以下、作者の気持ちのなってのブラクラ妄想セールストークです〜〜
我が作品「Nuit de Tahiti(タヒチの夜)」に寄せて
私の名はジャン=リュック・ヴァレリー。パリの片隅にあるアトリエで、宝石という名の光のかけらに、永遠の物語を吹き込むことを生業としている。今日、諸君の前に差し出すこの一作は、単なるジュエリーではない。私の魂が、南太平洋の深く静かな夜と交感した記憶そのものである。
あれは数年前、創作に行き詰まった私が、文明の喧騒から逃れるようにタヒチの離島に滞在していた時のことだ。月も星も見えぬ新月の夜、私は入り江に浮かべた小舟の上で、ただ漆黒の闇と一体になっていた。静寂が支配する世界で、感覚は極限まで研ぎ澄まされる。その時だ。ふと水面に目をやると、夜光虫が放つ青白い光の粒が無数にきらめき、まるで水中の銀河が呼吸しているかのように見えた。そして、その銀河の中心には、深く、全てを吸い込むような3つの黒い影があった。それは岩か、あるいは深淵そのものか。闇の中に、さらなる闇が存在する神秘。その光景が、雷に打たれたように私の脳裏に焼き付いたのだ。
パリに戻った私は、あの夜の記憶を宝飾という形で再現しようと決意した。まず求めたのは、あの「深淵なる闇」を体現する真珠。世界中の黒蝶真珠を取り寄せたが、どれも私の記憶にある闇には及ばない。あるものはただ黒いだけで、あるものは輝きが強すぎて、あの静寂を宿してはいなかった。数ヶ月が過ぎ、諦めかけた頃、一人の老いた真珠商がアトリエの扉を叩いた。彼が古びたビロードのケースから取り出した3つの大粒の黒蝶真珠を見た瞬間、私は息を呑んだ。これだ。深い黒緑色の地色の中に、孔雀の羽を思わせる虹色の光(オリエント)が静かに揺らめいている。それは闇でありながら、内に無限の光を秘めた、まさにタヒチの夜そのものであった。
デザインの構想は、20世紀初頭、偉大なる先人たちが築いた芸術様式へのオマージュから始まった。私はアール・ヌーヴォーの有機的な曲線と、アール・デコの幾何学的な直線を、この小さな作品の中で融合させたいと考えた。自然が生んだ完璧な球体である真珠の官能性と、人間が作り出した理性の象徴である直線の緊張感。この二つの対立する要素が交差する点にこそ、現代における美が存在するのだと、私は信じている。
2本の鋭いホワイトゴールドのラインは、夜の海を横切る流星の軌跡であり、また、抗えぬ運命の糸でもある。それらが交差する様は、人生における予期せぬ出会いと、そこから生まれる新たな物語を暗示している。そして、その軌跡の先端で、あの夜光虫のように、あるいは遠い恒星のように輝くのが、2粒のダイヤモンドだ。最高品質の石が放つ冷徹なまでの白い閃光は、黒真珠の持つ静かな闇を、より一層深く、ドラマティックに際立たせるための必然の配置なのだ。
このブローチは、ペンダントとしても使えるように設計した。ある時は胸元で知的な輝きを放つブローチとして、またある時はデコルテで官能的な物語を語るペンダントとして。身につける人の個性と気分によって、その表情を変えるだろう。
鋳造、研磨、石留め。全て私の目の届く範囲で、最高の技術を持つ職人の手によって行われた。特に、3つの真珠の配置には数ミリ単位の調整を繰り返し、最も緊張感のある、それでいて調和のとれた構図を追求した。これはもはや、単なる装飾品ではない。身につけることのできる、小さな彫刻作品(スカルプチャー)なのだ。
この「Nuit de Tahiti」を手にする未来の所有者へ。
どうか、この作品を特別な日のためだけに仕舞い込まないでほしい。日常の中で、ふとした瞬間にこの黒真珠の深い輝きを覗き込み、タヒチの静かな夜を思い出してみてほしい。あなたの内なる宇宙と、この小さなジュエリーが共鳴する時、それは世界でただ一つの、あなただけの物語を語り始めるだろうから。
これは私の記憶の結晶であり、あなたへの未知なる物語への招待状だ。この価値を理解し、受け継いでくれる人の元へ、この作品が旅立つことを心から願っている。
ジャン=リュック・ヴァレリー