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明治九谷を先導した松本佐平の極めて稀少な作品を出品致します。高さ38cm、幅18cmの赤絵金彩の大型球形香合です。写真をご覧頂ければお分かりと思いますが、100年以上前に造られたにも拘らず、ほぼ新品に近い状態です。金彩の擦れも全くありません。もちろん、ワレ・カケ・ヒビなどの瑕疵は全くありません。松本佐平の作品を見つけること自体がただでさえ難しい上、皿や花瓶ではなく珍しい球形香合を更にこの状態で見つけるのはほぼ不可能と言って良いでしょう。松本佐平が松雲堂の号を名乗るようになるのが明治11年、本作のような赤絵金彩作品を作らなくなったのが明治22年ですから、凡そこの間の10年間に製作されたことが分かります。
本作は、2022年の古美術情報誌「小さな蕾」に於いて「明治陶磁の人物文様」という私のエッセーの中で紹介した作品と同一品になります。(添付写真参照)大日本帝国が天皇中心の政治体制を確立していく中で、天皇制政治を確立した聖徳太子をモチーフにした作品です。正面胴部に描かれた図のモチーフは定かではありませんが、おそらく、日本書記のなかの物語を題材にしたものと思います。
本作のように赤絵金彩文様の器体の中に白抜き部分を残して、そこに絵を描くという九谷焼独特のスタイルを確立したのが松本佐平と言われています。
以下に松本佐平の略歴を記します。
松本佐平は、嘉永4年(1851)、再興九谷の名工と謳われた松屋菊三郎の長男として生まれました。
明治8年(1875)、外国商館を通して輸出を始め、翌年に政府の推薦を得てフィラデルフィア万国博覧会へ最初の出品を行いました。
明治10年(1877)の第1回内国勧業博覧会に出品し、その後、明治22年(1889)のパリ・同26年(1893)のコロンブス・同33年(1900)のパリ・同37年(1904)のセントルイス・同43年(1910)のブラッセル・同44年(1911)のローマと実に多くの万博に参加しました。
明治11年(1878)より、「松雲堂」という屋号を名乗るようになりました。
明治18年(1885)、金襴手の中に割絵を取り、そこに花鳥、山水を極細の線の金彩で細描する画風を好み、制作をよくしました。
明治20年代(1887~)、金沢・神戸・大坂・京都とつぎつぎに松雲堂の支店を設け、神戸支店から輸出を始め、九谷焼の中でも高級品、美術品とされる制作品を外人バイヤーを通して直輸出しました。
明治22年頃(1889)、赤絵を製造しなくなったといわれ、新しい画風を研究し続け、明治26年頃(1893)、「松雲堂風」という作風を確立しました。
松本佐平の貴重な作品を他にもいくつか出品しておりますので、併せてご参照ください。
尚、私の出品写真と本説明文をそっくりそのまま盗用して、格安で販売しますという詐欺サイトが最近いくつかあるようです。私がその様な詐欺サイトに並行出品していると勘違いされた方から酷い罵詈雑言を浴びせられたことがありますが、私はオークションサイト以外には出品しておりません。