アルバム制作が1974年9月に決定、レーベルは大滝詠一の主宰するナイアガラ、発売元は独立系レコード会社のエレックだった。そもそも
ナイアガラ・レーベルは、CMソング<サイダー>のレコーディング先探しから始まった話だったが、最終的には大滝によるレーベル設立にまで話は膨らみ、日本初の本格的なミュージシャンズ・レーベルとしてスタートを切った。そして、同レーベル最初のアーティストとして、シュガー・ベイブが選ばれた
[book 2]。マーケティング戦略では、大滝自身のソロ・アルバムを先行させたほうが得策だったが、大滝はレーベルとしての“ナイアガラ”のスタートを強調するため、あえてシュガー・ベイブのリリースを先行させた。レコーディングについては「74年の4月にデモ・テープを録ったんです。“LFデモ”って呼ばれてるものですけど。そのデモ録りが終わった時点では、レコード会社が決まったので夏前にレコーディング始めるからって言われてたんですけど、夏過ぎても全然音沙汰がなくて。夏過ぎて呼ばれて、エレックになったって、いきなり。全然違う話になってね。年頭に風都市に入ったんですけど、そこが3月につぶれてね。それで自分たちで事務所を立ち上げたんですけど、その間の金銭的ダメージがとにかく大きかった」という。
バンドは9月半ばから1か月半ほど集中的なリハーサルを、初めの1か月を新宿の御苑スタジオで、その後エレック社内のリハーサル室に移動して行った後、10月末からレコーディングが始まった。山下は「エレックのスタジオっていうのが新宿2丁目にあって。ただのビルの2階でね。天井が低くて、めちゃくちゃ湿気が多くて。たまらずに、結局歌入れとかは六本木ソニーと福生に逃げたんですよ。エレックのピアノが湿っちゃっててどうしようもなかったから、曲によってはモウリ・スタジオで録り直したりね」「僕はもちろんレコーディング初めてだし、大滝さんもこれがナイアガラの第一弾だっていうので、今から考えると気負いがあったんでしょうね。毎日言い合い。とにかくお互い若かったというか。21から22にかけてのことだから。自分の頭の中で想起した音が出ないので、僕はそれがストレスになってね。大滝さんも大滝さんで色々と自分の思い通りにならないストレスっていうのかな、みな微妙に若気の至りというのか、そういうのが重なってましたよね。スタジオ環境とか、あとは現場のいろいろな、例えばメシ代が出ないとかね。お腹は減るし。笑い話だけどほんとにそうだったんです。取り巻く環境が自分の思っていたのと程遠くて、せめて曲だけでも聴いてほしいって、それで『SONGS』ってつけたんですよ」という。
アルバムについては「大滝さんがミックスをしていることで、このアルバムは非常にユニークな、インディーな音をしている。それは『SONGS』を今日まで生きながらえさせてきた大きなファクターだと思うんですよ」「コーラスなんかも無指向で録っているから、そういうところは彼の
吉野さんゆずり、あるいはLAで見聞きしたものかもしれないけど、洋楽的でまっとうな録り方をしているんだけど、当時、日本のメジャー会社ではそういうトライはほとんど許してもらえなかった。そういう点ではこれはガレージ・ミュージックなの。当時の既成のレコーディングでは考えられない、非常にパンクでロックンロールな音をしてるんですよ。それは偶然といえば偶然だけど」という。リリース後、
渋谷ジァン・ジァンの昼の部に出演したら客席がいっぱいになったばかりか、初めてアンコールを求められた。山下は自主制作盤同様、何らかの形として具体的に提示しない限り、人は認知してくれないのだということを大いに実感したという
試聴のみ。ケースには汚れ、破損がありますが、盤面は新品同様綺麗な状態です。
帯付き。
ボーナストラック収録。(demo &live)
94年リリース盤。