「ウリキリ!」の品に、北大路魯山人を彷彿とさせる孤高の美意識と、今までの累計で婚約指輪を日本一売ったかもしれない不眠うつの僕ちゃんの深淵なる人生哲学を込めた、このネックレス専用の唯一無二の出品小説を執筆いたしました。お付き合い下さい〜
金声玉振(きんせいぎょくしん)。K18×Pt950 輝煌マグネット 2WAY装飾。人生という修行の伴走者。69cm 11.81g ウリキリ
ふん、またつまらぬものを…と、一瞥して思うたわ。
「ハイテク2WAYネックレス&ブレス」だァ? 片腹痛いわ。近頃の人間は、なんでもかんでも横文字をくっつければ高級に見える、便利になれば価値が上がると勘違いしておる。まるで、だしの取り方も知らん若造が「UMAMI」などと知ったような口をきくのと同じじゃ。ものの本質が見えておらん。まったく、嘆かわしい。
わしは長年、土を捏ね、炎と対話し、まことの美とは何かを追い求めてきた。魯山人が食と器を一体のものとして捉えたように、わしは、人と装身具の関係もまた、魂の器とその中身であると考える。そのわしの目に、この一本の「紐」がどう映ったか。最初は、ただの金と白金のまだら模様、成金趣味と無機質が喧嘩した、見るに堪えん代物じゃと思った。
じゃがな、わしは性分として、一度気になると眠れなくなる。工房の薄暗い灯りの下、桐箱からそっと取り出し、無骨な指先でつまみ上げてみた。ひやり、と冷たいプラチナの感触。続いて、ぬるり、と肌に馴染む金の温かみ。その二つの感覚が、指先で交互に、まるで寄せては返す波のようにわしを試す。
「輝煌」と名付けたそうじゃな。言い得て妙、しかし半分しか捉えておらん。この輝きは、太陽の下で咲き誇る向日葵のような、単純な自己主張の光ではない。これは、月光と燐光が入り混じったような、複雑怪奇な光じゃ。
見よ。この小さな18金の粒を。まるで粟(あわ)のようじゃが、一粒一粒が寸分の狂いもなく磨き上げられ、光を細かく、しかし確かに反射する。これは人生における、ささやかな喜び、日々の糧、笑い声の記憶。対して、その間に挟まれたプラチナ950の平板。冷たく、硬質で、光を鈍く受け流す。これは、試練じゃ。悲しみ、忍耐、言えぬ言葉、魂を削るような苦行の日々。
この首飾りは、喜びと試練を交互に、一本の糸で繋ぎ合わせておる。それも、ただ繋いだだけではない。見事な職人技で、まるで織物のように編み込まれておる。喜びが試練を支え、試練が喜びの価値を際立たせる。この構造そのものが、一つの小宇宙、人生の縮図ではないか。
そして、わしは気づいた。この金と白金の対比…これは、まるで夫婦そのものではないかと。
ここで、世の愚か者どもに、わしが生涯をかけてたどり着いた一つの真理を授けてやろう。
皆、勘違いしておる。結婚相手、配偶者というものはな、一番気の合わん、相性の悪い相手と添い遂げるのが道理なのじゃ。
何を馬鹿な、と思うたか。無理もない。お前たちは、恋愛と結婚を混同しておる。心地よい、楽しい、分かり合える相手と一緒になるのが幸せだと信じ込んでおる。それは違う。それはただの怠惰じゃ。魂の成長を放棄した、家畜の安寧じゃ。
考えてみよ。なぜ、我々はこの世に生を受けたのか。美味いものを食い、ただ楽しく生きるためか?それだけなら、犬や猫と変わらん。我々が人としてこの世に生を受けたのは、修行のためじゃ。己の未熟な魂を、様々な苦難や理不尽を通して磨き上げ、少しでもましなものにして、あの世へ還る。そのための、最高の修行の場が、家庭であり、その師となるのが、最も相性の悪い配偶者なのじゃ。
自分と全く違う価値観を持つ相手。自分の言うことを何一つ理解しない相手。自分の得意なことを、いとも容易く否定してくる相手。その相手と、四六時中、同じ屋根の下で暮らす苦しみ。これ以上の修行があるか?
怒り、諦め、絶望、そしてその先にある、ほんのわずかな慈悲。相手を変えようとすることを諦めた時、初めて人は自分自身と向き合う。なぜ自分はこれほどまでに腹が立つのか。なぜ自分の価値観だけが正しいと思うていたのか。相手という「鏡」を通して、己の最も醜い部分、未熟な部分を嫌というほど見せつけられる。その苦しみに耐え、己を省み、ほんの少しずつでも変わっていく。それこそが、人生の目的なのじゃ。
この首飾りを見よ。
暖かく、華やかで、外へ向かって輝く18金。これが、社交的で、感情表現が豊かで、美しいものが好きな一方の配偶者じゃ。
冷たく、不変で、内に向かって静かに光を秘めるプラチナ950。これが、寡黙で、理性的で、自分の世界を頑なに守るもう一方の配偶者じゃ。
この二つが、寄り添い、反発し、時に傷つけ合いながらも、一本の連なりを成しておる。どちらか一方だけでは、この深みは生まれん。金だけでは、ただ軽薄で騒々しいだけじゃ。白金だけでは、あまりに冷たく、寂しい。この相容れない二つの貴金属が、互いの存在によって、互いを「本物」たらしめておる。これこそが「金声玉振」。異なるものが合わさって奏でる、完全なる調和のことじゃ。
そして、極めつけが、この留め具じゃ。
「マグネット式」…ああ、これこそ「ハイテク」という言葉が唯一許される部分かもしれん。じゃが、わしに言わせれば、これは「ハイテク」ではない。「縁(えにし)」そのものの具現化じゃ。
ガチャガチャと不格好な金具を合わせるのではない。近づければ、すっ、と見えざる力で引き合い、カチリと音も無く一つになる。一度繋がれば、11.81グラムの全重量を支えるだけの強い絆となる。しかし、外そうと思えば、少しひねるだけで、また二つに分かれることもできる。
これは、夫婦の縁そのものではないか。
出会うべくして出会い、見えざる力で引き寄せられ、結びつく。それは抗いがたい、運命の力。しかし、その関係は、互いの意志と少しの作法で、形を変えることもできる。この絶妙な距離感、緊張感。これこそが、人間関係の極意じゃ。
69cmという長さも、実に考えられておる。
そのまま首にかければ、胸元でY字を描く、優美なネックレスとなる。これは、よそ行きの顔。社会的な自分を演じるための、凛とした装いじゃ。しかし、その内側には、金と白金のせめぎ合いという、誰にも見せぬ葛藤が秘められておる。
そして、手首にくるくると巻けば、幾重にも重なる豪奢なブレスレットとなる。これは、内なる顔。自分自身と向き合うための、あるいは、最も近しい者にだけ許す、親密な装いじゃ。一本の装身具が、時と場合によって、その表情をがらりと変える。まるで、人生の場面場面で、違う役割を演じる我々自身のように。
「ウリキリ!」だそうじゃな。結構。
わしは、この首飾りの真価を理解できん者に、これを売り渡すつもりは毛頭ない。これは、ただのアクセサリーではない。人生という名の修行の伴走者じゃ。
これから結婚する若い娘がいい。これまでの人生、楽しいことばかりだったかもしれん。じゃが、本当の戦いはこれからじゃ。お前が選んだ、あるいは、お前を選ぶ男は、きっとお前が一番理解できん相手じゃろう。その理不尽さに涙する夜、この首飾りのプラチナの冷たさに、己の孤独を重ねるがいい。そして、それでも朝が来て、陽の光を浴びた時、手元で輝く金の粒に、まだ失われていない希望を見出すのじゃ。
あるいは、長年連れ添った妻を亡くした男でもいい。共に過ごした日々は、戦いの連続だったかもしれん。じゃが、今一人になってみて、あのやかましさ、あの分かり合えなさが、いかに自分の人生を豊かにしていたかに気づくはずじゃ。この首飾りを、亡き妻の形見として身につけるがいい。金は妻の笑顔、白金は妻の涙。二つが合わさって、お前の残りの人生を、静かに照らし続けるじゃろう。
わしは、この「輝煌」の真価を解する、ただ一人のためにこれを用意した。
価値の分からぬ者、冷やかしは去れ。
これは、魂の器を求める者のための、一期一会の出品じゃ。
【商品仕様】
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