B62 後藤新平の「仕事」 藤原書店編集部編 藤原書店 2007年発行

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単行本です。 きれいなほうです。

[「公共の道」に貫かれた後藤新平の仕事]
〔後藤は、資本主義が高度化するなかで重要になってくる「交通」「医療」「教
育」という3つの「公共」の仕事を、全て行なっている〕

 1908年の第2次桂太郎内閣で逓信大臣兼鉄道院初代総裁になりますが、そこで
も単に鉄道を引くとかではなくて、その裏に公共性の精神があった。それは国境
を越えて世界に広がっていくということですから、やはり日本の鉄道は広軌でな
ければいけないと思ったわけですね。広軌改築論は政策論争としては敗北して、
その実現は後藤の薫陶を受けた総裁十河信二による、六四年の東海道新幹線開通
まで待たなければなりません。しかし後藤にとって、本当に広軌が日本にとって
必要かどうかというよりは、精神において広軌でなければいけないわけですよ。
日本国内の利益だけのことを考えて、あるいはもっと狭く地方利益だけを考え
て、原敬のような狭軌の路線で行くということは、彼にとってはやはり許しがた
いことであった。
 そこから、彼がどうして政党政治を否定したかという話とつながってくる。政
党政治というのは、薩長の連中から見れば、あれは薩長藩閥に対抗する「私」的
な党であり、個別利益しか反映していない。その政党に国政を任せられるかとい
う見方が薩長の連中にはある。後藤は後藤で、いま言ったように全体的な公共の
精神とか、全体的な文明の利益の推進から考えたときに、やはり政党は容認でき
るものではなかったということですね。

〔東京市長のときには、環状道路とか100メートル道路といった計画を打ち出し
ています〕

 政治家がふつう考えているのは、自分のときにどう実現するかということです
けれども、多分後藤の発想には、自分が死んだ100年先、何世代かしたときに実
ればいいというぐらいの射程距離の長さがある。悲しいことに、日本の近代を指
導した薩長にも、それから後に出てきた政党政治の連中にもそういう発想はな
い。今どう実現するか、「現世利益」ですから。

〔放送の公共性〕

後藤新平はNHKの前身である東京放送局の初代総裁を務めていますね。 「放
送の社会的役割」ということを彼は言った。電力事業についても彼はそうだった
わけですが、放送についてもそうだった。ところが電力についての彼の仕事が早
くも政党政治に蹴散らされたのと同様、放送の場合、戦後放送の許認可権を握っ
ている郵政大臣としてこれを全部利益に使ったのが田中角栄です。田中角栄は郵
政大臣のときに許認可権を使って全国の放送局から金集めに成功して、それ以来
郵政は全部田中派のものになった。だから公共性もへったくれもないわけです、
そこから後は......(笑)。

〔私益を超える衛生・教育の思想〕

2つ目の「医療」の面については......。
 後藤が児玉源太郎から与えられた重要な仕事に、日清戦争の後の復員兵の検疫
事業があります。元々医者ということもありますが、感染症対策にも重要な仕事
をしている。つまり社会衛生なんです。彼は衛生局長の時代にも、医者の利益を
守ろうとはしなかった。多くの衛生局の人間は医者との関連が強いですから、医
者というプロフェッショナル集団との関係でしか考えないけれども、彼はやはり
社会との関係で考えていた。

それは、3つ目の「教育」にもつながる。
 教育といったときに、彼の頭の中には旧帝国大学といったものは全くなく、恐
らくそういうものではつくり得ない人材をつくりたかったのではないでしょう
か。彼が初代総裁を務めた少年団日本連盟がまさにそうです。ある意味で言う
と、いわゆる満鉄調査部だって、研究機関であると同時に巨大な教育機関です
よ。「通俗大学」という名前で、軽井沢や木崎湖畔に市民大学の前身もつくって
いる。晩年には「明倫大学」という、アジア諸国から先生も学生も呼んで、アジ
アに開かれた大学を作ろうとした。
 そこにぽっかりと抜けているのが何かといったら「帝国大学」です。「文部省
立大学」ではだめだと。教育というのは、本当にやろうと思ったら私財を投げ
打って自分の力でやらなければだめだというのを、彼は自ら命を賭けて示そうと
した。 後藤新平は、最晩年の方が幸せだったのかもしれません。そういうとこ
ろに行き着いたわけですから。
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