ヘルムート・オットー・ルートヴィヒ・ヴァイトリング(Helmuth Otto Ludwig Weidling)はドイツ陸軍の砲兵大将でベルリンの戦いにおける最後のベルリン防衛軍司令官を務めた軍人です。第二次大戦では第56砲兵連隊長としてポーランド戦に従軍、1940年4月に第40装甲軍団砲兵部隊指揮官となり、フランス戦及びバルバロッサ作戦に従軍しています。1943年7月からクルスクの戦いに従軍し、10月には第41装甲軍団司令官に任命されています。1945年4月にはヴァイクセル軍集団指揮下の第56装甲軍団司令官に任命され、ベルリン前哨戦のゼーロウ高地の戦いに参加しています。ベルリン防衛戦ではヴァイトリングはベルリン東部の防衛を担当しますが、陣地死守の命令に反するとして抗命罪の汚名を着せられましたが、総統地下壕へ出頭してアドルフ・ヒトラーに直接現状を説き、ベルリン防衛軍司令官に任命されています。ヒトラー自決後は生存者にベルリンからの脱出を指示し、参謀長テオドール・フォン・ダフィングと共にソ連軍との交渉を担当しています。