※誤解を避けるために、以下を追加します。 ① 司令部印が黒字で印刷されていることへの疑義が呈されました。先にも触れたように、当時は赤色インクの十分な供給ができず、また赤インクの品質の不安定さもあり、「赤紙」といえども、「赤色」ではなく、「藤色」「ピンク」に近い色の紙(台紙)に印刷されていました。「深紅」の「赤紙」は存在しません。司令部印に「深紅」に近い「色」を使用することもありません。中央で作成した「赤紙」の「ひな形」があり、その用紙を用いて、それぞれの聯隊区司令部で必要事項を加刷して使用していました。印も当然に「黒色」で印刷されました。 ② 黒色印刷で、「命を召し上げられる」ことは「おかしい」との指摘もありました。今で考えれば、「妥当な考え方」でしょうが、戦争中の「逼迫した」状況の中では、「人権」だの「不合理」だのということは、表明できませんでした。そうした「行動」には 特別高等警察(特高)が厳しく取り締まっており、自由な批判や意思の表明は、「命がけ」でした。「赤紙」に対して、当時の「風刺」に「一銭五厘で戦場へ」というのがありました。正確には、赤紙が発行された当時は、はがき代金の改正後で、1銭五厘ではなかったこと、さらには「赤紙」は、封書で送られることはあっても、はがきでは「あり得ない」ことは事実ですが、この「一銭五厘で戦場へ」というのは、「人権」「抑圧」「不合理」等々を象徴的に表現しています。いずれにしても、わずかな郵送料で「召される」のは事実。そこには、「赦せない」だの「おかしい」だの「あほらしい」だのという「民衆の嘆き」は表面化しません。「赤紙」はただ「無条件に受け取る」だけです。印のインクの色など、「度外視」されます。 ③ちなみに、この「赤紙」は「●●警察署管内」というような標記が入れられ、拒否し難い形式をとっていました。拒否すれば、警察が介入するというニュアンスを感じさせる標記です。 郵送ではなく、地域の役員や役所職員などが持参もしていました。本人に直接手渡しするのが普通ですが、家族などで「代理受け取り」もされていました。