江戸時代に書かれた「三国志」です。通俗三国志の翻訳者である「湖南文山」の肉筆です。
出品箇所の場面は、第一部「桃園結義」の序文で、これから「三国志演義」の物語が始まる部分です。
古筆切は額縁に入っておりますが、糊付け等しておりません。古筆切そのままの状態で額の中に入っております。このまま額縁で展示もできますし、取り外していただいて掛け軸への変更も可能です。
<湖南文山について>
江戸時代に「三国志演義」が日本語に初めて翻訳されており、翻訳者は「湖南文山」です。湖南文山は、その後の研究により、「天龍寺の禅僧・義轍が着手し、彼の病没後に弟の月堂が完成させた」との記録が発見され、「湖南文山」は、「義轍」の筆名であることがわかりました。
<国内の現存状況>
出品した「三国志」の奥書には、「元禄四年(1691)」との記載と、「湖南文山」の落款があります。また、「国書総目録」よると、湖南文山自筆の三国志が東北大学にあり、木版は宮内庁書陵部、東京大学、京都大学等に現存していることが書かれています。
<落款や旧所蔵者について>
「三国志」巻3の目次部分に、落款があります。
10枚目の画像をご覧下さい。
「壽禎」…江戸時代の仙台藩医・木村寿禎
「玄澤」…江戸時代の蘭学者。大槻玄沢
「義轍」…天龍寺の僧侶・義轍(湖南文山)
上記三名の落款の右側に仙台藩伊達家(竹に雀)の印があります。
出品した古筆に押印されている落款は、仙台藩医・木村寿禎の落款です。
<サイズ>
(古筆)縦24.3㎝、横7.6㎝
(額縁)縦34cm、18.3cm
※額縁の表面はガラスです。
<来歴について>
江戸時代に仙台藩伊達家に医師として仕えていた木村寿禎が収集し、所蔵していたものです。
所蔵されていたものの多くは、京都の公家(近衛家、鷹司家、九条家、大炊御門家)が書いた古文書でした。伊達綱村(仙台藩第4代藩主)が近衛基熈を通じて公家の茶道具や古文書を入手したり、京都の公家の娘が伊達家当主に嫁いだ際に嫁入り道具の一つとして古文書を持参したため、仙台藩では公家が書いた書物を多数所蔵しておりました。
その後、一部の古文書は伊達家から仙台藩医の木村寿禎に渡り、木村家で代々受け継がれております。その中から出品しております。
<送付方法等>
・送料は落札者様のご負担となります。おてがる配送ゆうパックにて発送いたします。(ご落札後、取引ナビより到着時間の指定ができます。)
・読み下し文と現代語訳をお付けいたします。
<読み下し文>
近年打つづき怪異(けい)の事共起(おこ)り候は皆是(これ)亡國の兆(きざし)なり、天なほ漢朝を捨ず、変(へん)を示(して)君臣を戒(いましめ)玉ふ。古より天子怪を見れば、則ち徳を修むと云(いえ)り、今内官漫(みだり)に權(けん)を執て天下の禍(わざわい)を成(なす)、早く之を除玉はば、天災自(おのずか)ら消すべしと密(ひそか)に奏聞しければ、其(こと)忽(たちま)ち洩(もれ)て、楊賜(ようし)、蔡(さいゆう)等、内官の為に□れんとせしを、呂強(りょきょう)と云(いう)もの蔡(さいゆう)が才(さい)惜(おし)み命を乞(こい)て助てけり。其後(そののち)内官に、張譲
<現代語訳>
(皇帝は詔(みことのり)を下し臣下たちに災異の原因を問いたまえば、議郎(ぎろう)蔡(さいよう)の上奏したことばには、)・・・・・
虹がおち、鶏が変化したのは、女人と宦官が政治に口出したためと論じて、そのことばは、なかなか憚(はばか)る色もない。みかどは上奏文を御覧じて、吐息をつかれ、やがて立ち上って御衣の召しかえをせられる。曹節はそのあとで上奏文をぬすみ読みして、のこらずお側の人々に告げきかせたので、他事にかこつけ蔡を罪におとし、官位を奪って、郷里に帰らしめられた。こののち、張譲(ちょうじょう)
(「完訳三国志」小川環樹、金田純一郎訳 岩波文庫)
<その他>
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