ジャケなし 盤のみの出品です。
60's ステッペンウルフ
Steppenwolf (国内盤7inch) / マジック・カーペット・ライド Magic Carpet Ride / スキ・スキ・スー Sookie, Sookie
Stateside HR-2157
1968年
レコードの盤面の盤質は、コスレが、あり、チリプチが、入ります。
ジャケなし 盤のみの出品です。
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カナダ・トロント出身のロック・バンド。名前はヘルマン・ヘッセの小説『荒野のおおかみ』(Der Steppenwolf)に由来。1964年結成のザ・スパロウズを前身にして、67年のサンフランシスコ移住後に現名義に改名し、ジョン・ケイを中心に68年にデビュー。映画『イージー・ライダー』で「ボーン・トゥ・ビー・ワイルド」(邦題「ワイルドで行こう」)が使われて ブレイク。以降「マジック・カーペット・ライド」「ロック・ミー」「ザ・プッシャー」などがヒット。72年に解散、74年に再結成。その後も解散・結成を繰り返す。
ステッペンウルフ(Steppenwolf)は、1967年に結成されたロックバンド。「ワイルドでいこう!(ボーン・トゥ・ビー・ワイルド)」や「マジック・カーペット・ライド」、「モンスター/スーサイド/アメリカ」、「レネゲイド」、「ザ・プッシャー」などが代表作。バンド名は、ヘルマン・ヘッセの小説『荒野のおおかみ』(Der Steppenwolf)から名付けられた。彼らは1960年代に熱狂的なファンの支持を得て、現在までに全世界で2,500万枚以上のアルバムの売り上げを記録している[7]。 デビュー・アルバム『ワイルドでいこう! ステッペンウルフ・ファースト・アルバム』のレコーディング中に、ベーシストがラシュトン・モーヴからジョン・ラッセル・モーガンへ交代している。ステッペンウルフは、デビュー・アルバムからシングルカットされた3枚目のシングル「
ワイルドでいこう!」と、
ホイト・アクストンの楽曲のカバーである「ザ・プッシャー」の2曲が映画『
イージー・ライダー』の作中で用いられたことにより、世界規模の知名度を得た。「ワイルドでいこう!」は、ジェリー・エドモントンの兄で、ザ・スパロウズ時代およびステッペンウルフ時代初期のリードギタリストであったデニス・エドモントンによって制作された。デニスはソロ活動を行うためにステッペンウルフを脱退し、
マーズ・ボンファイヤー(
Mars Bonfire)名義で活動した。「ワイルドでいこう!」はチャート2位を記録した。この曲は、ロックの歌詞に「
ヘヴィメタル」という言葉を織り込んでいる(実際には、この言葉は音楽のジャンルではなくバイクを表している)。
この曲に続いていくつかのヒットソングが発表された。例を挙げると、セカンド・アルバム『ザ・セカンド』収録の「マジック・カーペット・ライド」(チャート3位)、サード・アルバム『ステッペンウルフとバースデイ・パーティー』収録の「ロック・ミー」(Rock Me、チャート10位)などである。2枚組アルバム『ライヴ』について、ジョン・ケイは自叙伝『Magic Carpet Ride』で個人的にこのアルバムが嫌いであると述べている。
保守派の
ニクソンが大統領だった時代のアメリカを批判するアルバム『モンスター』と、『ステッペンウルフ・7』の2作品は、バンドの最も政治色の強いアルバムである。
ステッペンウルフは1971年、同じく政治的コンセプトのアルバム『フォー・レディズ・オンリー』のリリース後、1972年のバレンタインデーに突然活動休止を発表。ケイはソロ活動に移行する。1974年にはステッペンウルフが再結成されてアルバム『スロー・スラックス』をリリース、収録曲「ストレート・シューティン・ウーマン」(Straight Shooting Woman)が小規模なヒットを記録した後、1976年に再度解散。1977年から1980年にかけては
ツアーのための再結成が行われ、かつてのメンバーであるニック・セント・ニコラス、ゴルディ・マックジョン、ケント・ヘンリー、ラシュトン・モーヴなどを起用したさまざまな形態で活動を行ったが、ケイ本人は参加しなかった。
フィル・スペクターのプロデュースにより新しいスタジオ・アルバムが1978年に企画されたが、断念された。別のアルバム『The Night Of The Wolf』は1979年に録音が行われたものの、リリースされなかった。さらに3番目のアルバムが1980年に録音されたが、法的手段によって中止させられた。ケイの自叙伝によると、新たなステッペンウルフは結局、元のバンドの殻に過ぎないと分かり、バンドの評判が低下してしまう原因となった。数件の訴訟が起こされ、バンドの名を守るためにジョン・ケイは1980年代初頭に新たな形態のステッペンウルフを結成し、ジョン・ケイ・アンド・ステッペンウルフ名義でツアー活動を行うようになった。2001年にはソロ・アルバムもリリースしている。
2019年11月22日、ジョン・ケイはバンドの2018年10月14日のライブが最後の公演であると発表した
[8]。
ステッペンウルフは、カナダのバンド「スパローズ」のメンバーだったジョン・ケイ(ボーカル、ギター、ハーモニカ)、ゴールディ・マクジョン(オルガン、ピアノ)、ジェリー・エドモントン(ドラム)の3人で1967年にLAで結成。彼らにマイケル・モナーク(リードギター)とラシュトン・モリーブ(ベース)が加わり、同年、バンドはDUNHILL/ABCと契約し、プロデューサーのGABRIEL MEKLERとともに、セルフタイトルのデビューアルバムをレコーディング。
名曲"Born To Be Wild"(アメリカで2位のヒット)で成功を収めたバンドは、1969年に公開されたカウンターカルチャー映画「イージー・ライダー」で"The Pusher"とともにフィーチャーされ、さらに広く知られるようになります。
68年10月にリリースされた「THE SECOND」は、ヒットシングル"Magic Carpet Ride"(全米2位のヒット曲)を収録。69年3月にリリースされた「AT YOUR BIRTHDAY PARTY」はさらなる成功を収め、ベースにニック・セント・ニコラスを新たに起用、対してマイケル・モナークを起用した最後のレコードとなっています。1969年7月にリリースされた「EARLY STEPPENWOLF」は、1967年5月にサンフランシスコのTHE MATRIXで行われたライブ録音で、"The Pusher"の20分のバージョンを収録。1969年11月に発表された次のスタジオアルバム「MONSTER」は、アメリカのベトナム戦争への参加をテーマにしたもの。1970年には、2枚組LP「STEPPENWOLF LIVE」と「STEPPENWOLF 7」の2枚のアルバムをリリースしたものの、バンドの人気はやや低下し始めます。1971年11月に発売されたアルバム「FOR LADIES ONLY」がDUNHILL/ABCでの最後の作品となり、1972年2月に解散。その後すぐ、1974年に再結成しています。
A | | Magic Carpet Ride | 2:55 |
B | | Sookie, Sookie | 2:58 |