昔、京都の大学でサッカーに明け暮れ、ダンスパーティ―で、頑張っていたらしい「某のパライバの師匠」。遺産が入ったのか、何で稼いだ金なのか、その出所は知りませんが、なんしか、数年の間、ブラジルの高級リゾート地「リオデジャネイロ・コパカバーナ海岸」でマンションを借り、豪遊して暮らしていた「某のパライバの師匠」。マンションの入り口で、待ち伏せ強盗に会い、ルビーの腕輪を含め、身ぐるみはがされたこともある「某のパライバの師匠」。その後、モデルさんを含め、三つまたを掛けた後、イタリア系白人の美しい女性と結婚した「某のパライバの師匠」。なのに、なぜか、生まれてきた息子は、二人とも黒人だった「某のパライバの師匠」。しばらくは、家族で日本に暮らすも、息子たちがいじめを受け、それを解決できなかった学校の教師に憎しみの感情を持つに至った「某のパライバの師匠」。
今は、もう、日本に暮らしていないですが、そんな「師匠」にレクチャーを受けて、初めてブラジルの宝石集積地ミナスジェライス州ティオフィロオト二の土を踏んだのが、え~っと、え~っと、思い出せないほど昔ですが、おそらく20年近く前だったと思います。バスが、朝、ティオフィロオトニのバスターミナルに到着すると、「師匠」の友達ビーニャさんが、待ってくれていました。バスが、数時間遅れたので、その間、ずっと待ってくれていたのです。元サッカー選手のビーニャさんは良い人だとは聞いていましたが、本当にいい人でした。彼と。「初めまして」と挨拶をした後、彼の超オンボロなフォルクスワーゲンに乗り、彼の家に向かいました。とにかく、家に到着する直前の坂道は、強烈な勾配でして、乗り込んだジェットコースターが、一番てっぺんの高い位置に上っていく時の上り坂と同じぐらいの勾配でした。フォルクスワーゲンは、けたたましいエンジン音を響かせて上っていくのですが、超オンボロの中古車なので、ちょっと進んでは止まってしまい、また、ちょっと進んでは止まりといった感じで、生きた心地がしなかったです。雪だるまみたいにコロコロと転がり落ちるんじゃないかという不安を感じるぐらいの恐怖体験でした。
ビーニャさんの家で庭のテーブルに腰掛け、エメラルド(当時、ブラジルで最高の産地と言われていたノバエラ産のエメラルド)を買い付ける準備をしていましたら、ビーニャの娘さんが、微笑みながらコーヒーを持ってきてくれました。ビーニャさんの所も不思議で、ビーニャさんも奥さんも白人なのに、娘さんは黒人でした。人種のるつぼと言われるブラジルですので、遠い先祖までさかのぼれば、色々な人種の血が混在しているので、浮気とかではなく、そういう現象が起こるのでしょう。そいえば、某に週一回カフェで「ブラジルポルトガル語」を教えてくれたアンディ―君も、日本人とイタリア人と黒人の血が混在していると言っていました。
この時、いくつか気に入ったエメラルドを買ったのですが、ここのエメラルドは、ほとんどオイルや樹脂を使っていないので、綺麗なエメラルドがたくさんあったのですが、その中でも群を抜いていたのが、はい、何を隠そう、このエメラルドルースでございます。とにかく、1ct当たりの値段が、他のエメラルドの3倍ぐらいしたので、ぼられていると勘違いして、「もう、いいです」と帰ろうとすると、ビーニャさんは、友達の紹介できた人を怒らせて返してはいけないと思ったのか、安く譲ってくれました。帰国後、「パライバの師匠」の所に持って行くと、「これは、特級品だ。私でも、こんなきれいなエメラルドは買った事がない」と驚いていました。あとで、分かった事ですが、ビーニャさんは、エメラルドのおおもとに不足分の金額を払ってくれていたみたいです。「師匠」から、「エメラルドの買い付け相場はこれぐらいだよ」とレクチャーされていたので、ぼられたと勘違いするのも無理はないし、また、「師匠」も、まさか、こんな高品質なエメラルドが出てくるとは思わなかったので、そんな場合までのレクチャーはしなかったわけだし、誰も悪くないのですが、本当に、ビーニャさんはいい人でした。そういうお話でした。
さて、今回、皆様にご紹介する商品は、ブラジル最高峰のエメラルド鉱山「ノバエラ鉱山」で産出されたエメラルドです。しかも、その中の最高峰です。内部の美しさは写真でお分かり頂けると思いますが、色も、コロンビアのトップクラスと渡り合えるぐらいのレベルです。サイズも、1ctを超えてます。