本/茶碗-江戸期の名工たち/野々村仁清.尾形乾山.奥田頴川.青木木米.仁阿弥道八.清水六兵衛.真葛長造.太田垣蓮月.楽長入.楽了入/銘印印/茶道 收藏
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■■『茶道誌』・・・■■ ●●『なごみ』・・・●● **”1998年11月号・(通巻227号)”** ■■『特集』・・・■■ ―”茶碗・4”― ●●『江戸期の名工たち』・・・●● ―” 華麗なる陶工の技と茶の湯の美意識 ”― **”監修・文・杉浦澄子/撮影・小林庸浩”** **”約・40頁”** ◆賀集珉平・「赤絵海老の絵茶碗」。 ・江戸後期。 ◆野々村仁清・「色絵波に三日月文茶碗」。 ・東京国立博物館。 ■発行日=平成10年11月1日。 ■発行所=株式会社・淡交社。 ■サイズ=18.5×25.5cm。 ■定価=840円。 ■状態。 ●表紙に、多少のキズ・ヤケが有ります。 ●本誌内に、多少ヤケが見えますが ●大きなダメージは無く ●年代的には良い状態に思います。 ◆◆注意・・・◆◆ ★発行日より経年を経て下ります。 コンディションに係らず・古書で有る事を 充分に御理解の上・御入札下さい。 ★神経質な方は入札はご辞退下さい・・!! ●全・約128頁・・・!! ●特集の・「江戸期の名工たち」・・・!! ◆は・約40頁です。 ●図版項に・箱書・高台の掲載も有ります・・・!! ●『銘印』・・・● ★仁清にはじまった銘印は京焼のみだけでなく瀬戸など では個人作家の銘印が器物に押されるようになる。 不思議なことに銘というものは・知っているから読め る場合が多い。 ◆野々村仁清。 ★色絵鱗波文茶碗(6頁)・「仁清」・の印。 ◆奥田頴川。 ★呉須赤絵写し杓立(8頁)・「頴川」・の 書印。 「頴」・の字に特徴がある。 ◆青木木米。 ★青磁茶碗(9頁)・「古器観」・の印。 ★青磁茶碗(9頁)・「木米」・の印。 ◆尾形乾山。 ★銹絵山水図茶碗(7頁)・「乾山」の書印。 ◆仁阿弥道八。 ★御本立写し茶碗(10頁)・「道八」の印。 ◆永楽和全。 ★北野茶碗(11頁)・「永楽」・の印。 ◆二代・真清水蔵六。 ★御所丸写し茶碗(14頁)・「蔵六」・と ・五条から山科に窯を移した最初の作を表 す・「山科初窯」・の印。 ◆夜寒焼鉄絵茶碗・(18頁)・「よさむ」・の印。 ◆大橋秋二。 ★彫三島写し茶碗・「養老」・の印。 ◆三代・清水六兵衛。 ★安南写し茶碗(12頁)「六べえ」・の印。 ◆初代・真葛長造。 ★摸仁清流釉茶碗(13頁)「真葛」・の印。 ◆楽了入。 ★黒楽筒茶碗(16頁)・「楽」・の印。 楽の字の白が・楷書の自となっているこの 銘印を・中印または・楽印と呼ぶ。 ◆御深井焼安南写し茶碗・(18頁)。 ★「賞賜」・の印。 名古屋城主斎藤荘喜候の賜品であることを 示す。 ◆平沢九朗。 ★刷毛目茶碗・(20頁)・「文化六巴冬鶏 龍山竈・九朗」・の彫印。 普通は・「く」・印が多い。 ◆古曾部唐津写し茶碗(25頁)・「古曾部」・の 印。 ●蒐集・資料などの参考に・・・!! ●探されていた方は・この機会に・・・!! ●以下・詳細をご覧ください・・・!! ◆詳細は・抜粋して下ります。 ◆掲載内容は・Q&Aより・問い合わせ下さい。 ◆数字記載は目視です・間違いは御容赦下さい。 ●掲載を抜粋紹介し・「タイトル」・と・致します。 ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ ■■『江戸期の名工たち』・・・■■ ―” 華麗なる陶工の技と茶の湯の美意識 ”― **”監修・文・杉浦澄子/撮影・小林庸浩”** **”約・40頁”** ●●『京焼きの発祥』・・・●● ―”(以下・項目に解説が有ります)”― ◆古清水色絵茶碗。 ◆古粟田銹絵茶碗。 ●『野々村仁清』・・・● ―”(生没年不詳)”― ★京焼は・仁清にはじまるといわれるほど代表的な存在 であるが・江戸初期の陶工の社会的地位は今日とは異 なり・はっきりとした履歴は伝わっていない。 丹波国野々村の出身で寛文・延宝のころを中心に活躍 し・御室焼と呼ばれていた。 轆轤の名手で若いころは壺をもっぱら作っていたが・ 後・京都に出て修業し・御本写し・瀬戸写し・銹絵な どの茶陶を焼く。 十七世紀初頭に伊万里で中国磁器の技法をとりいれて 日本ではじめて色絵磁器生産が生まれると・仁清はま もなく押小路焼や瀬戸の弥七田窯の技法を巧に集大成 して・独自の色絵を発明した。 当時の蒔絵や友禅染の意匠をとりいれ・金森宗和の指 導もあって・王朝趣味豊かな優美な作風を展開した。 無印のものもあるが・多くは・香合・茶入・茶碗など には小印・水指・茶壺には大印を押す。 仁清は京焼きのみでなく・後世まで日本陶芸に限りな く大きな影響を及ぼした。 ◆色絵鱗波文茶碗。 ・同・高台。 ・北村美術館。 ●『尾形乾山』・・・● ―”(1663~1746)”― ★仁清が有人職人にあるのに対して・並び称される乾山 は京都の呉服の豪商雁金屋に光琳の弟そして生まれた。 茶を藤村庸軒に・絵画を狩野安信に・禅を独照性円禅 師に学び・鷹ヶ峯の光甫・(空中)・とは縁続きであ った。 恵まれた環境のなかで学問を好む内省的な性格は芸術 的才能を滋味深く豊かに開花させる。 ・(略・・・・・)。 ◆銹絵山水図茶碗。 ・同・高台。 ・根津美術館。 ●『奥田頴川』・・・● ―”(1753~1811)”― ★仁清・乾山の出た元禄期の京焼の黄金時代を過ぎると ・いわゆる写しもの全盛となり沈滞する。 しかし・文化・文政の江戸後期になるとすぐれた陶工 が数多く現れ・第二の隆盛期を迎える。 時代風潮ととして一般に作風は小ぶりで退嬰的ともい えるが・奥田潁川がはじめて京都で磁器の焼成に成功 し・門下に青木木米・仁阿弥道八などが出たことは注 目すべきである。 ・(略・・・・・)。 ◆呉州赤絵写し杓立。 ●『青木木米』・・・● ―”(1767~1833)”― ★京焼の三大名工といえば・仁清・乾山・木米があげら れる。 木米は・祇園の茶屋に生まれた。 当時の富商間には文人趣味・煎茶趣味が流行しており ・木米も文学・絵画の豊かな素養に恵まれ・多彩多芸 ・ことに画家として世に出た。 ・(略・・・・・)。 ◆青磁茶碗。 ・個人。 ◆兎道朝暾図。 ・東京国立博物館。 ●『仁阿弥道八』・・・● ―”(1783~1855)”― ★初代高橋道八はもと伊勢の武士であったが・宝暦のこ ろ江戸の粟田口に開窯した。 二代目が有名な仁阿弥道八で潁川の弟子となり・新風 の作陶の中心地であった五条坂へ移る。 松風亭と華中亭の雅号を用いる。 ・(略・・・・・)。 ◆御本立鶴写し茶碗。 ●『永楽保全』・・・● ―”(1795~1854)”― ★保全は奈良の土風炉師の家系で・千家十職の西村了全 の養子・当主の善五郎を継ぐ。 時流は京焼の第二の黄金期で・才能豊かな保全も内々 作陶の実力は蓄えていたが・専門職以外の家業を併立 することは困難であった。 紀州徳川治宝候の偕楽園御庭焼に楽旦入とともに奉仕 し・交趾焼などを焼く。 認められた保全は・候より・「永楽」・「河濱支流」 ・の銘印を拝領し・御用陶工を看板として・陶芸家と して立つ。 ・(略・・・・・)。 ◆色絵月に蟷螂文茶碗。 ・東京国立博物館。 ●『永楽和全』・・・● ―”(1823~1854)”― ★保全の長男で永楽家二代。 ・(略・・・・・)。 ◆梅の絵仁清写し茶碗・(北野茶碗)。 ●『清水六兵衛・代々』・・・● ―”(初代・1738~1799)”― ★清水家初代は高槻市の出身・京都に出て明和八年・( 代々の六角のなかに・「清」・の印で・代により清の 字が微妙に異なる。 二代六兵衛は・静斎と号し・印は初代の印の二重六角 を用いる。 三代六兵衛祥雲斎は・清水家中興の祖といわれ・古清 水風の作風に加えて・青磁・色絵・呉須・赤絵・織部 などの優品をのこした。 ・(略・・・・・)。 ◆初代・清水六兵衛・伊羅保片口鉢。 ◆三代・清水六兵衛・安南写し茶碗。 ●『真葛長造』・・・● ―”(1797~1860)”― ★木米の晩年の弟子。 滋賀県宮川村の出身で・真葛ヶ原に窯をもつ茶碗屋治 平の子。 観勝寺門跡より・「真葛」・の号を賜り・晩年華頂宮 より・「香山」・の号を授かる。 長造は・「真葛」・の号と印を用い・「香山」・の号 はほとんど用いなかった。 ・(略・・・・・)。 ◆初代・真葛長造・摸仁清流釉茶碗。 ・同・箱書。 ●『真清水蔵六』・・・● ―”(1822~1877)”― ★幕末の名工・和気亀亭の弟子。 天保十四年五条坂に開窯し・妙法院宮の名により真清 水を姓とし・裏千家十一代玄々斎に茶を学び・「宗缶 」・の印を与えられた。 江戸中期以降の名工の資格は・古典をいかに迫真の技 術で本歌通りに写すかという点にあり・茶方もまた写 しものを好んで用いた。 家蔵の蔵六の人形手青磁は・高台に漆を塗って・「蔵 六」・の印を消し・本歌として売買された。 ・(略・・・・・)。 ◆初代・真清水蔵六・彫三島写し茶碗。 ◆二代・真清水蔵六・御所丸写し茶碗。 ●『太田垣蓮月』・・・● ―”(1791~1875)”― ★名は誠・(のぶ)・実父は藤堂藩の家老・藤堂新七郎 ・庶子であるため・知恩院の寺侍であっ太田垣伝右衛 門の養女となる。 若くして歌人として名を成し・今日まで短冊・懐紙な ど数多くのこしている。 二度結婚したが不幸に終わり・おそらく四人・(ある いは五人)・産んだ子供も・夫の実家に預けた一人し か成人しなかった。 三十三歳で出家し・蓮月と名乗る。 蓮月は・手びねりで急須・水注・煎茶茶碗・皿・抹茶 茶碗などを作り・粟田の宝山や錦光山などの窯に託し て焼かせた。 多くは白釉・もしくは玉子色の長石釉が掛けられ・必 ずといってよいほど釘で自作の和歌が彫られ・蓮月の 彫名が有る。 次々に肉親の死を見送り・苦しみの連続であったが・ 仏教の信仰に生かされ・歌と書と陶芸を媒体として宝 珠のような女性の生涯を送った。 ◆蓮月信楽茶碗。 ・同・箱書。 ★「ここをせときそいわたりしもののふの名 にながれたるうちの川水 蓮月」。 ◆蓮月短冊・『古戦場の紅葉』。 ★「たたみひし太刀のししほハ秋深きみちに のこるみよしのゝ山 七十八歳蓮月」。 ●『楽長入』・・・● ―”(1714~1770)”― ★楽家は代々楽吉左衛門を名乗るが・三代までは・初楽 ・四代一入・五代宗入・六代左入までは江戸期前期と みる。 七代長入の江戸後半から利休形の楽茶碗の価値が定ま って・長入は利休七種の写しをのこす。 長入のころから土見せが多くなり・印が明確に読みと れる。 ◆長入・黒楽茶碗。 ・同・箱書。 ●『楽了入』・・・● ―”(1756~1843)”― ★長入の長男の八代得入は三十歳で亡くな・作品も少な い。 次男の了入が九代を継ぎ・七十九歳まで大いに活躍す る。 長入が長次郎を慕ったのに対して・了入は道入を理想 とし・技巧の手練は鋭いヘラ使をみせる。 赤・黒とも・了入の作風が十四代覚入れ底流となった ともいえよう。 ◆了入・黒楽筒茶碗。 ・同・箱書。 ■■『瀬戸の系譜』・・・■■ ●『御深井焼』・・・● ★幕藩体制が確立すると各藩は日常のやきものは自国内 で生産すべく・数多くの窯が開かれ・茶碗も焼かれた ・(註)。 一方・江戸初期に茶の湯に熱心な藩主によって開かれ た御庭焼は・中期以降は藩の財政がおしなべて窮屈に なり・閉鎖されるものが多かった。 一貫して続けられたのは萩と尾張であり・名古屋の藩 窯御深井窯は大藩でもあり茶の湯も盛んで・大製陶地 瀬戸を控えて・御庭焼として最も規模が大きい。 明の帰化人・陳元贇が開窯に参加したことも有名。 ・略・・・・・。 ◆安南写し茶碗・『賞賜印』。 ●『犬山焼と夜寒焼』・・・● ★江戸後期から幕末にかけて名古屋を中心に数多くの窯 が生まれた。 中でも全国的に有名なのが名古屋近郊の犬山焼で・瀬 戸窯にない呉須赤絵・京焼の影響をうけた色絵を特色 とする。 夜寒焼は陶器も磁器の生産したが・特に磁器は景徳鎮 に磁器をよく模し・・茶器に品格があるのが好まれる。 ◆夜寒焼・鉄絵茶碗。 ◆犬山焼・呉州赤絵茶碗。 ●『平沢九朗』・・・● ―”(1772~1840)”― ★幕末の尾張の陶芸の特色はいわゆる余技作家が活躍し たことである。 玄々斎の実兄で十二代斎荘の家老であった渡辺宗玄を はじめ茶の湯に精通した藩士の多くは自ら作陶をした。 平沢九朗はその第一人者で・加藤春岱に学び自ら轆轤 に巧みで・瀬戸釉・萩釉を特色とする。 印は彫印の・「く」。 ◆刷毛目茶碗。 ●『大橋秋二』・・・● ―”(1795~1857)”― ★愛知県津島の医者で多趣味の知識人。 赤津の加藤春岱の窯を借りて驚くべき広範囲で芸域を 展開した。 若くして緒方周平・(仁阿弥道八の実弟)・に師事し ・後には長崎にまで赴いて中国陶磁の釉薬の技法を修 得し・職人芸にない品位のある作品をのころうとした。 瀬戸の作風のほか・唐津・萩・高麗・天目・染付・青 磁・赤絵。 印は・「養老」・「秋二」・など。 ◆白菊の絵茶碗。 ●『加藤春岱』・・・● ―”(1802~1877)”― ★幕末の瀬戸の消極的な陶芸の潮流のなかで御深井窯に 奉仕する御窯屋に加藤春岱のいたことは忘れてはなら ない。 赤津の自窯でも御用品や余技作家の作品を焼く。 陶芸の技術を教え手伝う一方・風雅を体した知識人た ちからさまざまな教養を得、また尾州家秘蔵の名品を 見る機会もあり・作風は大橋秋二同様きわめてひろい。 御用品に印を押さないが・売品には・「春岱」・の印 を押す。 ◆御本写し茶碗。 ■■『遠州七窯』・・・■■ ★小堀遠州・(1579~1646)・は・茶を織部に 学び・その後を継ぎ将軍家光の茶道師範となる。 長く伏見奉行をつとめ・武門式正の茶と公家王朝風を 合わせた・いわゆる・”きれいさび”・の茶風で・小 間の侘茶に・大名の社交・文化の場として書院・鎖の 間の明るい気分を加え・茶の湯の精神に忠・孝の意味 も加えた。 和歌の教養が深く定家流の書にすぐれ・春屋宗園に参 禅して・「大有」・の道称も授けられた。 道具は整正優美な品格の高いものを好み・茶入その他 の銘に優美な古歌を歌銘として選んだ。 遠州の鑑識によって選ばれたものは世に中興名物とい われる。 朝鮮釜山窯で遠州の美意識による御本茶碗を焼かせ・ 中国へも注文し祥瑞などを好んだ。 国内諸窯のも好みものを製作させたが・世にいう遠州 七窯は後世開窯のものも含む。 それはいかに江戸期を通じて遠州好みが茶の世界にひ ろく行われたかを示すものといえよう。 ●『高取焼』・・・● ★遠州窯の一つ。 黒田長政は帰化陶工八山・(のち八蔵)・をとりたて て・筑前鷹取山の麓に窯を開かせた。 窯場は数回変わり・中期ごろより福岡市内に藩窯は移 る。 初期の作風は当然高麗風で・入藁釉を多く用い・朝鮮 唐津途近似する茶器もある。 まもなく瀬戸の技術をとりいれ・二重・三重の巧みな 釉掛けを施し・水簸した胎土のきわめて薄作の茶碗・ 茶入は遠州高取と呼ばれる。 ◆遠州高取・茶碗。 ・江戸中期。 ●『膳所焼』・・・● ★略・・・・・。 ◆膳所焼・肩衝茶入。 ・江戸初期。 ●『上野焼』・・・● ★略・・・・・。 ◆上野焼・茶碗。 ・江戸中期。 ●『志戸呂焼』・・・● ★略・・・・・。 ◆志戸呂・茶碗。 ・江戸初期。 ●『朝日焼』・・・● ★略・・・・・。 ◆古朝日御本茶碗。 ●『赤膚焼』・・・● ★奈良県五条山の窯。 古代から土器・瓦器の類が焼かれていたが・江戸中古 ごろまでの歴史はさだかではない。 天明年間・(1781~89)・に京都の陶工治兵衛 らが五条に窯を興し城主柳堯山の保護をうけ・「赤ハ タ」・の勾玉印を授けられる。 「赤膚山」・の印もある。 遠州七窯に数えられるが・遠州の直接の指導があった わけではなく・華奢で繊細な遠州好みの著しい流行を 反映するものである。 ◆赤膚焼・絵唐津写し茶碗。 ●『古曽部焼』・・・● ★略・・・・・。 ◆古曽部焼・唐津写し茶碗。 ・初代・五十嵐新平。 ■■『口切り茶会の取り合わせ』・・・■■ ―”於・杉浦邸”― ●『床』・・・● ◆床・清巌宗渭筆・『臨済喝得口破』。 ◆茶壺・祖母懐・桃山。 ◆香合・古赤絵・明。 ◆釜・初代宮崎寒雉・姥口釜。 ◆炉縁・老松蒔絵。 ●『濃茶点前座』・・・● ◆棚・高麗卓。 ◆水指・紅志野。 ◆茶入・京焼・又玄斎在判。 ◆茶杓・又玄斎一燈・『髪置』。 内箱・不見斎・外箱・鵬雲斎。 ◆茶碗・了入・赤楽。 ◆蓋置・四代清水六兵衛・雲鶴写し。 ◆建水・瀬戸・蕎麦手。 ●『薄茶点前座』・・・● ◆薄器・菊棗大棗・不昧公好。 ◆茶杓・鵬雲斎共筒共箱・銘・『寿松』。 ◆茶碗・仁阿弥道八・染付。 ◆替・初代・真葛長造・銹絵。 ●『以心伝心』・・・● ―”口切の茶会によせて”― **”杉浦澄子”** ◆初座。 ◆後座。 ■■『国焼き諸窯』・・・■■ ★カラーページで・解説した・以外にも江戸時代に茶陶 を焼いていた窯は全国各地に多数存在します。 中でも・江戸期の茶碗を語る上で重要とされる・代表 的な国焼を一部紹介します。 ―”文・編集部”― ◆信楽焼。 ◆淡路焼・(眠平焼)。 ◆虫明焼。 ◆尾戸焼。 ◆楽山焼。 ◆萩焼。 ◆唐津焼。 ◆八代焼。 ◆薩摩焼。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● ■入力のミスはご容赦下さい。 ■他の出品も御覧頂ければ幸いに思います。 ■商品詳細文の転用は堅くお断り致します。 ●●入札案内・・・●● ■状態はすべて点検済ですが・ ■見落し等が無いとは言えません。 ■見解の相違も御座います。 ■御了承・御理解の上・入札下さい。 |
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