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■各119.1×44.8㌢
■各紙本・軸装(205.5×60.5㌢)
■二重箱(1本づつ箱入で3本まとめての箱です。)
■狩野探幽外題
■狩野益信折紙
■鴛鴦図(印)中寿老人図(落款・印)燕図(印)有
■金澤闡秘録(『東都茶会記』抜刷)・高橋箒庵(義雄)著(132ページ掲載)昭和63年6月20日印刷
■金澤闡秘録よると全般当時本多家へ嫁入り道具として持参した物と記載してある。
■金沢市男爵本多家及某氏御所蔵品入札目録掲載一京都美術倶楽部/大正2年(1913)年
■所載された売立目録より、加賀藩(現・石川県)前田家の筆頭家老で、加賀八家の一つに数えられた本多家の旧蔵品です。
■その後 男爵本多正樹伝来(本多家13代当主)貴族院男爵議員
■本多正樹■
経歴
加賀八家本多家第12代当主・本多政以の長男として生まれる[1][3]。父の死去に伴い、1921年8月10日、男爵を襲爵した[1][3][4]。
京都帝国大学法科大学を修了[2][3]。1921年、金沢商業会議所特別議員となる[2]。以後、金沢商業会議所顧問、日本輸出織物染色工業組合連合会理事、森田染工場代表取締役、丸文機業場代表取締役、加州銀行取締役、内国貯金銀行重役などを務めた[2][3]。
1932年(昭和7年)9月29日、貴族院多額納税者議員に任じられ[5][6]、1939年(昭和14年)4月28日まで1期在任[2][7][8]。1942年(昭和17年)3月28日、貴族院男爵議員補欠選挙で当選し[9][10]、公正会に所属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[2]。
■状態■
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