ミシェル・エムケ・ド・モンテーニュ
(1533~1592)フランス・ペリゴール地方、ボルドー近隣モンテーニュ城生れ、16世紀ルネサンス期フランスの哲学者。
6歳になるまで、家庭教師のもと専らラテン語での生活を強いられていた。
トゥールーズで法学を学び、法官となる。1568年、父の死でモンテーニュ城を相続する。
1570年、法官を辞して故郷に帰り、やがて『エセー』の執筆を始める。
法官辞任後、カトリックのシャルル9世、アンリ3世から侍従(非常勤職)に任ぜられる一方、
1577年にはプロテスタントのナヴァール公アンリ(アンリ4世)の侍従にも任ぜられた。
フランス宗教戦争の時代にあって、プロテスタントにも人脈を持つ彼が融和に努めた。
1580年、主著『エセー(初版2巻本)』を刊行、翌年にかけてドイツ、オーストリア、スイス、イタリアへ。
1581年、イタリア滞在中、ボルドー市長に選出されたことを聞き、帰還して1585年まで2期務める。
1590年、アンリ4世に顧問を要請されるも辞退。1592年の死の直前まで『エセー』加筆・改訂を続けた。
書名:モンテーニュ全集(1982年:白水社版)」:全9巻揃:
著者:モンテーニュ
訳者:関根秀雄/(斎藤広信ー『旅日記』参加)
発行所:白水社
発行日:1982年11月20日 発行 他
定価:1,800円 ~ = 17,300円
所収:【1】 モンテーニュ随想録 1 ◇
はしがき / 解説 はじめて『随想録』を読む人のために / 年表 モンテーニュとその時代 / 凡例 /
随想録 読者に;
第一巻 第一章、人さまざまな方法によって同じ結果に達すること ~
第二十三章、習慣のこと及びみだりに現行法規をかえないこと /
【2】 モンテーニュ随想録 2 ◇ 凡例 /
第一巻 第二十四章、同じ意図からいろいろな結果が生まれること ~
第四十二章、我々の間にある不平等について /
【3】 モンテーニュ随想録 3 ◇ 凡例 /
第一巻 第四十三章、奢侈取締令について ~
第二巻 第十一章、残酷について /
【4】 モンテーニュ随想録 4 ◇ 凡例 /
第二巻 第十二章、レーモン・スボン弁護 /
【5】 モンテーニュ随想録 5 ◇ 凡例 /
第二巻 第十三章、他人の死を判断することについて ~
第三十七章、子供がその父に似ることについて /
【6】 モンテーニュ随想録 6 ◇ 凡例 / 第三巻について /
第三巻 第一章、実利と誠実について ~
第八章、話し合いの作法について /
【7】 モンテーニュ随想録 7 ◇ 凡例 /
第三巻 第九章、いっさいは空であること ~
第十三章、経験について /
【8】 モンテーニュ旅日記 ◇ はしがき /解説/凡例/
旅日記 ;
1、ボーモンからプロンビエールまで / 2、プロンビエールからバーデンまで /
3、バーデンからアウグスブルクまで / 4、アウグルブルクからヴェネチアまで /
5、ヴェネチアからローマ到着まで / 6、ローマ滞在(一)/ 7、ローマ滞在(二)/
8、ローマからロレートまで / 9、ロレートからルッカまで / 10、デラ・ヴィラ温泉滞在(湯治前期)/
11、トスカーナ巡遊 / 12、デラ・ヴィラ温泉滞在(湯治後期)/ 13、ルッカから再びローマへ /
14、ローマからモン・スニ峠へ / 15、モン・スニ峠から一路モンターニュへ /
〇 付録;旅の日程表 /『旅日記』に出てくる貨幣 /
【9】 モンテーニュ書簡集 ◇ 解説 ー モンテーニュの手紙 /
書簡集;1、パリ警視総督メッシール・アントワーヌ・デュ・プラ宛(1562年)~
39、国王に奉る書〔1590年〕9月2日/
付録;1、モンテーニュ家事録(解説/家事録)/ 2、モンテーニュの書斎の天井に読まれる格言 /
3、奴隷根性について /
〇 あとがき / 総索引(随想録索引/旅日記索引/書簡集索引)/
参考:帯・ジャケにヤケ。小口・天・地、本文等に少汚れ・ヤケ・シミ・蔵書印等あり。四六判。計約3.6kg。≪新本購入≫
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★終活のため処分しております。