以下、作者の気持ちのなってのブラクラ妄想セールストークです〜〜
E172【Chelo Sastre】— 我が銀の翼、静謐なる反逆の詩
地中海の深く昏い藍と、そこに射し込む一条の光。バルセロナのアトリエで、私は永らくそのコントラストを追い求めてきた。人々が私の名を口にする時、そこにはいつも「挑発的」「アヴァンギャルド」といった言葉が付き纏う。1980年代、アントニオ・ミロのショーで発表した乳首のためのリング『Pecho』。あれは若さゆえの反骨心であり、ジュエリーというものが持つ豪奢さや権威主義への、私なりの抵抗の表れだった。素材の価値ではなく、フォルムとアイデアこそが人の心を揺さぶるのだと、世界に証明してみせたかったのだ。
若き日の私は、迸る情熱のままに銀を叩き、捻じ曲げ、身体と一体化するオブジェを創り出した。それは時に、社会への鋭い問いかけであり、旧態依然とした美意識への挑戦状でもあった。カタルーニャの「新しい宝飾(nova joia)」運動の渦中で、私や、マリーナ・ルック、モンセラート・グアルディオラといった同時代の女性作家たちは、宝飾を単なる装飾品から、アートとしての表現へと昇華させることに心血を注いだのだ。
だが、時は流れる。ガウディの建築が自然の有機的なフォルムを写し取ったように、私の内なる情熱もまた、より静かで、より普遍的な形を求めるようになった。かつて私を突き動かした激しい感情の嵐は、長い歳月を経て、穏やかながらも力強い潮流へと姿を変えた。そして、その潮流の中で生まれたのが、この一対のイヤリング、『E172』だ。
この作品に込めたのは、声高に叫ぶ革命ではなく、静謐なる反逆の詩である。一見して、それは鳥の翼か、あるいは深海を泳ぐ生き物の鰭(ひれ)のようにも見えるだろう。有機的でありながら、同時に計算され尽くした幾何学的なライン。それは、自然界に存在する完璧なフォルムへのオマージュであり、かつて私を魅了したシュルレアリスムやモダニズムの芸術家たちが追い求めた、無意識の世界と構造的な美との融合への、私自身の回答でもある。
制作の過程は、瞑想にも似ていた。銀の冷たい塊を手に取り、火を入れ、その内なる声に耳を澄ます。銀が最も美しく、最も力強く在りたいと望む一点へと、私はただ槌を振り下ろすだけだ。私の仕事は、素材に新たな形を与えることではない。素材そのものが内包するフォルムを、この世界に解き放つ手助けをすることに他ならない。このイヤリングの表面を流れる滑らかな曲線と、エッジの鋭い切れ込み。そのコントラストは、人生における光と影、静と動、そして受容と抵抗の二面性を表現している。
近年、私は日本の漆芸にも深く心を惹かれている。ミニマルな表現の中に、宇宙的な広がりを感じさせるその精神性は、現在の私の創作活動に大きな影響を与えている。この『E172』には漆こそ使われていないが、その哲学は確かに息づいている。無駄を削ぎ落とし、本質だけを磨き上げる。銀という素材が持つ本来の輝きを、最大限に引き出すこと。それは、かつて私が過激なデザインで問いかけた「本質とは何か」というテーマへの、より成熟した答えなのだ。
このイヤリングを身に着ける女性は、多くを語る必要はないだろう。その耳元で銀の翼が放つ静かな光が、彼女の内に秘めた知性と、誰にも迎合しない強い意志を、何よりも雄弁に物語るのだから。これは単なるアクセサリーではない。バルセロナの光と影、地中海の波の記憶、そして一人の作り手の人生の哲学が凝縮された、小さな彫刻なのである。
かつての私は、ジュエリーで世界を変えられると信じていた。今、私は知っている。世界を変えるのは、ジュエリーそのものではない。それを身に付け、自らのアイデンティティの一部として輝かせる、一人ひとりの人間なのだと。
この銀の翼が、既成概念という見えない檻から飛び立ち、あなた自身の物語を羽ばたかせるための、ささやかなきっかけとなることを、アトリエの片隅で静かに願っている。