
超貴重な『かじ平真偽押形』を出品します。
この本は加島勲さんと内田疎天さんとの共著で、今から89年前の昭和11年に大阪刀剣会から発行された本です。
刀匠直胤の孫弟子の細田平次郎藤原直光が偽銘を切った証の本と言う方もいますし、
この本に所載の刀は正真で有ると言う方もいます。
真偽は判りませんが貴重な本です。
残念ながら本のみで外箱などは御座いません。
【鍛冶平 細田直光】
細田 直光(ほそだ なおみつ、生年不明 - 1898年以後?〈明治30年以後?〉)は、日本の刀工、偽銘師。
本名は細田平次郎であり、通称を鍛冶平と呼ばれる。
幕末期に江戸を中心に活躍した刀工であった一方、名工の銘を偽造し、多くの偽銘刀を創り上げた偽銘の名人としても知られていた。
鍛冶平は常陸国鹿島郡(現在の茨城県鹿嶋市)の出身であり、鹿島神宮にゆかりある名家の出身とされている。
刀工として江戸時代後期に活躍した次郎太郎直勝の許に入門する。
なお、次郎太郎直勝は江戸三作の一人である大慶直胤の娘婿かつ養子であったため、
その門人である鍛冶平も大慶直胤や次郎太郎直勝の流れを汲んだ備前伝や相州伝などの作風を使いこなす高い技量を持っていた。
鍛冶平は江戸の湯島天神の辺りに居を構えていたが、姫路藩藩工として三十人扶持で召されるお抱え刀工としても活躍していた。
ただ、鍛冶平は作刀よりも偽銘切りの方が上手であったとされており、繁慶は彫り銘であるため難しいが、
山浦清麿などは何でもない、と豪語していたとされる。
また、清麿自身も鍛冶平の偽銘刀を見て
「この刀は無銘でよい、という注文だったのに、いつ銘を切ったのだろう。これはしくじった。」
と頭をかいていたという逸話も遺されている。
特に明治維新後は、廃刀令の影響で刀工として困窮したことから、鍛冶平は生活のために偽銘切りに精を出すようになり、
長曾祢虎徹をはじめ肥前忠吉や大慶直胤、水心子正秀なども偽銘を切ったといわれる。
その後は1898年(明治30年)頃までは生存していたものとみられている。
なお、鍛冶平は几帳面な男であったようであり、自身が切った偽銘の押形帳を遺している。
この押形帳を見ると相州上位物や刀剣鑑定を家業とする本阿弥家の金象嵌銘も数多く偽造したことが判る。
なお、これら鍛冶平の押形は1936年(昭和11年)に大阪刀剣会より『鍛冶平真偽押形』として出版されている。
偽銘師が自身の偽銘を押形に遺すことは稀有なことであるため、
『鍛冶平真偽押形』は日本刀における偽物研究の貴重な資料の一つとなっている。
参考までに銀座長州屋さんのYoutubeのURLを貼っておきます。
稀代の偽作者「鍛冶平」その①
稀代の偽作者「鍛冶平」その②
稀代の偽作者「鍛冶平」その③
稀代の偽作者「鍛冶平」その④
89年前の本ですので、本の小口や背に古本につきしみや汚れがありますが、破れなどはございません。
また外箱は御座いません。
状態を画像でご確認の上ご入札ください。
到着してからのクレームや返品無きようにお願い致します。