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廃盤
名花デラ・カーザのアラベラ!
ケンペ指揮
バイエルン国立歌劇場
~ロンドン引越し公演!
R.シュトラウス:
歌劇『アラベラ』全曲
リーザ・デラ・カーザ、
ヘルマン・ウーデ、
エルフリーデ・トレチェル、ほか
ルドルフ・ケンペ指揮
バイエルン国立歌劇場管弦楽団&合唱団
バイエルンが戦後はじめて行ったロンドン引越し公演での『アラベラ』。
ドイツの文化的権威を復活させたともいえる歴史的偉業。
ドレスデン生まれのルドルフ・ケンペがR.シュトラウスの真髄を表出した、ロンドンでの『アラベラ』ライヴ録音。
1953年はバイエルン国立歌劇場にとって大変重要な年です。第二次大戦中の爆撃によって劇場は破壊され、再開は63年を待たねばなりません。しかしながら、荒廃したこの都市において、その復興のためには文化的フラグシップが必要と認識したのは、なによりアメリカ占領軍でした。ミュンヘンでのオペラ再開はなんと45年11月、ベッツェルスベルガーによる『フィデリオ』でした。正式な音楽監督はクナッパーツブッシュであったわけですが、46年よりショルティに引き継がれ、52-53年のシーズン、このポストにあったのはルドルフ・ケンペでした。同時期に『カプリッチョ』の初演時にR.シュトラウスその人と共演した演出家ルドルフ・ハルトマンがバイエルン歌劇場に加わっています。ハルトマンより年若かったケンペもすでにR.シュトラウス演奏の第一人者としての地位を築いており、この最強コンビによる『アラベラ』は52年10月にミュンヘンで初演されます。
戦後、キャストなど一部がダブリンなどに招かれたことはありましたが、首都ロンドンでドイツ・オペラ・チームが公演を行ったのは、この53年の9月が最初になります。爆撃を受けたのはミュンヘンだけではなく、ロンドンもまたドイツ軍によって徹底的に破壊されていたわけですから、この公演は文化的な側面だけではなく政治的にも大変な折衝を経ています。資金面では、ブリティッシュ・カウンシルとドイツ外務省が協力しました。こうした状況下で、ハルトマンとケンペが選んだのは、『アラベラ』『ダナエの愛』そして『カプリッチョ』。ダナエとカプリッチョに関してはこれがイギリス初演となり、アラベラもこれ以前にはたった4回しか演奏されたことがありませんでした。
この引越し公演は、さらに、西ドイツ政府が『ドイチュラント・ウーバー・アレス』をドイツ国歌として正式に再採用し、ヨーロッパ中で物議をかもしていた時期に重なります。この公演の際にも、最初にこの国歌を演奏することが決められており、しかもミリタリー・バンド用の高らかにラッパが鳴り響くアレンジの楽譜しかなかったのだとか。ハルトマンは『できるだけ如才なくやってくれ』とケンペに頼みますが、実際の音楽は、抑圧され悲しみに満ちたうめき声のように、ホールの外まで響き渡ります。後の記者会見で、このドイツ国歌の演奏はバイエルン側ではなく、コヴェントガーデンの要求であったことが明らかになりましたが、なんにせよ、この『アラベラ』はそうした歴史の大きなうねりの中、演奏されたものなのです。
しかしながら、この演奏内容のすばらしさをイギリス国民が無視することはありませんでした。評はどれも肯定的で、『デイリー・エクスプレス』は一面で、この演奏会を取り上げました。アラベラの終演後、ドイツ大使館はサヴォイ・ホテルでバイエルン歌劇場のメンバーをねぎらいました。その時のハルトマンへむけての大使の言葉が、すべてを物語っています。
『あなたがたが開いたドアがどれほど重要だったか、もしかしたらあなた自身は気付いていないかも知れない。英国政府の要人がこれほど多く、ドイツ的行事に集まったことはなかった。バイエルン国立歌劇場はこの公演の大成功を大いに誇りに思って頂きたい。』
R.シュトラウス:
歌劇『アラベラ』全曲
リーザ・デラ・カーザ(S)
ヘルマン・ウーデ(Br)
エルフリーデ・トレチェル(S)
マックス・プレープストル(Bs)
イラ・マラニウク(Ms)
ロレンツ・フェーエンベルガー(T)
フランツ・クラルヴァイン(T)
カール・ホッペ(Br)
ケーテ・ネントヴィヒ(S)
ルート・ミヒャエリス(A)
アルブレヒト・ペーター(Bs)、他
バイエルン国立歌劇場管弦楽団&合唱団
指揮:ルドルフ・ケンペ
録音:1953年9月21日、
コヴェント・ガーデン(ライヴ、モノラル)
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