先代の高級車路線はグロリアに譲り、1,500ccクラスの量販車市場を拡充するために、G1型直列4気筒OHV1,484ccエンジンを搭載する、
小型ファミリーセダンとして開発・投入された。
モノコック構造を採用したボディのバリエーションは4ドアセダンとステーションワゴン(W50A-1型)の2種類。
バン(V51A-1型)は旧来のスカイウェイの名を継承した。
当時の欧米自動車業界で本格化しつつあったメンテナンスフリー化を積極的に進め、4万kmまたは2年間保障の封印エンジンや、
1年間3万km無給油シャシーなどが話題を呼んだ。
1964年にはスカイラインGTが登場し、スカGの愛称で親しまれた。第2回日本グランプリGTクラス出場に向けて、
グロリアスーパー6用のG7エンジン(直列6気筒1,988cc)を搭載したもので、ホモロゲーション用に100台を生産
(試験車3台、レース出場車5台、一般販売92台)した。
4気筒のスカイラインに長大な6気筒をそのまま載せることは不可能であるため、フロント部を約200mm延長して搭載した。
急ごしらえのためメーターがS50のままの横長だったり(スケールは200㎞/hに書き換えられていた)、そのためタコメーターが収まらず、
ダッシュボードの上に独立して装備されていた。シフトレバーは長く、ダッシュボード奥下の床から出ていた。
またバンパーのオーバーライダーもS50同様に付いていた。標準はシングルキャブレターだがレース用オプションに
3連ウェーバーキャブレターが選べた。フェンダーサイドの「GT」のエンブレムは青色。
その翌年である1965年にはスカイライン2000GTが追加された。
プリンスではホモロゲーションモデルであったスカイラインGTの量産計画はなかったが、要望を受けて量産化が決定したもので、
それまで手作業による鈑金で延ばしていたエンジンルームをプレス製造とした。
最初から日本グランプリ出場車と同じ3連ウェーバーキャブレター、フロントディスクブレーキを装着。
タコメーターは丸くなったスピードメーターと並んでインパネに装着され、リモートコントールでシフトレバーも手前にされていた。
フロントフェンダーの「GT」エンブレムは赤く塗られた。グリルは当初は亜鉛合金(太い桟の間に細い桟が11本)から
「レースで勝つための軽量化」のため10本のアルミ製となる。燃料タンク容量は99。
ちなみにスカイライン2000GTについて、開発に携わった伊藤修令は後年に『無茶だもの、日産自動車ならあんな車は作らない。
試験もしないで売ったのだから』といい、渡邊
衡三も『当時ラリーでS54Bが参戦していると、フロントが肉眼で見えるほど捻れていた』と証言している。