絶版希少本 備前古窯集成 古備前の鑑別と蒐集 年代鑑別法 別冊小さな蕾 日本の古窯2 壺・甕 すり鉢 徳利 花入・水指 茶入・鉢・皿 陶盤・サヤ 彩色備前 白備前
飛鳥時代 平安時代 鎌倉時代 室町時代 桃山時代 江戸時代 伊部焼
岡田宗叡 監修
冨岡大二 編著
香川忠範(本名忠昭) 撮影
創樹社美術出版
1983年
195ページ
約21x15x1.2cm
巻頭カラー口絵写真 36ページ39点 本文モノクロ 作品114点
※絶版
古備前、陶片、古窯址の魅力に取り憑かれた著者が、途方もない熱量をもって調査研究、
古備前153点を器種別・年代順に整理分類して、各作品のみどころ、年代鑑定の目の付け所、年代特有の作風、形式などを解説、寸法記載。
古備前焼鑑別と蒐集のコツを惜しみなく公開したもの。
モノクロ写真中心ですが、制作年代鑑定、古備前焼きの鑑賞に役立つ一冊。
古備前愛好家必携、内容充実の大変貴重な資料本です。
【目次】
備前古窯 名品図録と解説
●原色版 39点
作品解説(原色版)
●単色版 図版・解説 114点 主な作品を記載します
壺・甕 飛鳥時代長頸瓶 邑久郡横瓶 直線状文壺 四耳壺 三耳壺 波状文壺 蹲 片口小壺 ほか
すり鉢 海揚がり擂鉢 摺鉢
徳利 らっきょう徳利 いも徳利 かぶら徳利 阿古陀徳利 尻張り徳利 手付き徳利 肩衝徳利 へこみ徳利 献上徳利 扁壷徳利 ほか
花入・水指 鬼桶水指 旅枕花入 矢筈水指 耳付矢筈水指 耳付花入 細口花入 ほか
茶入・鉢・皿 丸壺茶入 肩衝茶入 大海茶入 手鉢 輪花鉢 八寸皿 ほか
その他 水滴 建水 火入 ぐい呑 香合 人物置物 布袋置物 柄燭 ほか
陶盤・サヤ 丸陶盤 角陶盤
彩色備前 人物伏香炉 岩上鹿香炉
白備前 八陵敷板
古窯址出土資料 瓦類 平瓦 宇瓦
すり鉢 断面図 見込み刻線図
壺等 高台付近 壺等の口造り
その他
古備前の鑑別と蒐集
鑑別と蒐集のコツ 冨岡大二
須恵器と備前焼
備前焼の誕生 伊部地区古窯趾分布図
伊部という地名
鑑別の総論と各論
表紙写真/三筋壺 平安末期
【作品解説】より一部紹介 寸法略
原色版
第1図 長頸瓶 飛鳥時代
岡山県邑久郡の作品には、ネットリした柔かい白色系の肌色を呈したものが時にある。猿投地方の白色系とは趣を異にしており、土が非常に肌理細かく、幼女の肌の如くである。邑久郡下でも、とりわけ寒殿古窯址郡出土の陶片にこの手の土味が多く、特に珍重されるものである。
第3図 直線文壺 平安末期
一次成型紐積み、二次成型ロクロの作品で、一見したところ鎌倉時代の作と似ているが、鎌倉よりも薄作りのため、重量がやや軽い。この期の特色は、巻き返した玉縁の幅が不揃いになるものが多く、また肩部に施された一本描きによる刻線が、整然としないものが多い。ややネバリ気のある土味で、この期は山々系の山裾に築窯された窯址が多く、流下粘土等も混じて使用されたものであろう。鎌倉盛期になると山腹から頂上近くに築窯されており、土はザングリしたものが概して多くなる。高台はヘラ撫でして平滑化されており、アバタ状は少ない。
第4図 三筋壺 平安末期
愛媛県北条市の地蔵堂出土と伝えられている、備前では現在唯一の三筋壺である。紐積みロクロ併用の成型で、土はややネットリした感がある。倒れて焼かれた為に裏側に焼きの甘い個所があり、一部に金色が発色している。古備前では飛鳥時代以来鎌倉末期頃まで、器表の一部に自然な金色が発しているものがあり、桃山時代以降になると殆ど見なくなる。現代では、作為的にこれを狙った作家もいるが、自然にできた金色は言葉で尽せない味があり、一見して相違が判り易い。この作品の器裏には細い刻線がぐるりと廻らされている。この内部刻線は飛鳥時代から鎌倉時代にかけて、時折見受けられるが、室町時代になると激減し、桃山時代に一部あるものの、江戸初期以降は皆無となる。この刻線が如何なる理由によって刻されたかは不明であるが、時代や窯址によってその刻線が異なっており、或る程度時代が把握できる。また濃褐色の肌色は現代では再現不可能で、この肌色も室町末期以前の古作に時折見受けられる特徴である。
第5図 直線波状文壺 鎌倉時代
左右不均衡な姿で、重量が極めて重いのが、この期の特色の一つである。常の肌色よりも淡く、胴部処々にクシ目の修正痕がある。また胴部に細い糸状の回転台を利用した修正痕がある。この期の作には回転台を利用した修正痕のあるものは少ないが、古窯址出土の陶片に一部見ることが出来、すべての点で鎌倉期を代表する作である。
第6図 蹲 鎌倉時代
左右不均衡な姿で、荒い土である。肩部が凹んでいるのは、首部を継ぎたす時に押えた為に出来た痕跡で、古窯址出土の陶片にも、この手のものは多く見受けることがある。
第7図 片口小壺 鎌倉末期~室町初期
大振りな作である。第5図の壺と同様に、常の肌色よりは淡い感じである。この手の肌色のものは鎌倉末期から室町初期にかけての古窯址から出土している。
第8図 玉垂壺 室町初期~中期
ザングリした肌であるが、左右不均衡な姿ではなく、ふくよかに整っているところに、見所がある。比較的に薄作りで軽く、胴部に細い糸状のロクロ痕が真横についている。玉垂れという呼称は、古代から中世にかけての、一種の流行語であった。
第9図 四耳壺 桃山前期
口部が比較的に細く、立ち上りの長いものは、天正年間の在銘物によくある姿である。高台は指撫でして平滑化され、陶印は高台に咲とあり、備前國加登ひねり土上々御講也天正十八年四月吉日と三行に刻されている。
第10図 四耳壺 桃山前期
肩部にふくよかな丸味があり、口縁部上端が偏平となる姿は、桃山期の特色である。高台はヘラ撫でして平滑化されているのも、室町盛期との大きな相違点である。
第55図 すり鉢 室町初期
瀬戸内の水ノ子岩から揚げられたものである。見込みの櫛目線は直線となり、高台ぎわから口部に立ち上る側面が桃山期ほど開かず、口縁部上面がやや斜に外側に下降している。この様式は鎌倉時代と共通のものであるが、室町期のものには、往々にして焼きが甘く感じられるものが多く、鎌倉期の窯址から出土するものは、概して焼きの強いものが多い。
第65図 らっきょう徳利 桃山時代
ラッキョウ型のため、このように呼ばれている。備前では徳利の種類が他窯に比して最も多く生産されており、古くから備前徳利は数奇者に珍重されたものである。ネットリした肌で、高台ぎわをへラ削りしている。
第88図 手付徳利 桃山後期
類を見ない珍品である。高台に三足が付いており一の陶印がある。一印の作者は有来新兵衛と密接な関係にあり、際立った作者である。
第123図 丸壺茶入 桃山前期
胴中央部に浅いロクロ痕が太く残っている。高台わきを力強くヘラ削りし、緋襷をかけている。黒い鉄分が多く吹き出していて、この期の様式をあますところなく現わしている。
ほか
古備前の鑑別と蒐集 富岡大二 【序文】より
素朴な備前の陶片に憑かれ、永い年月古窯址を歩き廻っているうちに、何時しかそれが習性となり果て、四、五日古窯址に入らぬ日が続くと、矢も楯もたまらなくなり、すべてを放棄して古窯址を彷徨する日が続いた。なまじっか、無理に気持を押えて、生活のための仕事をした日の夜などは、必ず夢に陶片が現われる。見事な口造りの内側に大きな陶印があったり、時には年号さえ刻まれている。
その翌日はもうじっとしていられなくなり、一人古窯址に入ってみる。幻とは知りつつも、夢に見た陶片を、確かめてみたいからである。そうしなければ、血が騒ぐからである。一日生きていけなかったからである。これも運命であり、避けることのできない宿業なのだろう。私の古窯址歩きに転期をもたらしたのは、古窯址の発見に一種の霊覚を持った友人を知ってからである。以後、古代の陶工たちが良土と燃料を求めて移動築窯した足跡を、丹念に追ってみることに専念した。時代に関係なく、各地に散在する古窯址を単なる好奇心で歩き廻るのとは違い、これは非常に勉強になった。例えば、口造り一つをとってみても、A窯址より若いB窯址には、A窯址と同様の口造りがあるが、新様式の口造りもあって、これが次のC窯址に踏襲されているのである。
また、従来の鑑別法と、出土陶片や確実な年号銘作品との間には、かなり距りがあることを知るようになり、各種美術専門誌に小論を発表してきたのであるが、これが機縁となり、このたび(社)日本陶磁協会の岡田宗叡理事や、創樹社美術出版の竹内達社長に、強く本書の執筆をおすすめ頂いた。
数年来、古備前の撮影に意欲を燃やし続けたカメラマン香川忠範氏には、今回格別のご協力を頂いたのを始め、古窯址に憑かれた仲間たちに感謝の意を捧げると共に、先学桂又三郎氏の偉業を、心から讃えたいと思う。
【著者について】刊行当時の情報です
岡田宗叡 監修
1909年千葉県野田市生れ 社団法人日本陶磁協会理事 著書『古陶見どころ勘どころ』『古窯のやきもの』監修『日本の壺』『茶碗あれこれ』他多数
冨岡大二 編著
1929年愛媛県松山市生れ 旧制高専中退 備前古陶磁研究家
香川忠範(本名忠昭) 撮影
1938年岡山県岡山市生れ 地方公募展県美展その他公募展多数入賞ライフワークとして古備前の陶印を研究 撮影約5000枚