小宇宙、掌中にあり。血赤珊瑚、一滴の黙示録。
わしは長年、美というものと格闘してきた。土を捏ね、火と語らい、筆を走らせ、時には厨房で器と食材の魂の対話に耳を澄ませてきた。そのわしをして、これほどまでに沈黙させる「赤」に出会うとは。
諸君、目を凝らして見てもらいたい。この掌に横たわる一滴を。これは単なる宝飾品ではない。地球の胎内、光の届かぬ深海の暗黒で、幾星霜の孤独と海神の息吹を吸い込み続けた生命の結晶だ。土佐の沖、そのまた深く、人の思惑など及ばぬ静寂の底で、この珊瑚は自らの血を固め、時を待っていた。
巷に溢れる、からからに乾いた地中海の珊瑚など、これと比べてはあまりに可哀想だ。あれが砂漠の砂なら、これは沃野の土。生命の潤い、粘り、艶がまるで違う。見よ、この凝縮された赤の深みを。それは黎明の空でもなければ、夕暮れの茜でもない。生命がまさに生まれ落ちんとする瞬間の、最も純粋で、最も力強い脈動の色だ。指でそっと撫でれば、ひんやりとしながらも、奥底に宿る仄かな熱を感じるだろう。これが、生きてきた証というものだ。
そして、この生命の塊を抱く黄金の意匠。これもまた、ただ者ではない仕事だ。近頃の職人は、とかく素材の力を忘れ、己の小賢しい技を見せびらかすことに終始する。だが、この作り手は違う。彼は珊瑚と対話したのだ。その曲線は、アール・ヌーヴォーの蔓草か。いや、違う。これは、黒潮のうねりそのものであり、珊瑚が生まれ育った海の記憶を黄金で写し取ったものだ。
「最高級四五%金無垢」とあるが、これも分かっておる者の仕事よ。純金ではこの赤の気高さに負けてしまう。かといって品位を落としすぎれば、珊瑚の持つ神性を損なう。この配合こそ、赤と金とが互いを殺し合うことなく、最も妖艶に、最も気高く響き合うための、まさに黄金律なのだ。まるで、極上の鮪のトロに寄り添う一滴の醤油のように、主役の味を極限まで引き立てるための、寸分の狂いもなき選択。これを愚直に「金無垢」と呼ぶところに、作り手の誇りと、本質を見抜く眼を感じるではないか。
この一滴の赤が、いかなる旅をしてきたか。想像するだに、心が躍る。かつて、この種の赤は「胡」を渡り、大陸の皇帝たちの指輪や帯留めを飾った。またある時は、大海原を越えて、欧州の王妃の胸元で輝いたことだろう。マリー・アントワネットが首を刎ねられるその瞬間まで、その白い肌を彩っていたのが、もしやこのような日本の深海から来た一滴の赤であったなら…歴史の皮肉とは、かくも美しいものか。
鑑定の紙切れには、なにやら「充填物を認む」などと野暮なことが書いてある。笑止千万。これは傷ではない。景色だ。この珊瑚が深海で過ごした永劫の時の記憶であり、大いなる自然の中で受けた名誉の負傷なのだ。その景色を愛で、同じ珊瑚の粉で丁寧に埋めてやった職人の慈しみの心。完璧なものなど、この世にはない。不完全さの中にこそ、真の美は宿る。それを理解できぬ者に、この逸品を所有する資格はない。
このペンダントを手にするということは、単に装飾品を身につけることとは訳が違う。それは、土佐の海の深遠と、悠久の歴史と、名もなき職人の魂、そのすべてを継承するということだ。これを下げて街を歩けば、諸君の首にかかるのは9グラムの貴金属ではない。地球が産んだ一つの小宇宙であり、美の歴史そのものなのだ。
さあ、この価値が分かる者だけ、静かに手を挙げればよい。わしは、この「赤」が、次の百年を語り継ぐべき主の元へと嫁ぐのを見届けたいだけだ。本物には、本物の価値が分かる主が必ず現れるものだからな。
こちらはあんまり反響なかったら取り消します〜奮ってご入札頂けると嬉しいです〜