
商品説明等々が、長文で大変申し訳ございませんが、取引トラブルを避ける為、ご面倒かとは思いますが、最後までお読みください。
[取消・キャンセル]はお受け出来ません慎重にお考えの上で責任あるご入札を宜しくお願い致します。
(商品説明の下部に「追加画像」を添付してありますので ご確認のうえ応札願います。当方では「画像修正」等々は一切していませんので ご安心のうえご確認ください。)
取扱い商品の都合上 鑑定書(認定書・極め書き)の無い物についての「商品説明」等々は、あくまでも当方の主観で説明していますので「参考説明」程度にお考えください。
また 当然の事として「使用感・経念感」はあります。そういった事や「経年・使用」の時代経過の状態を気になさる方 また神経質な方は ご入札を控えて頂いたほうが 宜しいかと存じますので入札をご遠慮 お願いします。
(尚 説明・解釈等々の過ち 記述の誤り等々はご容赦願います。尚「解釈の過ち・記述の誤り」等々があった際には「画像」での「確認」の方を優先してお考え下さい。)
サイズ約(cm)盛皿 在銘・明珍(花押) 鍛鉄地 上部の径 28・8×28・8 高さ 8・65 重量 780g(家庭用秤にて計測)
時代物の「 桐製保存箱」が付いています。(慎重に測っていますが あくまでも参考寸法とお考え下さい)
この度の「盛皿」は「三葉葵に雲龍の図」で江戸後期頃の甲冑師の「明珍(花押)」と在銘で平地の全面を強靭に鍛錬した鉄地に槌目風を打ち、
凹凸を施しか絞め焼付けて「丸形皿」に仕立てたと思われ「耳」には「鉄地丸覆輪」を施して強度を付け有ります。
「見込み」は「雲形」にして際に裏から「逆魚々子」打ちて強度を付け有り「三個」の「足」も、際に裏から「逆魚々子」打ちして強度を付け有ります。
「平地」には「雲間」に「尾」に「剣」を持つ大振りの「雄龍」を「毛彫」で大胆且つ丁寧に彫入れた「雲龍」の図柄です。
「見込み」には若干「茎」の長い「三葉葵」の図柄を「雲龍」同様に「毛彫」で入念に彫入れ丁寧に仕立てあり、時代物としては鉄地の鍛錬が良い為に「甲冑師鍔」に通じ 鉄味良く鉄質も上々です。
元来は表裏に「黒漆」が施されていましたが、長き時代経過により殆ど失われ趣ある「古味」に満ちた現状です。
長き時を経た「時代物」としては誠に「健全」で全体的に出来栄え保存状態共に最上々で趣きに満ちていています。
誠に強固な鍛えで「甲冑師」の巧妙な技量の高さを垣間見る丁寧な仕立てをした、
江戸後期の時代物としてはの最上々の趣ある「盛皿」で貴重な「在銘・明珍(花押)」の優品です。
時代杉製保存箱が付いています。
「明珍」は平安時代より続く甲冑師の家系で12世紀半ばに近衛天皇に鎧と轡を献上したところ「音響浪々光り明白にして玉、類いまれなる 珍器なりと称賛され「明珍」の姓を賜わりました。
室町時代・戦国時代と活躍した「明珍信家」が日本最高の甲冑師と言われ名高く、後の「明珍義時」が幕府の大老である「酒井忠清」の抱え甲冑師となり群馬県前橋に住し
後の「明珍宗房」の時に主君「酒井家」が姫路藩主となった為に姫路に移り住む事となるなど、江戸時代にも様々な「各藩」に抱えられ「明珍派」は大いに繁栄し現代にも続いています。
「明珍派」はもとより「甲冑師」は江戸中期以降には「甲冑」の需要が減った為に「鍔・自在置物(海老・蟹・蛇)・火箸・風鈴」等々をも製作していますが、
この度の様な「盛皿」は先ず出会うことが無く非常に少なく貴重です。
「月刊誌」の「盛皿 在銘・明珍(花押) 」の記載部分の参考コピーをお付けします。)
長き時代経過する「盛皿 三葉葵に雲龍の図 在銘・明珍(花押)」ですので 当然の事として時代経過による「使用感・経年感(黒漆ハゲ・錆)」はありますが
当方が見る限り「時代物」として問題になる傷みは無く「使用・鑑賞」に充分に堪えてる最上々の状態で趣良く楽しめます。
何れにしても時代を経た物である事をご理解のうえ応札願います。(画像でご確認し ご納得の上で応札願います。)
入札及び落札後のキャンセル・返品は基本的にお受け出来ません。画像を多数入れてありますので、よく確認のうえ 疑問 点は質問して 責任を持って応札をお願い致します。
発送は ゆうパック80~100サイズ 着払い(元払い)にて発送致します。 宜しくお願いします 。
以上の「記載内容・画像」を御納得いただき お取引していただける方のご入札お待ちしております。
(2026年 1月 21日 15時 12分 追加)
盛皿 三葉葵に雲龍の図 在銘.明珍(花押).鍛鉄地.毛彫.甲冑師.江戸後期.鎧.甲冑師の巧妙な技量の高さ.長き時を経た「時代物」としては誠に「健全」で全体的に出来栄え保存状態共に最上々で趣きに満ちていています。
誠に強固な鍛えで「甲冑師」の巧妙な技量の高さを垣間見る丁寧な仕立てをした、
江戸後期の時代物としてはの最上々の趣ある「盛皿」で貴重な「在銘・明珍(花押)」の優品です。
この度の「盛皿」は「三葉葵に雲龍の図」で江戸後期頃の甲冑師の「明珍(花押)」と在銘で平地の全面を強靭に鍛錬した鉄地に槌目風を打ち、
凹凸を施しか絞め焼付けて「丸形皿」に仕立てたと思われ「耳」には「鉄地丸覆輪」を施して強度を付け有ります。
「見込み」は「雲形」にして際に裏から「逆魚々子」打ちて強度を付け有り「三個」の「足」も、際に裏から「逆魚々子」打ちして強度を付け有ります。
「平地」には「雲間」に「尾」に「剣」を持つ大振りの「雄龍」を「毛彫」で大胆且つ丁寧に彫入れた「雲龍」の図柄です。
「見込み」には若干「茎」の長い「三葉葵」の図柄を「雲龍」同様に「毛彫」で入念に彫入れ丁寧に仕立てあり、時代物としては鉄地の鍛錬が良い為に「甲冑師鍔」に通じ 鉄味良く鉄質も上々です。
「明珍」は平安時代より続く甲冑師の家系で12世紀半ばに近衛天皇に鎧と轡を献上したところ「音響浪々光り明白にして玉、類いまれなる 珍器なりと称賛され「明珍」の姓を賜わりました。
室町時代・戦国時代と活躍した「明珍信家」が日本最高の甲冑師と言われ名高く、後の「明珍義時」が幕府の大老である「酒井忠清」の抱え甲冑師となり群馬県前橋に住し
後の「明珍宗房」の時に主君「酒井家」が姫路藩主となった為に姫路に移り住む事となるなど、江戸時代にも様々な「各藩」に抱えられ「明珍派」は大いに繁栄し現代にも続いています。
「明珍派」はもとより「甲冑師」は江戸中期以降には「甲冑」の需要が減った為に「鍔・自在置物(海老・蟹・蛇)・火箸・風鈴」等々をも製作していますが、
この度の様な「盛皿」は先ず出会うことが無く非常に少なく貴重です。