かの名高き美食家、北大路魯山人がもし、この耳飾りを手に取ったならば、こう語り始めたやもしれぬ。
「ふむ、これはただの銀の輪にあらず」
そう言って、彼は片時もこの小さな芸術品から目を離さず、指先でそっとその表面を撫でるだろう。その皺のひとつひとつに、作り手の物語と魂の遍歴を読み取るかのように。
「見よ、この銀の肌を。まるで、カタロニアの熱い陽光を浴びて輝く地中海のさざ波が、そのまま凍てついたかのようだ。作り手は、ただ銀を丸めたのではあるまい。水面の、あの捉えどころのない、一瞬の煌めきを永遠に留めんと、魂を削ったに違いない」
この耳飾りを世に送り出したのは、スペインの宝飾家、チェロ・サストレ。バルセロナに生まれ、1980年代には前衛的なデザインで一世を風靡した女流作家である。彼女は、単に高価な素材を誇示するのではなく、形そのものに詩を語らせる「ヌエバ・ホヤ(新しいジュエリー)」と呼ばれる芸術運動の旗手の一人であった。
魯山人の目は、耳飾りの不規則で有機的なフォルムに注がれる。
「見事なものだ。完璧な円ではない。いびつで、自然で、作為がない。そこがいい。整いすぎたものには、人の心の入り込む隙がない。この歪み、この揺らぎこそが、見る者の心を捉えて離さぬのだ。まるで、嵐の後の静かな入り江に打ち寄せられ、角の取れたガラスの如し。荒々しい自然の力と、悠久の時の流れ。その両方が、この小さな銀の塊に凝縮されておる」
彼女はかつて、ファッションデザイナーのアントニオ・ミロと組み、その斬新な作品でランウェイに衝撃を与えた。その根底には、常に自然への深い畏敬の念と、人間の身体そのものを芸術の舞台と見なす哲学があった。彼女の作品は、身につける者の動きと一体となり、光と影の戯れの中で、絶えずその表情を変える。
「この銀のうねりを見ていると、まるで風にそよぐ絹の衣のようだ。あるいは、書家が渾身の力で紙に叩きつけた、墨痕の飛沫のようでもある。作家は、銀という硬い金属の中に、これほどまでの柔らかさと躍動感を封じ込めた。これは、並大抵の技ではない。素材の魂と対話し、その声に耳を傾け、その本質を引き出す。まさに、魯山人が土と炎の中から至高の器を見出すのと、何ら変わりはない」
魯山人は、そっと耳飾りを置き、しばし目を閉じるだろう。彼の脳裏には、ピレネーの山々から吹き下ろす風、ガウディの建築が立ち並ぶバルセロナの街並み、そして、紺碧の地中海が、走馬灯のように駆け巡っているのかもしれない。
「この品は、という現代の市場に出るという。結構なことだ。美は、蔵の中にしまい込むものではない。人の目に触れ、人の肌に触れ、日々の暮らしの中で使われてこそ、その真価を発揮する。この耳飾りを身につける者は、ただの装飾品としてではなく、スペインの風土と、一人の作家の気高き精神を、その耳に飾るのだ。そのことを、ゆめゆめ忘れてはなるまい。この一品、まことの価値がわかる主人の手に渡ることを、切に願うばかりである」
そう呟くと、魯山人は満足げに頷き、名残惜しそうに、もう一度その銀のさざ波に指を這わせるのであった。