● リムスキー・コルサコフ:序曲『ロシアの復活祭』,op.36
デトロイト交響楽団
Rec:December 1953
● リムスキー・コルサコフ:スペイン奇想曲,op.34
デトロイト交響楽団
Rec:February 1953
● フランク:交響曲ニ短調
デトロイト交響楽団
Rec:November 1959(3-5)
ポール・パレー指揮
【指揮者パレーの誕生】
若き日のパレーは、ローマ大賞を受賞し、作曲家として認められる一方、オルガニストや、劇場の楽団のチェリストとしても活動。ほかにピアノとティンパニもこなしていたという作曲家兼マルチな器楽奏者でもありました。
そのパレーが指揮を本格的に始めたのは、第1次世界大戦が終わってドイツの捕虜収容所から解放され、ピレネー山麓のカジノのオーケストラに楽長として雇用された33歳の時でした。
フランスでのカジノ営業は都市部では禁じられており、保養地や観光地でのみ許可されていますが、保養地や観光地には経済力のある人々も集まることから、カジノはギャンブル目的だけではない、複合的な施設として運営されていることが多く、当時はそこで大小さまざまなクラシックの演奏会やオペラ上演がおこなわれたりしていました。
カジノでは、そうした音楽需要を目的に、シーズンオフの収入減をカバーしたい音楽家たちが、フランス各地から集まって楽団を編成していたのですが、パレーの指揮者としての初仕事は、そうした楽団を指揮するというものでした。
パレーは19世紀生まれの多くの指揮者と同じく、指揮を専門に勉強してはいませんでしたが、カジノの楽団で多くの経験を積み、指揮者としての能力の高さを認められます。個別の腕前は一流ながらも臨時編成という条件付きのカジノの楽団をまとめあげるプロセスは、指揮者としての腕を磨くには絶好の機会でもあったようで、同じく各地のカジノの楽団を指揮した11歳年上のピエール・モントゥー[1875-1964]と同じく、後年、「オーケストラ・ビルダー」と称えられることになります。
そして翌1920年、ラムルー管弦楽団の演奏会を指揮する予定だったアンドレ・カプレ[1878-1925]が急病で倒れた際、カジノの楽団の中にラムルー管弦楽団のメンバーがいたことから、パレーに声がかかり、急遽代役を務めて演奏会を成功させたことがその後の飛躍のきっかけとなりました。
そうしたパレーのオーケストラ・ビルダーぶりが遺憾なく発揮されたのが、デトロイト交響楽団との仕事です。1940年代に2度にわたって解散するなど低迷していたデトロイト交響楽団を、数年でメジャー級の実力にまで引き上げたその手腕には驚くばかり。
パレーの指揮者としてのキャリアは実に59年間に及びますが、その内訳は下記の通りとなります(第2次世界大戦中とデトロイト響退任後の76歳以降はフリーランス)。
未使用美品。
※ポール・パレー・コレクションからの分売です。
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