以下、作者の気持ちのなってのブラクラ妄想セールストークです〜〜
我が工房の窓から見える景色は、いつも同じようでいて、一日として同じ表情を見せることはない。光と影が織りなす万華鏡、そして絶え間なく打ち寄せる波の音。そのすべてが、私の創造の源泉となってきた。今日、諸君の前に差し出すこのブレスレットもまた、そんな日々の瞑想の中から生まれ落ちた、私の哲学の結晶体である。
あれは忘れもしない、世界が新たなエネルギーと自信に満ち溢れていた時代。人々は伝統に敬意を払いながらも、未来へと続く大胆な一歩を踏み出そうとしていた。かつての幾何学的な精神が再び囁かれ始め、それでいてもっと流動的で、もっと官能的なフォルムが渇望されていた。私の心もまた、その二つの潮流の間で揺れ動いていた。静的な完璧さと、生命力あふれるダイナミズム。その相克する二つの美を、いかにして一つのジュエリーとして昇華させるか。それが、この作品に与えられた至上の命題であった。
まず私の脳裏に浮かんだのは、連綿と続く波のイメージだ。波は、変化と再生、そして決して屈することのない力強さの象徴でもある。それは、寄せては返す生命の永遠のリズムそのものだ。私は、その優美でありながら力強い水の動きを、貴金属の永遠の輝きの中に封じ込めたいと願った。こうして、イエローゴールドの滑らかな曲線が、寄せては返す波のように連なるデザインの骨格が生まれた。それぞれのリンクが互いにしなやかに繋がり、まるで手首の上を滑るように動く。これは単なる装飾品ではない。身に着ける者の動きと一体となり、その人の生命力そのものを映し出す「第二の皮膚」なのだ。
そして、その黄金の波間を満たす光の奔流。ここに、私はあえて伝統的な円形のカットではなく、直線的で知的な輝きを放つバゲットカットダイヤモンドを選んだ。このカッティングが生まれたのは、奇しくも直線と幾何学を賛美した時代。そのミニマルなファセットが生み出すのは、鏡のような静謐な光の反射だ。それは、感情の波間にきらめく理性の光にも似ている。私はこの無垢な光の帯を、熟練の職人技であるチャネルセッティングで留めることにこだわった。二本の貴金属のレールでダイヤモンドを挟み込むこの技法は、石そのものの美しさを最大限に引き出し、極めて滑らかで引っかかりのない仕上がりを生む。これにより、デザインの流動性を一切妨げることなく、5.50カラットものダイヤモンドが、まるで一つの光の川となって手首を巡るのだ。
さらに、この作品の思慮深さは、素材の選択にも表れている。波のうねりを描くのは、太陽の光を思わせる温かなイエローゴールド。そして、その波間できらめくダイヤモンドを支えるのは、月の光のようにクールな輝きを放つホワイトゴールド。この二つのゴールドの対比は、情熱と冷静、光と影、男性性と女性性といった、万物が内包する二面性を象徴している。
かつて、ダイヤモンドのジュエリーは特別な夜のためだけに金庫から出されるものだった。しかし時代は変わった。現代を生きる人々は、日常の中にこそ本物の輝きを求める。このブレスレットもまた、その精神を受け継いでいる。ディナージャケットの袖口から覗かせれば比類なきエレガンスを、そして、ジーンズと白いTシャツといった装いに合わせれば、洗練されたラグジュアリーを演出する。それは、着ける者の個性と自信を雄弁に物語る、時代の証言者なのだ。
このブレスレットは、単なるダイヤモンドとゴールドの集合体ではない。それは、一つの時代の精神、自然への畏敬、そして人間の飽くなき美への探求心が結晶化した芸術作品である。そのしなやかな曲線は、人生の荒波を乗り越える強さと優雅さを象徴し、バゲットダイヤモンドの理知的な輝きは、どんな時も失われることのない内なる光を映し出す。
この作品を手にする者は、ただ宝飾品を所有するのではない。一つの哲学を、一つの物語を、そして、悠久の時の流れの中で磨き上げられた美の遺産を受け継ぐのである。願わくは、このブレスレットが、新たな持ち主の腕で、その人自身の物語を、これからも永遠に紡ぎ続けていくことを。