易林本 小山板 節用集 慶長十五年二月刊の小山仁右衛門永次開板『節用集』原寸大影印本 上下巻 解説 早大本
附録 十幹 十二枝 十二時異名 壱弐参肆伍陸漆捌玖拾 京師九陌横竪小路 名乗字 分毫字様
上平 下平 上声 去声 入声 南贍部州大日本国正統図 天竺 震旦 倭国 関東 鎌倉之五山 難読一覧
B・H・日本語研究ぐるうぷ 編
(代表 杉本つとむ)
文化書房博文社
1971年初版
約29x20x2.2cm
304ページ
函入 上製本
B・H・日本語研究ぐるうぷ
IMAI MIKIO,IWAI NORIYUKI,HUKUTI NOBUO,SUIMOTO TUTOMU
節用集・易林本四種のうちあまり知られていない「小山板」、
早大本、慶長十五年二月刊、小山仁右衛門永次開板の『節用集』を原寸大に影印し、巻末に解説を付したもの。
大変貴重な資料本です。
【凡例】
一、本書は、慶長十五年二月刊、小山仁右衛門永次開板の『節用集』を原寸大(縦二七七粍・横一九六耗)に影印したものである。
一、底本は、早稲田大学図書館所蔵の板本を使用した。但し下巻の最終丁裏の半丁分が切りとられ、代りに墨書きの識語がある。
一、巻末の識語(墨書き)は『易林本 小山版 節用集』のものではない(解説参照)。
一、底本は上・下二巻二冊本。上巻が六十八丁、下巻が七十二丁である。影印本作製にあたり、二巻一冊本とした。
一、底本は上・下巻ともあずき色の表紙を有する。本影印本の表紙はこれに似せた。
一、底本は上・下巻とも題簽が欠落し、わずかに上巻に後題簽らしきものが見られる。
一、本書中、著しい虫喰い・破れ等によって読めない箇所は、東洋文庫本によって補読し、本文末にこれを添えた。
一、本書のページ数は、底本本文との対応を考えてこれをほどこした。すなわち、上・一オは一ページ、下・一オは一三七ページとする。
【解説】より一部紹介
はじめに
上田万年・橋本進吉著「古本節用集の研究」(大正5年3月刊)によって、節用集研究がその緒についてから既に半世紀余が経過している。この間、この方面の地道な研究がつづけられてきたわけであるが、まだその研究は出発点をゆきつもどりつしているようである。特にいわゆる易林本については、『日本史年表』(歴史学研究会編、岩波書店1966年)に、〈この年(慶長二年)、易林本「節用集」を刊行する〉と見えるごとく、いつの間にか〈慶長二年刊〉と誤認されている。これは『日本史年表』だけの誤りではなく、多分に一般化して、定説に近いようである。しかしどこにも刊年は記されていない。わたしたちはここで、〈初印本・平井板・同別板・小山板〉の四種を〈易林本〉と総称することとした。刊年及び板元が銘記されているのは、今回影印本としてわたしたちの出版する〈小山板〉のみである。とはいえ実は、〈易林本〉の四種もその相互の比較考察が厳密におこなわれている
わけではなく、呼称についても、研究者によってやや異なる。たとえば〈小山板易林本>とか〈小山板慶長十五年本〉と仮称しているがごときである。わたしたちは上記の四種が大きく〈易林本〉としてまとめられるものと判定し、本書は〈易林本 小山板〉と呼ぶことにした。
刊記の明確な点とともに、内容的にもこれを中心として、他の三本を比較検討することは意味のあることと信じている。詳細は索引研究編にゆずるが、以下いくらか解説をほどこしてみよう。
【目次】
上巻
伊 呂 波 仁 保 辺 登 知 利 奴 留 遠 和 加 与 太 礼 曽 津 袮 奈 良 牟 宇 為 乃 於 久
下巻
也 末 計 不 古 江 天 阿 左 幾 由 女 美 之 恵 比 毛 世 寸
(附録)
十幹
十二枝
十二時異名
壱弐参肆伍陸漆捌玖拾
京師九陌横竪小路
名乗字
分毫字様
上平 下平 上声 去声 入声
南贍部州大日本国正統図
天竺 震旦 倭国 関東 鎌倉之五山
難読一覧
解説 易林本 小山版 節用集 ~その特徴と主な問題点~
はじめに 底本の早大本について 特徴と主な主題点 小山板の位置 現存の諸本 おわりに
BIBRIOGRAPHICAL INTRODUCTION B.H. Japanese Linguistic Group