明治~昭和を生きた真宗光明団の創始者、住岡夜晃。真宗光明団創立から死去するまでの31年間の珠玉の文章を収録した決定版。
明治~昭和時代を生きた真宗光明団の創始者。
1895年、広島県山県郡に生まれ、広島師範学校を卒業後、広島県内各地の小学校で教師を勤めた。
1919年、機関誌『光明』第一号を発行して光明団を創始。
その後、1949年に亡くなるまでの五十四年の生涯は求道と教育のために捧げられた一生であった。
彼は仏教を深く研鑽したが学者とはならなかった。鋭い直観による時代の洞察はあったが単なる思想家ではなかった。彼は終生求道者であった。そして教育者であった。仏教を単なる研究的対象として勉学することはできなかった。みずから仏教によって救われ、仏教によって終生自己を照らされていった。
また人を単なる人として対象的に見ることはできなかった。悩む人の友となり、苦しむ人の兄となった。そして自己の内に燃える本願の信の火を伝えようと努めずにはおれなかった。
その伝道法は時代の先端をゆく新しいものであった。彼は昭和の初年から受講者には島地大等師編さんの真宗聖典をもたせ、黒板を用いて講義を板書した。
その講義は三部経をはじめ七祖聖教、教行信証、その他大乗起信論などの仏典の克明な講義が主であった。このようなゆき方は、高壇の上からいわゆる説教調の説法をするのが普通であった戦前ではほとんど稀有な方法であったが、おそらく今日においてもなお異色を失わないものであろう。
彼ははじめ小学校の教師であった。寺院の出身ではなく、一介の在家者であった。後に宗教運動のため教職を追われ宗教家として立つにいたったが、終生僧籍をもたなかった。そのためきびしい圧迫を生涯受け続けたが、しかし彼は決してそれに反発せず、対立せず、また妥協しなかった。
「大法のごとく信じ、大法のごとく生き、いっさいに大法のごとく」を衷心の願いとして、終生、求道者として、教育者として歩んだ。
(参照 『真宗人名辞典』法蔵館)