2週間に及ぶ「九州ぐるり旅(宮崎、鹿児島、長崎、福岡(一応、熊本、佐賀も、立ち寄りはしました・・・・・)」も、いよいよ博多天神で終わりを迎える日が来ました。本来であれば、行きつけのスナックなどに行きたかったところですが、昼頃、床に落ちたものを取る時に、体を変な態勢でねじってしまった為、体の一部が痛くなりました。そこで、今夜は、ホテルでパソコンやテレビでも見て、おとなしく過ごす事にしましたが、そうは言っても晩御飯は食べねばならず、ホテル近くの店で良さそうなところを探しました。しかし、どこも満員です。「自分が良さそうだなあと思う店は、他の方々もよ良さそうに思うんだろうなあ・・・・・」とぶつぶつ文句を言いながら、ホテルに引き返そうとした時、一軒だけ、ガラガラで汚らしい店を見つけました。「まあ、いいか・・・」と思い、そこに入ったら、なんと、そこの店のママさんは、タイ人でした。メニューにタイ料理がひとつだけ載っていたので、「タイ人ですか?」と尋ねたら、そうでした。
話を聞いてみると、そのママさんは、タイの南部にある大きい町「パチャップキリカン」という町の出身で、中国系タイ人の子孫だそうでした。30年近く前なので、全く覚えていないですが、某も、かつて行った事のある懐かしい町です。ママさんは、9人兄弟の末っ子だった為、金銭的な問題から、母親(父親は、早くに他界)は充分な教育を与えてあげる事が出来ず、13歳の時、パーマネント屋に預けられたそうです。45年前とはいえ、月給は300バーツ(今の1500円)しかなく、服を一枚買ったら無くなったそうです。
ただ、たまたま店に訪れた日本人男性の話す日本語を「かっこいい・・・」と思い、20歳前後の時、バンコクのラチャブリーで日本語を習い始めたそうです。そして、その後、日本人の旦那さん(8歳上)と縁があって20代で結婚しましたが、子供を長く授からず、不妊治療までした末、35歳と39歳の時に、娘を出産できたそうです。
子供も2人生まれ、順風満帆に月日が流れるかと思いきや、娘たちが中学3年生と小学6年生の時、夫は、8年の闘病生活の末、肝硬変が悪化して、50代半ばで亡くなりました。そのちょっと前まで、夫の父母を介護していたので、やっと楽になれると思っていた矢先だったようです。彼女は、悩んだようです。日本には、特に頼れる人もいないうえに、子供たちは、まだ中学生と小学生です。そこで、夫と一緒にやっていた「この店」を何とか頑張ってやるしかないと決意し、4年がかりで調理師免許まで取得して、子供2人を育て上げたようです。
その甲斐あって、今は、上の娘さんが山口大学の医学部(看護学科)を出て、医療関係でお勤めし、下の娘さんは、九州大学医学部(看護学科)の学生さんだそうです。どちらも、頑張ったようで、成績優秀な為、特待生として学費は掛からないそうです。
彼女は、娘たちに言うんだそうです。「私は、13歳から、この45年間、働いて、働いて、働いて、あなたたちの手に職を与えた。だから、これからは、自分たちの力で生きていくんだよ・・・・・」と。そして、某にも言いました。「これからは、自分の人生の時間を大切にして、自由な時間を生きていきたいの・・・・・」と。
さて、今回、皆様にご紹介いたします商品は、30年前、某がタイに行き始めた頃、そして、宝石に出会い始めた頃、今は日本人が近づけない「タイ西部にあるビルマ人だらけの町」で宝石商から購入した、「当時、現地でNO1だったカボションルビー」です。これより上は無かったです。今も、これより上は見かけません。昔のモゴク産ルビーだけあって、白熱灯の光(夜のレストラン、デパートの宝石屋、パーティー会場などの光)に当てますと、まるで燃えているかのように真っ赤に燃え上がります。もちろん、透明な原石をカットしたファセットカットのモゴク産ルビーも、キラキラもあり綺麗ですが、サイズが全然違います。「種火」と「キャンプファイヤーの火」ぐらい違います・・・・・と、そこまでは言えませんが、まあ、ペンダントになさると、凄いと思います。「なに?、この、真っ赤に燃え上がっている石は・・・・・」と、同窓会などで皆に言われ、注目の的になると思います。ママさんの、「自分の選んだ時間を生きたい」、「自分の時間を生きてみたい」、そして、「今しかできない時間を生きていると実感したい」という願いが、この真っ赤なルースとダブって見えるのは、某(それがし)だけでありましょうか・・・・・。