
ロシア皇帝ニコライ二世の戴冠式の参列者のステレオ写真。
若干角度を変えて撮った写真を並べることで、専用の機器を用いると立体的に見える写真です。
立体視が出来る人であれば、機械がなくても3Dに見えます。
この手のものとしては、100年以上経っている紙物としても、量産品ですので同じ商品と比較しても状態は良いです。
商品の性質上台紙の反りはあります。
★以降は写真中の人物の説明ですので興味のない方は飛ばして下さい。
お取引に当たっては必ず自己紹介をご覧頂き、何かありましたらご質問下さい。
★写真中の参列者はザクセン=アルテンブルク公女アレクサンドラ・イオシフォブナ(ロシア大公妃、長女はギリシャ王妃オリガ、その娘のギリシャ王女アレクサンドラはロシア大公パーヴェル・アレクサンドロヴィッチ妃)を中心としたロシア皇室の中でもドイツ帝国ザクセン=アルテンブルク公国縁の各王侯家成員。
中心にいる二人、アレクサンドラ・イオシフォブナ大公妃(ロシア大公の妃は、他国のように王子の妃としての称号ではなく自身の権利でロシア大公の称号を持っているので、大公妃という訳も少し異なる)は長女のギリシャ王妃オリガを通してイギリス国王チャールズ三世の直系祖先、隣のプロイセン王子フリードリヒ・カールの三女でイギリスのコノート公爵夫人ルイーゼは長女のスウェーデン皇太子妃マーガレット(夫の即位前に死去)を通してスウェーデン国王カール・グスタフの直系祖先、アレクサンドラ大公妃の後ろに立っているアナスタシア・ミハイロブナ大公女(メクレンブルク=シュヴェリーン大公妃)は長女のデンマーク王妃アレクサンドリーネを通してデンマーク国王フレデリクの直系祖先に当たる。
立位左からロシア大公女ヴェラ・コンスタンティノブナ(アレクサンドラ大公妃の二女、ヴュルテンベルク王ヴィルヘルム二世と王妃のロシア皇女オリガ・ニコラエブナの養女、ヴュルテンベルク公子オイゲン妃)、一人おいてロシア大公女アナスタシア・ミハイロブナ(メクレンブルク=シュヴェリーン大公妃、デンマーク王妃と最後のドイツ皇太子妃の母)、メクレンブルク=シュヴェリーン大公女マリア・パブロブナ(エルダー、ロシア大公妃、ロシア皇位請求者キリル大公の母)、ロシア大公女エレナ・ウラジミロブナ(マリア・パブロブナ大公妃の長女でギリシャ王子ニコラオス妃、ニコラオス王子はグリーク・ニッキーと呼ばれていた((ニコライ2世の親友で、ニコライのニックネームがニッキーだったため))アレクサンドラ大公妃の外孫)、ザクセン=アルテンブルク公女エリーザベト(ロシア大公コンスタンティン妃)、メクレンブルク=シュトレリッツ公女ヘレーネ(ロシア大公女エカテリーナ・ミハイロブナの一人娘、ザクセン=アルテンブルク公子アルベルト妃)、座位左からヴュルテンベルク公女エルサ(ヴェラ大公女の長女、ヴュルテンベルク王妃シャルロッテの弟のシャウムブルク=リッペ公子妃)、アルテンブルク公女アレクサンドラ・イオシフォブナ、プロイセン王女ルイーゼ(イギリス王子アーサー・コノート公爵夫人、スウェーデン皇太子妃の母、長姉マリーがザクセン=アルテンブルク公子アルベルトの最初の妃で、その後妻がメクレンブルク=シュトレリッツ公女ヘレーネ。ヘレーネ公女とは娘と義理の娘同士が親しかった)。
因みにザクセン=アルテンブルク公家は男系が断絶しているが、それ以前に、最後の公世子と親しかったアルテンブルク公女マリア(前出のアルテンブルク公子アルベルトの夫人ヘレーネの義理の娘)が養子縁組をした血縁関係のない伯爵家の成員が家督を継いでザクセン=アルテンブルク公子・公女を名乗っているものの、家としては最後の公の次男(公世子の弟)が死亡した時点で断絶している(他家に合流、ゴータ貴族名鑑という王侯貴族の名簿がある)。アルテンブルク公女マリアと姉のオリガ・エリーザベト公女は、父のアルテンブルク公子アルベルトが写真中のメクレンブルク=シュトレリッツ公女ヘレーネと再婚したことでヘレーネ公女の義理の娘となり、ロシア皇族であった母の莫大な遺産の相続人であったヘレーネ公女の縁でロシアでも養育され、マリア公女は同じく写真中のアルテンブルク公女エリーザベトの娘のタチアナ・コンスタンティノブナ皇女とも親しい等、写真中の人物同士は日頃から交流があった。
このように、旧くは男系継承のみのサリカ法に則って男系子孫が絶えた時に断絶したり、分家の男子を当主に迎える家も多くあったが、全世紀初頭には既にかつては貴賎結婚家系で継承権を持たなかった系統の家が家督を継いでいたり、現代では平民と結婚する旧王侯貴族が増えたことで貴賎結婚そのものを問わなくなっており、男子のいない当主が子女のために家内法を変更して女系で継ぐ家も増えている。
ドイツ帝国ザクセン=アルテンブルク公家自体はザクセン=コーブルク=ゴータ家の分家で、ベルギー王家や旧ブルガリア王家、ドイツ帝国内の他の各分家も含めて成員は本家であるドイツ帝国ザクセン王国の公爵・公爵令嬢(原語では本家の爵位よりは格下)の爵位を持っており、本家のルーツはイタリアのヴェッティン家である。
ロシア皇室の関連では、現在ロマノフ家の子孫は男系男子の系統と男系女子の系統が皇位請求者の地位を争っている。
男系女子の系統は、現在の女性請求者の祖父の初代皇位請求者のキリル大公が革命時に皇帝ニコライ二世に反逆しボリシェヴィキ側に付いた・キリル大公夫妻の結婚時の宗教問題・キリル大公の息子ウラジーミルの結婚が貴賤結婚であるか否か等で家長と認めない向きもあるが、概ねキリル大公までは家長とする見方が多い。しかし次代の請求者の子は女系男子となるうえ、女系を認める視点からもキリル大公自身は最後の皇帝の従兄弟であり、血の上でも男系男子の系統より遠い。
男系男子の子孫の系統はこの写真の戴冠式の主人公のニコライ二世の姉妹のクセニア大公女と写真中のアナスタシア・ミハイロブナ大公女の兄弟であるアレクサンドル・ミハイロヴィッチ大公の子孫であり、血族関係も(男系だが女系でも)最後の皇帝から最も近いが、革命後のかなり早い段階から現行の君主家系の成員以外の者との結婚である貴賤結婚を繰り返している(革命以前からそうした皇族は増えており、貴賎結婚家系で家督を継いだ国も既にあった)。
次代は女系となる男系女子の系統の家長が、自身の系統以外の全ての親族を貴賤結婚を理由に一族の成員とは見做さないと宣言したため、その亀裂は深まった。