アウトロノウツは、もともと
1956年に
コロラド州ボルダーの
ボルダー高等学校(英語版)で、ジョン・"ストーム"・パターソン(Jon "Storm" Patterson:ボーカル、ギター)、ロバート・グレイアム・"ボブ"・デモン(Robert Graham "Bob" Demmon、
1939年2月11日 -
2010年12月18日[6]:ギター)、ブラッド・リーチ(Brad Leach:ドラムス)によって結成されたストームトゥルーパーズ (The Stormtroopers) というグループから発展して成立したバンドである。
1961年、彼らはリチャード・オーティス・"リッチ"・ファイフィールド(Richard Otis "Rich" Fifield:ボーカル、ギター)とディック・セラーズ(Dick Sellars:ギター)を加え、
ファシズムを連想させるバンド名(Stormtrooper は「
突撃歩兵」を意味する)に代えて、地元出身の英雄である
宇宙飛行士(Astronaut)
スコット・カーペンターへの敬意を込めたバンド名にした
[7][8]。パターソンはベースに転じ、ドラムスのリーチはジム・ギャラガー (Jim Gallagher) に交代して、
アメリカ海軍に入隊するためバンドを辞めたセラーズに代わって、デニス・リンゼイが加わった
[9]。デモン、パターソン、ファイフィールド、リンゼイ、ギャラガーのラインナップで、地元で大きな反響を得、
シカゴや、
テキサス州ダラスにもツアーし、
1962年には小さなレーベルであるパラディウム (Palladium) から、最初の
シングル「Come Along Baby」をリリースした
[7]。その後、
RCAレコードのある幹部が、地元の
ナイトクラブ「the Tulagi」で演奏していた彼らを見て気に入り、契約に至った
[10]。
一連の
シングルや
EP盤と並行して、アストロノウツは、
LP盤(英語版)も
1963年5月からの9か月の間に、『
Surfin' with The Astronauts』(アルバム・チャートである
Billboard 200 で最高61位)
[8]、『
Everything Is A-OK!』(コロラド州
デンバーの the Club Baja におけるライヴ・アルバム)、『
Competition Coupe』、『
The Astronauts Orbit Campus』(ボルダーにおけるライヴ・アルバム)の4枚をリリースした。
1964年、RCAは、アストロノウツが
日本でファンを増やしていることに気づいた。アストロノウツは
ベンチャーズとともに人気を博し、ビーチ・ボーイズよりもレコードが売れていたことを示したのである。 アルバム5枚と、シングル3枚が、日本ではチャートのトップ10入りを果たし、「Movin'」には「
太陽の彼方に」という日本語題が付けられ、チャートの首位に立った
[8]。
翌1965年、初来日を果たし、各地でコンサートを行った。しかし、日本滞在時にサインを求めてきたファンへいたずらを仕掛ける等、素行不良ぶりが祟り、殆どのアストロノウツファンはベンチャーズの支持へ移行した。
アストロノウツは、通算して9枚のアルバムを制作した。
1967年に最後のアルバム『
Travelin' Men』が出る前に、ギャラガーとリンゼイは
ベトナム戦争に
徴兵され、代わってマーク・ブレッツ (Mark Bretz) とロッド・ジェンキンス (Rod Jenkins) がバンドに入った。デモンも脱退し、ロバート・カール・マクレラン (Robert Carl McLerran) が代わって加わったが、やがてファイフィールドとパターソンは、
1968年のアジア・ツアーを最後にこのバンド名での活動を止めることを決めた
[8][9]。