『光の息吹、あるいは運動の残像』
私の名は、もはや重要ではない。かつて人々は私をマエストロと呼んだが、今はただ、このアトリエの窓から差し込む光の角度で時を知る、ひとりの老人だ。長年、私はゴールドと石に語りかけ、その内なる声を形にしてきた。王侯貴族のティアラも、歴史を揺るがしたネックレスも、私の手から生まれていった。だが、私の魂が最も色濃く宿っているのは、おそらくこのささやかな一対のピアス、『PE3589YG』だろう。これは私の創作人生における、最終的な答えのようなものだ。
そのデザインの源流を遡るなら、私の若き日のパリまで行かねばなるまい。ルーヴル美術館の、あの階段の踊り場に立つサモトラケのニケ像。嵐の海風を真正面から受け、力強く広げられた翼の断片。人々は失われた頭部や腕に思いを馳せるが、私が心を奪われたのは、神の代理人たる翼そのものではなく、翼を打つ風、その目に見えぬ「運動の軌跡」だった。大理石に刻まれた、風が女神の薄衣を肌に押し付ける優美なドレープの曲線。あれこそが、静止した物体の中に永遠の動きを封じ込めるという、芸術の根源的な奇跡なのだ。
私は何年も、その「見えざる力」をジュエリーで表現しようと試みた。アール・ヌーヴォーの巨匠たちが植物の蔦や昆虫の翅に見た有機的な生命のライン、あるいは18世紀の芸術家ホガースが提唱した、万物の美の根源たるS字の曲線「ライン・オブ・ビューティー」。それらの歴史的遺産は、私のインスピレーションの血肉となった。だが、私は単なる模倣を良しとしなかった。私が捉えたかったのは、形そのものではなく、形が生まれ、そして消えゆく、その一瞬の残像なのだ。
ある朝、アトリエの床に落ちた一本の鷲の羽。その羽根がくるりと舞い落ちる様は、まるで宇宙の法則をミニチュアで示したかのようだった。その刹那の螺旋の動き、それこそがニケの翼を吹き抜けた風の可視化であり、私の追い求めていた答えだった。私はすぐに蝋を手にとり、その記憶が薄れぬうちに形を彫り始めた。それは翼でもなく、羽根でもなく、植物でもない。ただ純粋な「動き」そのものの抽象的なフォルム。流れるように始まり、優雅なカーブを描き、そしてすっと力を抜きながら消えていく。まるでバレエダンサーの完璧なアン・ドゥオールから生まれる一瞬の軌跡のように。
素材の選択は必然だった。このデザインの生命線である、光の連続性を表現するためには、パヴェセッティング以外にあり得なかった。合計0.86カラット、何十という小さな天然ダイヤモンドを、まるで天の川の星々のように、一分の隙間もなく石畳状に敷き詰める。メタル部分は、ダイヤモンドの純粋な輝きを邪魔しないよう、爪の存在を極限まで消し去る必要があった。これは単なる技術ではない。石一つ一つの完璧なサイズと配置を計算し、光が隣の石へと途切れることなく反射を続ける「光の連鎖」をデザインする、緻密な計算と忍耐の賜物だ。
そして、その輝きを受け止める地金には、最高級の18金イエローゴールドを選んだ。プラチナの冷たいほどの知性も美しいが、このデザインには生命の温もりが必要だった。ゴールドの持つ、太陽を思わせる温かく豊かな色合いが、肌の上でダイヤモンドの白い閃光とコントラストをなし、身に着ける人の体温と溶け合うことで、初めてこのジュエリーが完成する。耳元で、冷たい光と温かい光が戯れ合うのだ。
このピアスは、男女の区別なく身に着けられるように意図した(男女兼用)。なぜなら、エレガンスや美というものに、性別の境界線など存在しないからだ。力強さと繊細さ、光と影。その両極を内包するこのフォルムは、自己のアイデンティティを確立した、成熟した精神を持つ者にこそふさわしい。
私はこれを誰かのために作ったのではない。このフォルムが、この光が、「存在したい」と私に囁きかけたのだ。だから私は、それに命を与えた。この『PE3589YG』は、私の手を離れ、やがて誰かの耳元で新たな物語を紡ぎ始めるだろう。それは祝宴の夜かもしれないし、人生の新たな門出の日かもしれない。どのような場面であれ、このピアスは静かに、しかし雄弁に、その人の動きと一体となり、光の息吹を放ち続けるだろう。それはかつてサモトラケのニケが受けた風の記憶であり、私の魂が捉えた運動の残像なのだから。