
新書です。 きれいなほうです。
まさか、
「光秀は善人だった」説
「心優しき悲劇の智将が主君の執拗なパワハラに耐えかねて」説
を信じていませんか?
「比叡山の焼き討ちの時も、信長を諫止した」というのは大ウソ。
光秀は、焼き討ちの最大の功労者です。
雄琴城主に送った手紙にも、「是が非でも撫で斬り(皆殺し)」とあります。
むしろ「宮廷(京都)に悪い影響ない?」とビビッていたのは信長。
焼き討ちの結果、近江の西岸一帯を手にしたのは光秀でした。
そのほか、門跡寺院の所領を「あんたらも比叡山の一味だろ」
と言いがかりをつけて押領しています。
門跡寺院の住職はたいていが天皇の兄弟か子供ですから、
それで天皇に泣きが入って、使いの山科言継が岐阜へ行くことになりました。
信長に「おたくの部下、ヤバすぎますよ」とチクリに来たんです。
すると京都にいると思った光秀がどういうわけか岐阜に。
往復何日かかると思ってるんですか!
こわいですね。
「光秀がお手許不如意でしょうと、夜中に金銭を届けてきた」
言継の日記にそう書いてあります。
すると「貴族の日記なんて信用できない!」という人が必ず出てくるんですが、
同じ人が『明智軍記』や『天台座主記』を信用するのはいけません。
それをやるんであれば、全部空想で書いてください。
一般的に、書状、日記、公式文書は信用に足るものとしています。
こういった一級史料を中心に「あるがままの光秀」を再現したのが本書です。