだが、横長になっている。
ただ、途中で、袋部分を切ったか(隣り合わせの紙の面が「裏・裏」の場合は袋切れの可能性有り、)、または同じサイズの紙を挟んだかよくわからないが、一枚の紙の片面に書かれているものが結構多く見つけられる。
従って、丁付けでは無く、頁で示した。結果、48頁に数えられた。(数え間違いがあるかもしれないが、その節はご容赦を!)
【内容】
『家秀御詠』なのだが、彼の素性は、調べてみたが不明。
本文中に出てきた「人名」を調べても、彼らに該当する人物は「森正賀」以外無し。一応以下に挙げてみると
・森正賀六十二の賀に 7頁
森正賀
『森正次家系実録』は赤穂藩重臣森衛守正賀が編纂した赤穂藩重臣森縫殿家の家史。乾坤2冊からなる。成立は文化8年(1811)11月。
森正賀は森可成の弟對馬守可政5男河内正次を祖とする赤穂藩重臣縫殿家の当主で、正賀と子の縫殿賛張も「森家先代実録」の編纂に携わっただけでなく、自らも自家の文書を参考として「先代実録」編纂の用に供した。「家秀」が森正賀と知り合いだった可能性は、十分ある?
表紙の右端の「「文化二年註之」を否定するものでもない。
・高橋種純の六十賀に 9頁
・米倉洪園は七十歳の齢と云々~以下略~ 10頁
・榊原侍従の居致仕の定 10頁
・往事催眠涙山本氏 三回忌 11頁
・角川→隅田川
・失端(?)大中の五十賀
「森正賀」以外はヒットせず。『森正次家系実録』を文化八(1811)年に編纂しているから、この「家秀御詠」もその頃のものだろう。
【因みに】上記登場人物の内「山本氏」の表記には違和感があった。江戸時代、「賀」などの行事に「○○氏」が使われたのか。ひょっとして「明治時代以降」なんて思った。とすると、『森正次家系実録』の文化8年(1811)とはズレてしまう。
【刊期等】不明。
表紙右端に「文化二(1805)年註之」とある。
※全体的に、経年によるくすみ、汚れあり。
※経年による紙の劣化、変色、斑点状の染み、多数あり。
※梱包材の再利用に努めています。ご理解下さい。
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