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★J6★グスタフ クリムト Gustav Klimt 「ユディトI」ポスター マット付き
作品サイズ : 21.0cm×10.0cm
マットサイズ: 30.0cm×21.0cm
作品の状態: 良好.新品に近い状態。
※ 添付画像をご参照ください。
ユディト は1901年にグスタフ・クリムトによって制作された油彩作品。ホロフェルネスの首をはね、手に持つヘブライ人寡婦ユディトの姿を描いたものである。
ユディトは旧約聖書外伝「ユディト伝」に登場する女性。ユディトを主題とした絵画は一般的に、彼女の住むユダヤの町べトリアにホロフェルネス将軍が侵攻し、町は陥落状態にあったが、ユディトが敵陣におもむきホロフェルネスの寝首を掻いて持ち帰る物語を描写したものである。
実際に多くの作品で、ユディトを英雄的な扱いにしたエピソードが描かれている。特にユディトの勇気と高潔な性格を表現した絵画が多数描かれていた。
ユディトは神の救済の道具として現れるが、彼女の行動は非常に過激である。なかでもカラヴァッジョやアルテミジア・ジェンティレスキ、トロフィーム・ビゴーらの作品において、彼女の行動は劇的に描かれている。
ギュスターブ・モローやクリストファーノ・アローリは示唆に富んだ神話的絵画を先取りして描いたが、その一方でクリムトは切断されたホロフェルネスの首を手に持つユディトが恍惚状態になっている瞬間の表情を描こうとした。
グスタフ・クリムト(Gustav Klimt)◆
1862年7月14日、オーストリアのウィーンで金工家・銅版彫刻師の家庭に生まれる。
1892 弟のエルンストが死去。その後、数年間ほど仕事が手につかず。
1897 オーストリア芸術家協会(ウィーン分離派)の創設に参画。初代会長となる。
1898 風景画も制作し始め、独自の作風に到達する。
1900 パリ万博に『哲学』を出品。思想表現を目指し始める。
1902 ウィーン分離派館でのクリンガー展のために『ベートーヴェン・フリーズ』を制作。
あからさまな裸体表現でスキャンダルとなる.
1903 ウィーン大学大講堂の天井画を制作。ウィーン分離派館で、初めての個展を開催。
1905 内紛抗争で分離派を脱会する。その後、追従者が出て、クリムトのグループが出来上がる。
1911 『死と生』を制作。15年に改作。
1917 美術アカデミーが名誉会員に認定。
1918年2月6日、脳卒中のため死去、享年55歳。最後の言葉が『エミリーを呼んでくれ!』だった。
人々の心の奥底に眠る欲望と真実を描き、その絢爛たる装飾的手法と、一方で、飾ることを知らぬ
無垢で瑞々しい感性は、天才と言われる所以でしょう。
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