【定価95,000円・川口鼈甲店】新品 本べっ甲 白甲螺鈿K18シルバークローバーリーフ 髪留め

【定価95,000円・川口鼈甲店】新品 本べっ甲 白甲螺鈿K18シルバークローバーリーフ 髪留め 收藏

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ご覧いただきありがとうございます。
わたくしどものお店の創業は明治14年(1881年)でございます。
創業から数えて143年になります。
当店は長崎市浜町で鼈甲製品の専門店として営業させて頂いてまいりました。
2001年に4代目店主であるわたくしが過労で倒れ危篤状態になり意識が戻ったときには
腎臓が壊れてしまっていて人工透析を導入されていました。
気力・体力の充実を図れなくなった自分にはお店の維持は無理であると判断して
鼈甲の専門店を閉店致しました。
クレジットカード会社.日本ダイナースクラブ勤務で退職後に東京から軽井沢へ移住した友人から
”天井のないホスピタル”といわれている信州浅間高原の小さな田舎町での転地療養を勧められ
2002年に長野県北佐久郡軽井沢町に転居
体調の好転に伴い 夏の間だけ避暑地軽井沢の老舗ホテルで“Nagasaki Presents.長崎からの贈り物”というコンセプトで小さな展示会をさせて頂いてまいりました。
しかし年齢とともに会場の設営や撤去が体力的に厳しくなってまいりましたので
2006年をもってお客様への対面販売を終了致しました。

1994年にワシントン条約で鼈甲の原材料である玳瑁(タイマイ)亀の輸入が禁止されてしまいました。
玳瑁はすべて赤道直下の国々からの輸入品です。
そのため鼈甲職人が備蓄しております玳瑁を使いきってしまったところで
そう遠くない将来 鼈甲は日本国内の店頭から姿を消してしまう希少価値のある逸品です。
わたくしごとですが
わたくしどもには子供がいませんので 当店はわたくしの代で鼈甲販売を終了致します。
4代続いた川口鼈甲店としての終焉を迎えるにあたり
このままわたくしが商品を保管し続けておしまいにすることは良くないのではないか
と思うようになりました
それで手元にございます商品をわたくしどもが考えております製造原価プラスαという価格設定で
!ショッピングや楽天市場で販売させて頂くことではなくて
鼈甲のアクセサリーを末永くご愛用していただける方々が
ご納得して頂けるお値段でお買い上げくださることが良いのではないかという主旨で
安価なお値段で!オークションに出品させて頂くことに致しました。

1969年(昭和44年) 長崎国体御出席のためご来県される昭和天皇の当店へのお立ち寄りというお話を
大正時代から宮内省各宮家へのお出入りを許されていたという繋がりで 
宮内庁から長崎県庁を経由して直々にいただいたとき
祖父は悩み抜いた末に
「陛下を長崎浜町商店街のなかにお招きするということは 警備のためにアーケード街一帯を一日閉鎖することになる。
 そうなると商店街の店々に多大な迷惑をかけてしまう。
 百貨店2軒を含めて150店すべてのお店の一日の売上を迷惑料として保証する余力はない」
という理由で辞退したのだそうです。
そういう経緯がございましたので 昭和天皇は江崎べっ甲店へお立ち寄りになられました。
その代わりに長崎県庁の応接室で陛下にご覧いただくための置物 「鯛の菓子入れ」 をおつくりしました。
この事実は祖父が同業者のなかでいちばん親交の深かった垣立忠雄氏から祖父の忌明け法要の酒席で伺いました。
「当時 君のおじいさんは お酒の席で寂しそうな顔をして
 『ほんとうは陛下にいらしていただきたかった。
  でも 自分の名誉と周りの人達への迷惑を天秤にかけたとき どうしてもできなかった。
  苦渋の決断だった … 』  
 と呟いていた。
 いまの若い人たちにはわからないと思うけど
 僕や君のおじいさんが若い頃は 家の仏壇や神棚に天皇陛下の御写真が飾ってあって
 その御写真に向かって毎朝礼拝していた。
 天皇陛下は神様だった」
後日 祖父は皇居で昭和天皇とご拝謁 数分間お話をさせていただくという名誉を賜わりました。
会話の最後に
「健康で永く生きて 素晴らしい鼈甲をつくり 後世に遺してくれることを 朕は希望します。お元気で … 」
という御言葉を賜わったそうです。
祖父は無口で一日じゅううほとんど口を利かない人でしたが
晩酌のときには別人のように饒舌になり 多種多彩な話題について広く深く語っていました。
しかしこの一連の出来事をわたくしには一言も口にしませんでした。
後日)祖母から
「陛下とのお約束があるから元気にならなければ。
 陛下より若い自分が陛下よりさきに逝くわけにはいかない」
と亡くなる前日まで自分を奮い立たせるように小さな声で言っていたことを聞かされました。
商品をおつくりするとき一切の妥協を許さない という他を寄せ付けない厳しい眼光の奥には
陛下との御約束を守らなければいけないという信念があったのだろうと思います。

劣勢な状況下で最後尾の箇所を担う大役を 殿 (しんがり) といいます。
わたくしに務まることではないということを踏まえつつ
一人でも多くの方々に接着剤ではなくて水と熱と圧力を駆使しておつくりした鼈甲に触れていただきたい
という思いで商品をご紹介させていただいております。


営業許可免許
特定国際種事業者(象牙・タイマイ類等販売免許) 事業者番号 B-196 

川口鼈甲店ホームページ   http://kawaguchi-bekkou.sakura.ne.jp/index.html


本鼈甲製 髪留め 
縦 約1.9センチ(最大部)  
横 約7.8センチ(最大部・金具除く)
厚さ 約2.5ミリ(最厚部)  
クローバーリーフ部分 螺鈿K18シルバー
金具 銀メッキ


白甲と称される透明度が最も高く
重ねましても濁りがまったく見られない
特別な原材料でおつくりした髪留めでございます。
柔らかなラインでつくられたかたちは
やさしく吹く春のそよ風のようであり
クローバーリーフの咲く草原のポエティックな風景が
小さなアクセサリーのなかに美しく表現されています。
クローバーリーフにはK18 浅緑色の青貝 シルバーをお使いしました。
光の当たる角度によりましてリーフがキラキラと輝いたり
静かな光を宿したり 
様々に変化いたします。
楚々とした清らかで可憐な自然の姿を
洗練されたラグジュアリーなグレードまでに高めた逸品です。

この商品はわたくしどものお店では一度も店頭にお並べすることはございませんでした。
祖父が大切に仕舞っておいたものでございます。
明治38年生まれ 身長172センチ 体重80キロ
当時としては頭一つ飛び抜けていたそうです。
わたくしの高校時代の数学の恩師 石井先生は祖父より少し年上でした
「学生の頃 君のおじいさんは僕より3歳後輩だったけど怖くて近寄れなかった」
というむかしばなしを伺いました。
夕食の際 晩酌をしている祖父に話したところ
「そうだろうなぁ。3~4歳年上の上級生 怖いと思ったことはなかった」
と笑っていました。
その祖父は若い頃 志願して陸軍に入隊 中隊長まで昇りつめました。
そういう豪傑を絵に書いたような頑強な祖父が筆を握ると繊細で緻密な絵を描く
怖くて温かい 深い洞察力のある人でした。
この髪留めを眺めるとき
ロマンティックなものを好む儚げな祖父の一面が垣間見えるような気がします。
いま振り返るに お客様にお買い上げいただく心づもりはなかったのではないか
という仕舞い方でございました。
しかし川口鼈甲店はもうすぐ店じまいでございます。
仕舞う とは 終わりにすることです。
であれば
この最高級のなかの最も最高の白甲に素晴らしい螺鈿を施した
祖父が大事にしていた髪留め
大切に使ってくださる方のもとへ
という想いで出品させていただきます。

このデザインの商品はこの一点でおしまいでございます。


そう遠くない将来 かならず訪れる川口鼈甲店の完全閉店
突然わたくしが倒れておしまいになることを想定して
昨年の秋に挨拶文を書かせていただきました。
虫の知らせ ということだったのかもしれません。
10月の下旬に体調を崩してかかりつけの東京の病院に入院しました。
12月の上旬には昼食後激しい腹痛で長野県内の病院に救急搬送されました。
そしてはっきりとした原因がわからないまま症状が落ち着いたということで
数日で退院することができました。
そういう経験をいたしましたので
一期一会 
これが最期の出品になる
という意識を頭の真ん中に留め置いて
デスクトップパソコンに向かっています。


商品が自らの意思で嫁ぎ先である落札者様を決めているのではないか
そう思うことがあります。
商品を落札してくださったお客様との取引メッセージは
言葉ひとつひとつ紡いでいくように文章を書き記していく
独特のコミュニケーションです。
多くのお客様が購入に至ったいきさってくださいます
わたくしの手元にある鼈甲製品は休眠状態
お客様にお着けいただいて 
他の方の目に留まり
心の琴線に触れるとき
その商品は息を吹き返してきらめきを取り戻すのではないか
オークションで数名の方に入札していただくなかで
目に見えない入札者様方の想いが交錯して
落札してくださる方が決まっていく
この商品を絶対に欲しい といちばん強く想ってくださる方のもとへ
商品がお嫁入りしていく。
いくつもの偶然 いくつものドラマ があって
そこに不思議なご縁があるのではないか
と思うようになりました。
出品に際して 商品を目の前に置いてパソコンに向かいます。
気のせいかとは思うのですが
自分の出番を舞台の袖で待っている演者のような
躍動感を感じることがあります。
そして落札者様が決まって梱包の準備にはいるとき
晴れがましいようなエネルギーに満ちた息吹を感じます。
嫁ぎ先の そのお相手を美しく演出するためにその人の色に染まろうとしている
そんな気がします。
そしてケースに収納するとき 
「この商品を見ることは二度とない。
 これでお別れ さようなら」
と声をかけます。
わたくしには子どもがいませんのでほんとうのところはわからないのですが
大切にしてもらいなさい
そして幸せになってほしい
大事に育てた娘が嫁いでいくときの親心 
親思う心にまさる親心
そういう心持ちで発送させていただいています。 
わたくしどもの商品はすべて
ヤマト運輸のビジネス契約業者専用貴重品VIP扱いでお送りしています。


宮大工職人と川口の職方 
 (2024年10月15日 お客様との往復メッセージ)
※ お客様に お送りしたメッセージ
    子供の頃のお話です。
    わたくしどものお店の職方 わたくしよりも20歳以上年上でした。
    彼等は我が家の2階に下宿していました。
    年長者は昭和19年生まれでした。
    職方は祖父の弟子です。
    祖父のことを 親父 と呼んでいました。
    師匠ではなくて親父でした。
    中学を卒業した翌日に弟子入り
    朝8時から夜9時までお仕事
    休憩時間は食事をとるときだけ
    そしてその食事は祖母や母 女中さんが準備していました。
    いまでいうところのまかない飯です。
    休みは盆正月だけ
    結婚して家庭を持つまでずっと住み込み
    そういう世界でした。
    厳しい徒弟制度
    師匠は無償で技術を教えたうえにお小遣いをあげる
    弟子は師匠の身の回りのお世話をする
    雇用主と労働者の薄っぺらな関係性とは違っていました。
    噺家の世界ではいまもこのしきたりが継承されているとききます。
    お事の世界では師匠と弟子という言葉を使っていますが
    師匠は弟子に芸事を教える代償としてお金を要求する
    普通の 先生と生徒の関係性です。
    まさに似て非なるものです。
    祖父が病に倒れたとき
    祖父の排泄介助は基本的に彼等がやっていました。
    わたくしには立ち入ることの許されない
    祖父と彼等だけの世界でした。
※ お客様から頂いた返信メッセージ
    べっ甲の職人さん、すごい修行をされているのですね。
    宮大工の世界を少し思い出しました。
    中学を卒業してからずっと、朝から夜まで修行・仕事をし、
    川口さんのような血のつながったご家族よりも密な関係性を築いて、
    人生のすべてをべっ甲細工の仕事に捧げられていたということなのですね。
    圧倒される世界です。
    率直に申し上げて今の時代に再現できる関係ではないと思います。
    宮大工、西陣織その他の伝統工芸品の職人さんだって、
    今の若い方はもっと違う教育を受けておられるように思います。
    その意味で、そのような生活の上で作り出されたべっ甲細工、
    仮に現在まで存続していても、当時のやり方とは違った形で作られていたかもしれません。
    文化はその時代によって、環境がまったく違うので、
    続いていても、出来上がった作品は何かが違うということかもしれません。
    でも私のように、いろいろ知らない方は、こちらに来られる方にもいらっしゃるかもしれないので、
    どんどんお書きになるとよろしいのではと思いました。
   
今現在長崎や東京で営業しているべっ甲店に並んでいる商品を見るにつけ
同じ人間がつくったものなのに
川口の職方が日々つくっていたものとはまったく異質
同じ鼈甲とは思えない
どうしてここまで違うのか
と不思議でなりませんでした。
お客様からいただいた上記のメッセージを拝読していて思いました。
つくりての意識 緊張感が違う
敗戦のどん底から這い上がってきた
モノづくりニッポンを支えてきた昭和を生きた人達の気概が
わたくしどものお店の商品には息づいている
そんな気がしています。


ゴッホ.モーツアルト.バッハベートーヴェン
存命中は鳴かず飛ばず
没したあとに時間が経ってから評価された人達
その希少な藝術家の遺したものと川口の鼈甲
同じ土俵で語るのはおこがましいということを踏まえたうえでの
鼈甲屋の戯れ言でございます。
戦争に負けた日本がアメリカを超える経済大国になろうとしている
そんなことはあってはいけない
という理由で日本への嫌がらせのひとつとして
絶滅に瀕している動物の捕獲禁止を謳うアメリカ主導のワシントン条約を盾に
鼈甲の原材料である玳瑁亀の輸入禁止が突然決まりました。
「ウミガメ 玳瑁 は繁殖力があるので10年ぐらい捕らなければ
  増えすぎて漁船の網を食いちぎるようになる
  漁師にとっては死活問題
  苦情が殺到して捕獲は再開されてきた
  だから心配しなくていい
  ただ原材料を輸入に頼っている以上
  突然輸入できなくなることがある
  戦争はある日突然はじまる
  戦争になると輸入品はみんなはいってこなくなる
  鼈甲屋はお金を貯金するのではなくて
  原材料の仕入れが最優先
  10年分の原材料を持っていれば大丈夫」
祖父は常々言っていました。
経験則に基づいた先人の知恵でした。
しかし人は強いものに忖度するものです。
海部俊樹総理大臣
「べっ甲業界 700人前後のとるに足らない業種
  補助金を出して転職させればすむこと
  米国に抗議しなくていい」
と切り捨てました。
自民党内閣で重要な意思決定を行う党三役総務会長の要職に就いていた
長崎一区選出の衆議院議員西岡武夫氏から直に伺った
メディアでは報じられることのない生々しい現場の空気です。
長崎新聞 一面下に 水や空 というコラムがあります。
朝日新聞の 天声人語 のような位置づけです。
「わたしは長崎で生まれ育った人間です。
  皆様御存知かとは思いますが
  鼈甲の原材料である玳瑁の輸入禁止が決まりました。
  わたしはとてもよいことだと思っています。
  亀の甲羅を装飾品にする
  かわいそうです。
  間違っています
  どうしてそんなことをしなければいけないのでしょう。
  そして 鼈甲のどこがいいのでしょう。
  わたしには理解できません。
  鼈甲が好き と言う人がどれだけいるのでしょう。
  もしもそんな人がいるのであれば会って話を聞いてみたいものです
という 随筆が掲載されました。
結納の御品 親族への御土産として晴レノ日には鼈甲を贈る
お世話になった方への感謝の気持をかたちにするために鼈甲を
それが古からの長崎の風俗でありひとつの文化でした。
九州福岡の人達が晴レノ日の祝事に博多人形を贈るのとと同じだと思います。
贈答品として鼈甲を購入するために
1年を通していらしてくださっていた長崎のお客様が
お見えにならなくなりました。
長崎でいちばん大きな老舗婦人服店タナカヤの先代の奥様(田中サダさん)から言われました。
「最近 なぜか 鼈甲に魅力を感じなくなったのよね。
  どうしてなのかわからないのだけどね」
時代の空気とはそういうものです。
長崎の人達から完全に見切られました。
当時 新聞には空気を支配して世論を動かす力がありました。 
ペンは剣よりも強しではなくて 
正論を振り翳して反論できない弱い立場の人間を叩く
ペンの暴力でした。 
メディアから横槍がはいったものを晴レノ日の贈り物にするわけにはいかない
道理に叶った真っ当な判断です。
絶望 ただそれだけでした。
お店の中に不穏な空気が漂うようになりました。
観光でいらした方々の財布の紐が堅くなりました。
どんなに工夫を凝らしても買っていただけなくなりました。
そんななか 職方から言われました。
「鼈甲はもう駄目ですばい
  鼈甲は終わったごたる
  川口の職方 解散したほうがよかとじゃなかですか」
100年余り継承してきた川口鼈甲店としての製造の灯を消すことを決めました。
9ヶ月後 突然倒れました。
危篤状態から脱して意識が戻ったときには生命維持のための24時間透析を導入されていました。
わたくしの腎臓は寿命が尽きてしまっていました。
それから15年の歳月が流れました。
転地療法のため故郷である港町長崎を離れて
標高1000メートル 信州浅間山の中腹に広がる高原の田舎町
長野県軽井沢町で余生を過ごすようになりました。
偶然に偶然が重なりオークションに鼈甲製品を出品させていただくことになりました。
出品されているほかのべっ甲製品のほとんどが入札者0人でした。
川口の鼈甲 入札に参加してくださる方はいらっしゃらないだろう。
やって駄目だったのとやらないこと 結果は同じ
これで駄目なら諦めがつく
そういう思いでした。
最初の出品 すぐにご入札をいただきました。
そして3点目の出品のときに定価を超えるご評価をいただきました。
信じられませんでした。
長崎で製造販売に携わっていたときと寸分違わぬ力を注ぎました。
試行錯誤を繰り返しながら商品説明文を書きました。
丁寧にラッピングをして発送の過程で傷がつかないよう慎重に二重三重の梱包をいたしました。
商品によって様々ですが発送の準備に2時間ほど時間をかけました。
長崎在住の方から 修理はできますか というお問い合わせをいただきました。
わたくしどもの商品を完璧に修理できる腕のいい職人は現存しないと思われます
修理不可でございます
というお返事を綴りました。
修理ができないのだったらいらない
という理由で信用を失いすべてがおしまいになる
最後の最期に長崎の人から引導を渡されるかたちで終焉を迎える
巡り合わせとはこういうものかもしれない
と覚悟を決めしました。
ところが程なくして想定外のことが起こりました。
入札に参加してくださる方が一気に増えました。
取引ナビを通して沢山の方々からメッセージを頂きました。
「もう二度と手にはいらないと諦めていた川口の商品をこういうかたちで購入できるなんて」
「アクセサリーとして身につけるためだけではなくて眺めて楽しむために買っています」
「川口の商品を並べて楽しむために照明がついたショーケースの家具を購入しました
「最高技術のお品で、大事にされてきた最後の素晴らしいお品
  現在の私は髪を短くしていますので、髪には使えませんが、
  今までのお品と共に、大事に大事に致します
使うのはもったいない 見ているだけで贅沢でゆたかな気持ちになれる」
東海地方の放送局のアナウンサーの方から
「人は生きていくためにたくさんのものを購入します
  しかしほんとうにほしいと思って購入するものはほんの僅かです」
というメッセージを頂いたことがありました、
そして多くの方々から
「送られてきた商品 写真よりも遥かに綺麗でびっくりしました
  暫し見とれてしまいました」
というメッセージを頂いています。
「ホンモノだけが持つ奥深さ」
という感想を沢山頂戴しました。
思えば四半世紀前 その存在のすべてを否定されたわたくしどもの鼈甲製品が
再び評価していただけるようになっている。
こういう展開になるとはまったく想像していませんでした。
それでも一度途絶えてしまった技術は二度と元には戻せません。
安くて美味しい 誰も真似のできないお料理を提供しているお店
コロナ禍で廃業に追い込まれて消えていきました。
たとえレシピのメモ書きは遺ってもそれで再生できるほど
商いは単純なものではありません。
そこに携わる人が変わればすべてが変わります。
上を向いて歩こう 遠くへ行きたい の作詞者である永六輔氏が
誰かとどこかで 旅の7円の唄 に綴った考え方
「お店に並んでいる商品は文明
  そのお店の人と話をして商品を買うのは文化
  ものを買うという行為は文化でなければいけないと思う
  客に育てられる店があり 
  店に育てられる客があるように
  良い関係性は両者が創り出すものなのだ
これがすべてだと思います。
戦後増え続けてきた人口が減少に転じています。
これから50年100年かけて狭い日本国の面積に即した規模に落ち着くでしょう。
そして社会が縮んでいく過程で多くの文化が淘汰されていきます。
ホンモノ と云われるものからさきに消えていく
それが世の常です。
わたくしどもの鼈甲製品
現存するべっ甲店のそれとは
まったく異質の違うものでございます。
このレベルの商品をつくれる職人はいません。
わたくしどものお店の職方が製造して遺した ホンモノ 
新しくおつくりすることのできない数に限りのあるホンモノ
現在価格がお客様のご予算の許す範囲のお値段であれば
どうぞ 入札にご参加ください。
そしてホンモノ に触れてください。
文化に触れてください。


経済アナリストの森永卓郎氏
昨年の11月 人間ドッグがきっかけでステージ4の膵臓がんと診断
桜は見られないという告知を受けたそうです。
「余命宣告を受けたとき 好きなものをたくさん食べて過ごす人 
  行きたいところへ旅行をして過ごす人
  人それぞれ余命の過ごし方は違うと思います。
  わたしはこれまで通りにお仕事をしながら最期の日を迎えたい」
ニッポン放送ラジオの生放送で仰っていました。
そのお話を聴いていて思いました。
森永氏は1957年生まれで現在67歳 わたくしより2歳年上
  自分も森永氏のような考え方で残された日々を生きていこう」
わたくしは42歳のときに鼈甲の原材料輸入禁止に伴う心労で腎臓が壊れてしまいました。
以後人工透析で日々生かされています。
お医者様(板橋中央病院腎臓外科 浦島良典先生)から伺いました。
透析は最も激しい医療行為なのだそうです。
腕の動脈を静脈に繋いで静脈の血流を人工的に動脈化します。
心臓に戻る静脈の血流は弱いので透析の機械で血液を吸引することはできません。
動脈化した勢いのある血液を布団針より太い注射針を腕に刺して機械に流し
毒素を濾過してきれいになった血液を身体の中に戻していきます。
その際 血管や心臓に強い負荷がかかります。
透析患者の生存率は10年で50パーセント 20年で10パーセントなのだそうです。
透析導入から23年 
わたくしの血管や心臓はくたびれています。
心臓脳に出血梗塞を発症してもおかしくない状態です。
健康な人の場合は措置が早ければ大丈夫なのですが
透析患者は内蔵が弱っていますので助かることはありません。
オークション 
「商品をお選びして写真撮 七顛八倒しながら商品説明を書いて出品
  時間をかけて丁寧に梱包して発送
 このルーティーンが体力的に厳しくなってまいりました。
  今回の商品をもちましてオークションへの出品をおしまいにさせていただきます。
  わたくしどもの鼈甲製品をご贔屓にしてくださった方々へ心より御礼申し上げます。
  ありがとうございました」
という最期のご挨拶文を記載して
川口鼈甲店 店じまい 完全閉店
ということになるだろうと考えていました。
しかし実際には突然わたくしが倒れて皆様へのご挨拶ができないまま
店じまいということになるはずです。
茶道の言葉 一期一会 これが最期だと思って出会いを大切に 
ということだと思います。
老化による身体の衰えを感じるようになった昨今
いつまでオークションへの出品を続けられるかわからない
という理由でこの1年余り毎週出品させていただいてきました。
しかしこれからは無理をせず
体調が芳しくないときには休みさせていただくことにいたしました。
そして3週間ほど出品がなかったとき
川口鼈甲店 完全閉店 ほんとうの店じまい
とお察しいただければと思っています。



【修理不可のご案内】
長崎市にお住まいの方から鼈甲製品の修理についてのご質問を頂きましたので
質問と回答を原文のまま記載させて頂きます。
 
質問   
長崎市民です。とても懐かしく、また閉店を残念に思っておりました。
購入後に使用していく中、割れ・カケなどできた場合の修理など、どんな感じになりますか?
宜しくお願い致します。(2016年10月 6日 12時 41分)
  
回答   
ご質問ありがとうございます。回答欄は全角300文字以内という字数制限が設けられていて
うまくお伝えできない内容ですので 
字数制限のない商品説明の最下部に回答を追加記載させて頂きます。
 
わたくしは職人ではございません。
長崎でお店をさせて頂いておりました頃は職人を抱えていましたので修理をさせて頂いていました。
しかし現在は職人を雇用していませんので修理をする術がございません。
商品の修理は造り手と同等もしくはそれ以上の腕のいい職人の手に委ねないとうまくできません。
腕の良くない職人の手にかかりますと
どんなにすぐれた製品であっても不格好で悲惨なものになってしまいます。
幼児の工作のようなハリボテになってしまいます。
鼈甲製品は二つに割れたりヒビがはいってしまっても
水.卵白.熱.圧力を駆使することで接着部分がまったくわからない
新品の状態まで変幻自在に復元することができます。
しかし腕の良くない職人ですと接着部分が微妙にわかってしまうできあがりになります。
光沢がなくなってきた商品も磨き直しをすることでご購入時と同じ状態になります。
しかし腕の良くない職人ですと表面を必要以上に削ってしまい
薄っぺらで小さなデザインが崩れておかしなものになります。
わたくしの手元にあります商品は鼈甲業に勢いがあったときの腕のいい職人によるものばかりです。
鼈甲業は原材料の輸入禁止以前に入手した材料が尽きたところでおしまいです。
ほんの一握りの腕のいい職人は高齢で廃業していき息子さんにはあとを継がせていません。
長崎市浜町アーケード街.浜屋百貨店そばで鼈甲の専門店をいたしておりましたころは
他のべっ甲店の商品であってもすべての修理をお受けして
新品と遜色ないところまでの完璧な修理をお受けしていました。
彫刻がはいったものは彫りを加えてデザインを整えていました。
わたくしの知る限り わたくしどもの商品を完璧に修理できる腕のいい職人は
日本国内には現存しないと思われます。
お使い頂いた後には必ず柔らかい布で拭いていただき
傷ついたりくもったりしないよう大切にお使い頂ければと
切望しています。
  
質問者様からのお返事   
ご丁寧に回答頂きありがとうございます。
以前川口鼈甲さんの前を通るたび、いつか落ち着いた大人になって持ちたいな・・・
と憧れていました。
いざ大人になってみると、浜町の素敵なお店がどんどん閉店し、
鼈甲も以前に比べ、大変貴重で、職人さんも減ってしまったようで、
大切にするしかないのですね。
参考にします。



2023年9月 諏訪中央病院名誉院長の鎌田實先生の新刊 「ちょうどいいわがまま」 より抜粋】
「行き詰まってきたら動いてみる」 という章のなかで
わたくしどものお店のこと 
わたくしが病に倒れてからいまに至るまでの経緯
そして ヤフーオークションでの営業再開 
滅びゆく鼈甲という文化について触れていただいています。
「川口の生き方は 一言でいうと わ が ま ま
 我 が ま ま  我が思うままに 生きたいように生きている」
と仰っていただいたのは昨年の夏でした。
わたくし もうすぐ高齢者になります。
きれいな鼈甲製品を皆様にご紹介させていただける
そういう穏やかな日々が一日でも永く続いてほしい  と
思いました。


【お客様とのやり取り】
以下の商品を落札してくださったお客様とのメッセージのやりとりを
お客様にご了承いただきましたうえで転載させていただきます。
【定価38,000円・川口鼈甲店】新品 本べっ甲 かんざし

初めまして、落札者です。
川口鼈甲店様の商品をでずっと前から拝見していて、素敵だなと思っていました。
当方30歳手前ですので貴方様の客人としては若い方でしょうか。
日本の女ならば己の黒髪に鼈甲の一つくらい挿してみたいと思っておりいつか手に入れたいと思っておりましたが、これからは国内に残ったタイマイが無くなっていくばかりという話を耳にしてから、購入するときに満足のいくものが手に入るのは今が最後かもしれないと思い色々と探しておりました。
 本当は晴れの日につけるような派手なものが好みで派手なものばかりが素晴らしいと思い込んでいたのですが、今回のオークションの説明文を拝読して考えを改めました。
ご祖父様の「べっ甲は オーソドックスで単純なデザイン 一見 簡単そうに見えるもののほうが実際につくるのは難しい。 左右対称に見えるようにつくれる職人は少ない。」というお言葉はまさにその通りだと考えさせられました。
褻の日に使える上等なものを纏うことこそ最高の贅沢なのかもしれないと思います。
そのような贅沢を味わえるのは今回のオークションでのご縁あってこそですので、とてもありがたく思っております。
 
本日簪を受け取りました。とても丁寧に梱包して発送していただき、まことにありがとうございます。
子供に戻ったような心地でわくわくしながら開けました。
手に取って拝見いたしますとあまりに左右対称なので、これが人の手で圧着されて作られていることを忘れてしまうほどでした。
接着剤を使用しないでくっついているというのが不思議です。
梱包を開けた時に初めてべっ甲を触りましたのでべっ甲が少しひんやりしているという事を初めて知りました。
上白の部分と黒のコントラストが美しくてうっとりいたしました。
やはりあめ色の鼈甲は黒髪にあいそうだなと思いましたので、今からこの簪を付けてお出かけするのが楽しみです。
もうすぐ三十路の当方ですが、二十歳代の落札が初めてと聞いて驚きました。
でも確かに、鼈甲の簪と言うと旅行先の資料館に展示されていたりドラマに出てきたりするもの、という印象があり、遠い存在だと思っている若い人が多いのかもしれません。
あるいは本物の鼈甲を見たことが無く、プラスチックのものしか見たことが無いので鼈甲の美しさを知らない人が多いのかもしれません。
ですが鼈甲に興味がある若い人はこれからも居なくならないのではないかと私は思っております。
「和装が好き」という私と同じくらいの年齢の友人もおりますし、旅行先で着物を着て歩く若い女の子を見かけることもここ数年で増えてまいりました。
そういった子達の中には私のように鼈甲の装飾品を手に入れてみたいと思っている人が必ず居ると思います。
もしくは、今はただ若くてお金がないだけで手に入れたいという夢を持っているひとが居るはずです。
ですから、川口様がこれからも長く鼈甲が隆盛を誇っていたころの装飾品を販売して下さるのは本当にありがたいことだと思います。
近い将来本来なら手に入れられなくなるはずの上質で新品の鼈甲のお品を、当時生まれていなかった人でも手に入れられる幸運を将来の若い人たちに伝えて下されば幸いです。
私もまた川口鼈甲店様のオークションを拝見させていただきたいです。
若輩者が釈迦に説法のように語ってしまって申し訳ありません。
今回は素敵な簪をありがとうございました。
このような時期でございますから、どうぞお体ご自愛くださいませ。
 
商品到着から20日あまりあと ゴールデンウイーク明けの午後 
着物姿でこのかんざしを髪に挿した後ろ姿のお写真が郵送で贈られてきました。
そのお写真を拝見してびっくりいたしました。
わたくしの手元にありましたときとはまったく違う別の趣がありました。
このかんざしを出品いたしますとき
人生をそれなりに長く生きてこられた方にお使いいただくことを想像していました。
そういう方々を美しく演出してくれるかんざし
そう思っていました。
しかし 実際は違うものになっていました。
老舗ブランドの着物ではなくて昨今の流行であるデザイナーブランドの着物
そしてかんざしがうまく似合っていました。
貴金属のアクセサリーは 身につける人を引き上げて輝かせてくれます。
鼈甲は 身につける方にそっと寄り添って 
その方の醸し出す空気に染まる というかんじがいたします。
鼈甲は 最初 思いの外ひんやりとした冷たい手触り感があります、
しかし  特に櫛笄は 身につけているうちにその人の体温で温かくなります。
温かいぬくもりのような感触です。
20歳代の女性が身につけるとき 20歳代の方に合う趣が出てきます。
30歳代 40歳代 50歳代 60歳代 70歳代 80歳代
このかんざしは時を越えて このお客様に寄り添い馴染んでいって
その方の年齢に合った美しさを演出してくれるもの
そう確信いたしました。   
 


【出品商品の品質について】
わたくしどもの商品は原材料に余裕があった頃にお作りしたものですので
商品にボリュームがあります。
それぞれの商品のデザインに合う色彩の甲羅を
たくさんの原材料のなかからお選びしてお作りしたものばかりでございます。
電動式万力の圧力メーターの数字を見ながら鼈甲の原材料をプレスしていくのではなくて
手動式の万力を全身の力で回しながら圧をかけて
数字ではなくて勘を頼りに微調整をかけていく
製造効率など考えないで 納得のいくまで時間をかけて彫刻を施していく
髪の毛1本分の厚さの違いやほんのわずかな鼈甲色の模様の違い
労を惜しむことなく手間暇を費やしてみても
遠目にはさして変わらないように見えたりもしますが
商品をお付けいただいたとき
その商品が醸し出す存在感や立体感において
似て非なるもの
という大きな違いがございます。
鼈甲業界に余力があるときにわたくしが体調を崩したことでやむなくお店を閉じましたので
当時の勢いのある商品が手付かずで手元にございます。
鼈甲製品の作り手にとってゆとりがあったころに制作いたしました最期の作品を
丁寧に 少しずつ そしてできるだけ永く 
出品させて頂きたいという思っています。
  


【長崎・軽井沢・川口鼈甲店】 
1997年春 郷土史研究史跡探訪グループ・長崎史楽会の会員の御老人が
西友長崎道ノ尾店で展示会をしていた会場へ訪ねて来られました。
「長崎新聞で川口鼈甲店 が 浜町のお店を閉店したことを知った。
私の先代は大正時代に船大工町の川口鼈甲店のお隣で鍛冶屋をしていた。
当時長崎の商人は目の前の商いで手一杯だった。
しかし川口の創業者は 
長崎で繁盛しても東京で認められなければ自分が商っているものは本物とはいえない. 
だから東京にお店を出す…  と言っていた。
当時 長崎の鼈甲は外国人が買っていた。
川口はその利益をすべて東京出店に費やした。
横浜市元町と東京市新橋にお店を出した。
長崎と東京は汽車で30時間以上かかっていた時代のこと
皇族方宮内省各宮家御用達になり.昭和天皇結納品の鼈甲化粧セットを納めた。
夏季には政府高官.各国の大公使が軽井沢に避暑に行くので軽井沢に出張所を設けた。
大正12年 関東大震災で東京.横浜の支店は全焼した。
太平洋戦争の最中 鼈甲の原材料は輸入できなかった。
昭和23年 川口の先々代は神田の旅館に宿を取り
長崎県庁東京出張所所長の渡辺氏と二人 管轄官庁の門前に座り込みをして
一か月通いつめることで官庁関係者が根負けして鼈甲原材料玳瑁亀の輸入再開 にこぎつけた。 
川口の先々代がいなかったら 今現在 鼈甲は日本国内の店頭に並んでいない。
太平洋戦争という地獄を経て鼈甲細工は消滅しなかった。
あなたは自分のお店の閉店は自分のお店の歴史に過ぎないと思っている。
でもそれは違う。
川口鼈甲店の生き死には 鼈甲文化の生き死にそのものなんだ。
あの悲惨な戦争を生き延びてきた。
鼈甲の原材料の輸入禁止は日米の経済摩擦によるもの
太平洋戦争とは違って経済戦争で人の命は奪われない。
経済戦争なんかで負けてはいけない。 ここで終わってはいけない。
このことをあなたに伝えなければ私は死んでも死にきれない。
今 こういうことをあなたに伝えることはとても残酷なことだと思う。 
でも ここで諦めないで頑張って欲しい 」
お酒の勢いを借りてお話をしに来てくださったその御老人の言葉が
わたくしの頭の中から離れることはありませんでした。


出价者 信用 价格 时间
8*2*9*** 69 3900最高 03/25/2025 18:23:04
8*1*8*** 2 3800 03/26/2025 06:03:24
e*3*7*** 33 3200 03/26/2025 03:47:30
8*d*8*** 153 3000 03/25/2025 19:35:20
4*3*1*** 871 1000 03/24/2025 16:14:05
b*4*8*** 306 160 03/24/2025 19:11:25
e*3*6*** 254 140 03/24/2025 09:25:52
f*b*7*** 3 130 03/23/2025 23:33:37
1*f*7*** 98 120 03/23/2025 22:22:00
b*9*7*** 589 110 03/23/2025 21:51:17

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