日本の武道 素養 「能・書・花・茶」 武士の素養 武道と芸道
講談社
昭和58年発行
セット価格 188,000円
約30×22×3cm
カラー・モノクロ
175ページ
※絶版
日本の武道全集本のうちの一冊。「素養」。
(日本の武道)
現代武道十種目を中心として、各種武道における、それぞれの技術や歴史、開祖の教え、
伝書などの参考文献も含めて、その思想哲学から現代の組織化されたスポーツとしての側面についてまで網羅した全集。
豊富な写真、資料などの写真図版はもとより、昭和末期刊行当時の、
その道の最高峰・第一人者たちを執筆陣としたもの。
そのうちの 素養[能・書・花・茶]。
武士の素養として欠かせない能・書・花・茶をあげ、日本の武道との密接なかかわりについて掘り下げて解説。能楽の大夫、金春七郎氏勝は柳生但馬守(石舟斎)宗厳の愛弟子として新陰流の奥義を極めたのみならず、宝蔵院流の槍、新当流長太刀、大坪流馬術の伝書をも相伝し、自身で兵法伝書を著わしもした武芸者でもあった、などの内容から、花の項では武士の儀礼における立花について図版や伝書などもあわせて解説、書の項では、主な武将の書をそれぞれ取り上げて図版とともに解説。日本の伝統文化、芸道を武道の目線で紐解いた、大変貴重な資料本です。
『日本の武道』刊行にあたって 編者代表 今村嘉雄 (シリーズ全体の序文より)
「日本のこころ」と武道
現代の武道は、いわゆる古流武道を伝承発展させたものである。古流武道は、われわれの遠い先祖が狩猟を生産活動としていた時代に源を発し、狩猟法からしだいに武技、護身術として発達し、室町時代の後期ごろに流派として素朴な体系をもつようになった。これらの古流武道は、原始的な神霊思想(シャーマニズム)とも関連し、さまざまな祭典や儀式の行事として、また貴族や武家の練武と遊びを兼ねた狩猟活動として、さらには「通し矢」などのような近代的ともいえる記録競技や、江戸時代の藩校に見られるような教科活動として、活発に行われてきた。とくに競技的、教科活動的な側面が現代武道として継承、発展しつつあるとも言えるであろう。
一方、古流武道は神道・仏教(顕・密両教、とくに禅)・儒教・老荘思想、さらには国学思想などとも深いかかわりをもつことによって、日本人としての道徳観や美意識の確立に大きく寄与してきた。これらの思想は、その技法とともに現代武道に伝承され、さらに高度の西欧的な教養を加えて、日本国民の精神構造の基盤をなしている。
戦後、武道は急速に国際化し、昭和三十九年(一九六四)の東京オリンピックには正式種目として「柔道」が加えられた。欧米の産業人や青年層には、今や武道を通して日本人の心を知ろうとしている人たちが急速に増加しているという。戦後数十年で目ざましい経済成長を遂げた原動力を武道の心に求めようとしているのである。もし「武道の心」が新渡戸稲造の言う「日本のこころ」(soul of Japan)に含まれるならば、欧米人の発想は必ずしも短絡に過ぎるとは言えないかも知れない。
しかし日本はいま政治、経済、外交、教育等いずれの面においても、決して楽観が許される状態ではない。とくに教育の荒廃は、それが先進諸国に共通の悩みとはいえ、この複雑な症候群への対策こそは最も急を要する深刻な課題である。
この『日本の武道』は、武道が日本人固有の最もすばらしい文化財の一領域であるという認識に立ち、二十一世紀の日本を展望しながら、新しい時代に即した武道による社会秩序の教育的再建を、健全な良識をもつ人々に広く呼びかけようとするものである。
本叢書では、まず武道の成立過程やその思想的背景を大観しながら、武道の古典の中にそのまま現代武道の学習に通ずる技法・心法の妙があることを示すとともに、それらが現代武道にどのように生き生きと、しかも力動的・合理的に実現されているかなどを、現代武道十種目を中心に実証しようと試みた。すなわち数十ページに及ぶ口絵に事理一元(技と理論との一致)の武道精神を象徴化し、本文では豊富な連続写真、図解などによって技法の分析的かつ総合的な解明を試みた。
その場合、当然ながら武道とスポーツの関係が解明されなければならない。武道と武士道との関係、武芸または武術と武道との関係も同様である。武道が競技的な側面を持つことは当然のことながら、西欧スポーツは本質的に「遊び(プレイ)」を前提とし、武道は本質的に「人間形成(修身)の行い」であることを前提とする。それは嘉納治五郎が「競技」という用語を避けて「大日本体育協会」とし、「スポーツ振興法」(昭和三十六年制定)が、競技的・非競技的な運動を含めて、スポーツは「心身の健全な発達を図るためにされるもの」と規定したのと同軌である。いずれもスポーツ解釈の武道的・日本的把握とみてよい。
なお本叢書では、武道と特に関連の深い、美術、伝統芸能(茶・書・能・花)をはじめ、禅、儒、養生訓までを採りあげた。冒頭にも述べたように、武道をわが国固有の根源的な文化財として総合的に把握することを編集基本方針の一つとしたためである。
また、先にも触れたように各武道の巻頭には独特の導入ページ(口絵)を設け、それぞれの武道の精神を視覚的に把握できるように工夫した。さらに本文のまえに、武道を志向する読者の精神的な支えとなるような特別読物を、広く各界の権威の方々から寄稿していただいたりして収める等の配慮を加えた。
この『日本の武道』は、直接には学校や職場や町なかにあって、みずから武道にはげみ、またその指導に当っておられる方々、武道を職務の一端とされている警察官、自衛官、および有段者を含む一般の武道愛好者の方々を対象として編述したものであるが、それらの方々の子弟である学生・生徒の諸君にもぜひ愛読されるよう心から熱望してやまない。
【目次より】
●巻頭カラーモノクロ写真解説
目次
芸能の世界
●能と武道
世阿弥の芸論と武道
能の大成と世阿弥
諸道に通じる世阿弥の習道論
世阿弥伝書の武道関係の説
金春禅鳳伝書の兵法説
室町時代後期の能と金春禅鳳
禅鳳の兵法説
「当流」の語義
金春七郎氏勝と兵法伝書
武芸者金春七郎氏勝
祖父金春喜勝と父の金春安照
金春七郎氏勝の生涯
氏勝の芸風と業績
金春家旧蔵の兵法伝書と氏勝
柳生石舟斎兵法百首
兵法伝書と能楽
能役者と武芸、武士と能
『兵法家伝書』と柳生宗矩と能
『兵法家伝書』と能
世阿弥の能楽論と『兵法家伝書』
●武人の書
境涯の書
書とはなにか
書の美の特質 抽象性・精神性
書り芸術性 有書法と無書法
平安から桃山に至る書の流れ
古筆の愛好と古筆家の創立
寛永の三筆と武人たち
唐様の書
奈良時代から江戸時代の武人
●花と武士
花の面影
花道の成立
花の伝書
花の形姿
花と武道の和合
立花
袈裟切
ぬきとおし
鍔…悪し
鍔に見る「花」
強弱
巻藁に矢を
一色
兵法と花の伝書
灌頂
躾と式法
間合い
花の次第
名詮
城中の花
軍陣の花
草木を切る
水を切る
呪文
目遣い
法式における花
座敷飾り
元服の儀式
元服花の草木
出陣の花
勝つ「まじない」
布陣のさし口
他家を切る
●茶の湯の世界
わび茶への道
喫茶のはじまり
茶会の成立
心の茶の湯
わび茶の完成
茶のひろがり
大名茶の成立
三千家・宗旦四天王
松平不昧と井伊直弼
個人技の世界
境地の伝達
武道の文化体験
茶能の展開
●編集委員
代表 今村嘉雄 束京教育大学名誉教授・文学博士
老松信一 前全日本柔道連回事務局長
江里口栄一 日本武道館理事
伊保清次 中京大学教授
植芝吉祥丸 合気会理事長
藤原稜三 国際武道アカデミー理事
醍醐敏郎 警察大学校教授
鈴木義孝 日本少林寺拳法連盟理事
入江康平 筑波大学助教授
桑田忠親 国学院大学名誉教授・文学博士
鎌田茂雄 東京大学教授・文学博士
表章 法政大学教授
【能と武道 より 一部紹介】
金春七郎氏勝と兵法伝書
・武芸者金春七郎氏勝
能楽と武道とが深いかかわりを持っていることを示すもっとも端的な現象が、金春七郎氏勝のごとき武芸者が能役者から出現している事実であろう。柳生但馬守(石舟斎)宗厳の愛弟子として新陰流の奥義を極めたのみならず、宝蔵院流の槍、新当流長太刀、大坪流馬術の伝書をも相伝し、自身で兵法伝書を著わしもした氏勝は、大和猿楽四座の本家格だった金春座の、初代禅竹から数えて七代目の大夫(一座の代表者)であった。レッキとした能役者だったのである。
その金春七郎氏勝の事績は、かれが能役者としてはさほどの業績を残していないためか、あまり詳しくは知られていない。かれが相伝されたり著述したりした兵法伝書の紹介は後まわしにし、まずかれの経歴を調べてみたい。能役者でありながら兵法者でもあった氏勝のごとき特異な人物が出現した背景を知るためにも、氏勝の祖父や父のことから言及する必要があろう。(略)
【花と武士 より 一部紹介】
立花
武士の習いの一つに「相手をよく知る」ということがある。
もしも、戦国の時代であれば、自ら進んで、「我」のことを、「相手」に対して説明をする必要はまったくないことである。「我」という読者は「相手」という「花」をよく知っておくことが大事なことである。
さて、この「花」が誕生した時代は、室町時代の応仁文明の乱の頃であった。-その「花」が時代の流れとともに多様な展開を見せて今日までも伝承されている。
ここで、下に掲げた写真を見てほしい。これは、「花」の一つで「立花(りっか)」と呼ぶ。
この立花がこしらえられた時代は江戸初期の貞享元禄頃で、当時の「花」の写し絵(木版刷り)である。作者は不詳であるが、池坊の門弟である立花者がこしらえたことは間違いない。この花形絵の説明に見られる「心」「副」
「請」「正(心)」「見コシ」「流枝」「前置」「胴」「扣」「草留」「ウシロカコイ」は、この立花一瓶をこしらえた約束の「道具」(人切な構成要素)名である。たとえば、武士の体や身にまとう鎧の部分名称と考えられたらよい。
また「松」「源平桃(紅・白の色)」「ヒノキ」「ビワ(枇杷)」「ツゲ」「白椿」などは、この立花に取り合せた草木のことである。立花は、こしらえの道具が多く「花」長けの寸法も大きい。
この立花に使用された花瓶の寸法は、天地約三十センチメートルの銅器である。「心」の長けは花瓶の四倍であるから、一メートルニ十センチほどになっている。
このような「花」を、武士が茶道や能をたしなんだように嗜んだその記録は少なくない。
・袈裟切
立花をこしらえる時に、大葉とか広葉といって「ビワ」の葉だけを取り合せる手法がある。下に掲げた立花の花形絵にもその枇杷の葉を五枚、表葉と裏葉を見せて挿し
ある。特に立花では枇杷の葉の表現が強くしまりがあることから花形全体のしまりを作るために好んで用いられる。このような葉をもつ枇杷の幹は、武士によって木刀の材料とされていることは面白い。
木刀では人を袈裟切にすることはでき得ないが、真剣であれば容易にできる技かもしれない。わたしは兵法の門外漢であるから「袈裟切」の語源も技の呼吸も詳しくは知らないが、その意味は僧衣の上に打ちかける布(袈裟)の姿のように、左の肩から右の脇にかけて刀で人を斬りさげることである。
立花一瓶の形姿の中に、このような袈裟切のように見える姿に枝や柴(大葉)を扱ってはいけないという口伝が、寛永七年(一六三〇)の奥書ある花道伝書の『臥雲華書』(宮内庁書陵部蔵)に記してある。
寛永といえば、その九年には柳生新陰流の伝書である『兵法家伝書』が成立した時代である。いま、兵法の伝書の中から「袈裟切」の用語を見いだす余裕はないが、「花」の芸道に、兵法者の技の用語が使用されて立花の嫌いことを口伝していることは興味深いことではなかろうか。武士が立花を稽古するときに、立花の師が相子の知っている型とことばで教えこむことなどは芸の技を明解に理解し習得でき得た人物の相伝方法でもあった。
ほか
★状態★
昭和58年発行のとても古い本です。
金箔押し布張り上製本の外観は経年並良好、
天小口に経年並ヤケ・しみなどそれなりにあります。
本文カラー写真図版良好、目立った書込み・線引無し、
問題なくお読みいただけると思います。(見落としはご容赦ください)